暑中お見舞い申し上げます!!かんだ会で対処

投稿日:2018年07月19日

平成30年7月18日(水)、有楽町界隈の居酒屋で”かんだ会”(立命館大学神奈川県校友会のメンバー中心)の会合がある。私はこの会合は2度目。12名の参加があった。猛暑が続く中、互いに近況報告をし合い、涼しいひと時を送ることができて感謝感激。

九州編の駅舎とは!!”日本縦断の旅”その14(下関~海老津)

投稿日:2018年07月18日

九州の第一弾は下関から海老津までの15駅舎です。本来ならば第3編の東北本線(仙台〜東京)の順番ですが、個人的な都合から第6編の鹿児島本線・肥薩おれんじ鉄道を先に取り上げご紹介させて頂きます。宜しくお願い致します。

なお、下関から鹿児島までは、平成25年(熊本~鹿児島)、平成28年(下関~博多)、平成29年(博多〜熊本)と3年に亘って踏破した記録です。

この区間で印象に残っているのは、門司から下関までの関門海峡トンネルであろうか。福岡県から山口県の境界線を越えた時は感無量の思いとなった。日本の当時の土木技術水準の高さに感服また感服。

※下関駅、門司駅、小倉駅

※西小倉駅、九州工大前駅、戸畑駅、技光駅、スペースワールド駅、八幡駅

※黒崎駅、陣原駅、折尾駅、水巻駅、遠賀川(おんががわ)駅、海老津駅

東北編の投稿!!3人の友人から心温まるエール

投稿日:2018年07月01日

 東北編のカッシー館投稿に対し、次のような心温まるエールを頂戴しましたので、第2編の締としてご紹介しておきます。感謝感激で言葉なし。

♪・・・・♪・・・・・・・・♬・・・・・・

 ○その1(高野光生氏)

北海道編に続き、東北編のPDFをお送りいただきまして、ありがとうございました。沢山の写真の一つ一つには、歩き旅ならではの物語が一杯詰まっているのですね。資料をまとめることは大変でしょうけれど、これもまた、旅の楽しみではと思います。

小生も10年ほど前に、旧奥州街道を2回に分けて、栃木の白河から青森の三厩まで歩き、その先足を延ばし竜飛岬まで行きました。当時、東北地方の旅は初めてだったことから、陸奥(みちのく)に心を躍らせ、歩いたことを懐かしく思い出しました。

貴東北編の中に青い森鉄道とIGRいわて銀河鉄道がありますが、青い森鉄道は、当時は、まだJRのままだったように思います。もう一つのIGRいわて銀河鉄道は、名前の響きも良く今でもはっきりと思い出します。

※浅虫温泉

※金田一温泉駅

頂いた資料を楽しく拝見させていただいた後、自分の歩き旅のアルバムに駅舎の写真はどの程度あるのか調べてみました。貴東北編では84駅舎に対し小生の駅舎写真は少なく13駅舎でした。街道歩きが本分としても、通る道筋に駅があれば撮るはずなのにどうして少ないのか。そこで、青森から仙台までの鉄道路線と旧奥州街道の経路を地図で調べてみると、行き着く先は同じでも、ルートが大きく異なる所が何か所かあること、また、ほぼ同じルートの所でも双方がくっついたり離れたりで、並走している所はあまりありませんでした。例えば、大きく異なるルートでは、野辺地から三戸間は、鉄道が三沢・八戸経由に対し街道は十和田・五戸経由、有壁から仙台間は、鉄道が松島・塩釜経由に対し街道は栗原・大崎経由などとなっていました。

これらから、鉄道と街道は意外と一緒の所を通っていないことが分かり、小生の駅舎写真の少なさを納得したことでした。

貴資料のお陰で、上記なども含め久しぶりに、みちのく(陸奥)関連に触れられ楽しい時間を過ごすことができました。ありがとうございました。

ご参考用に当方の駅舎写真などを添付します。今後も、続編があるとのこと、楽しみにしています。

※金色堂(平泉)

 ○その2(今治久昇氏)

昨年と同じく交流戦前4連敗。首位西武に3連勝の好調日本ハム戦。打線の組み換えは必須。橙魂デー。期待しましょう。

第2編、ありがとうございます。「青い森鉄道」初耳です。駅舎を中心とした写真、本当に素晴らしいです。

○その3(長尾昇蔵氏)

 PDFありがとうございます。

東北と言えば青森、青森と言えば我が故郷、浅虫温泉のひとつ青森寄りの小さな集落出身です。中学校は我が村にはありませんのでバスで浅虫駅へ、そこから徒歩20分の浅虫中学校(現在の浅虫水族館の場所が校舎で駐車場が校庭)に通学しました。ある年の冬には積雪によりバスが通れなくなり春までの約2ヵ月、1時間余かけて吹雪の中を徒歩通学したことも!

高校は我が村からバスでもうひとつ青森寄りの野内駅まで、そこから蒸気機関車で(今は無き)浦町駅、そこから夏は近くの姉宅まで徒歩10分、預けた自転車で20分、冬は吹雪の田んぼ道を徒歩50分、耳は凍傷寸前で土気色にして通学。なんと今は筒井駅がすぐそばに出来てます。

※野内駅(高野氏より)

青森支社に入社して15年間の長期勤務、転勤3回目は盛岡支社4年間、職定後の3年間は青森支社の市場担当で南部地方(東北本線沿いと下北半島)担当。

2県の駅の写真はその時の感動を新たにしました。

本当にありがとうございました。

 

東北編の駅舎とは!!その13(梅ヶ沢〜仙台)

投稿日:2018年06月29日

東北の第五弾は梅ヶ沢から仙台までの15駅舎(第2編の締め)です。この区間で印象に残るのは、平成27年5月5日(火)歩いた松島駅から塩釜駅までの区間(営業キロ10㎞)だろうか。前回でもご紹介した通り、靴とリュックとの相性が悪く、杖を突きながらの歩きとなり、何とか休みながららやっと塩釜駅に辿り着くが、ここから平成12年5月のウォーキング開始以来、初の体験をする結果となった。その体験とは、塩釜駅から仙台駅に在来線で自力で移動できたが、仙台駅で立ち上がれなく、駅員さんのお世話(車椅子)になり、何とか昨日泊まった東横インまで手助けて頂いた。塩釜駅が青森駅から下関駅までの上がりであった(本州の踏破達成)だけに、”仕上げの歩きとはこんなに苦しいものか”を痛感した。

暫くはトラウマとなったが、天や神のご加護を得て、このような失態は一度だけで、私の当面の旗印である「1万キロに向けて、47都道府県への足の踏み入れに向けて」歩かさせて頂いている。

下記は仙台の駅員さんにお世話になった際の旅記録です。ご参考までにご紹介します。

重い腰を引きずりながら、18時54分の電車で仙台駅へ。仙台には19時14分到着。仙台駅でコインロッカーに行き荷物を引き出した後、新幹線の切符を買おうと試みようとするが、腰が痛くて立ち上がれず。やむを得ず、鉄道の案内に行き、色々お世話になる。「今日は帰れそうにないので、何とか宿泊(東横イン仙台)の手配はできませんか」とお願いする。係りの人を呼んで頂く。「ここは宿泊のお世話まではできませんが、電話番号位は調べることができます。また、タクシー乗り場までは車椅子でご案内できます」と。それで、昨夜泊まった東横インの電話番号を教えて頂き、電話する。運よく、空室があるとのことであった。安堵する。係りの人に、車椅子を用意して頂き、コインロッカーから荷物を取り出してもらい、タクシー乗り場まで送って頂く。感謝感激。体が不自由な人の気持ちが痛いほどわかる。そして、自由に手足を動かせることの素晴らしさを。東横インにやっとのことで到着する。部屋は偶然にも、4月29日、30日に宿泊した部屋(703号室)であった。腰が痛かったので、荷物をフロントの方に部屋まで運んで頂く。

 

※梅ヶ沢駅、瀬峰駅、田尻駅

※小牛田(こごた)駅、松山町駅、鹿島台駅

※品井沼駅、愛宕駅、松島駅

※塩釜駅、国府多賀城駅、陸前山王駅

※岩切駅、東仙台駅、仙台駅

次回から第3編〜第5編(創刊号、続刊号の著書でオープン)の前に、第6編の九州編を優先したいと考えています。引き続きご来館宜しくお願い申し上げます。

東北編の駅舎とは!!”日本縦断の旅”その12(花巻空港〜新田)

投稿日:2018年06月25日

東北の第四弾は花巻空港から新田までの18駅舎です。この区間で印象に残るのは、盛岡から仙台の踏破の際、花巻〜一ノ関間に登場する奥州藤原三代(清衡・基衡・秀衡)が繁栄した時代の名所旧跡だろうか。その一例が平泉にある中尊寺である。平成27年5月3日(日)は水沢から一関までの歩き(営業キロ25㎞)を考えていたが、靴とリュックとの相性が悪く腰を痛め、前沢駅(10.2㎞)で歩きをとりやめた。50m位歩いては休みながらやっとの思いで前沢駅に辿りついた。早く切り上げたお蔭で、蔵一関ホテルで大きな浴槽で汗を流した後、ゆっくり地酒を楽しむ機会が持てる。”人間万事塞翁が馬”を痛感した。

あくる日の5月4日は、水沢から一関までの歩きの中で、中尊寺を中心として歴史の故郷平泉をじっくり散策できる機会を得る。また、この日は昨日の失態を挽回するため、新幹線を活用し仙台まで移動。そして在来線で塩釜駅まで行き、そこからから仙台駅まで(13.4km)を歩くというアクティブな一日でもあった。

※花巻空港駅、花巻駅、村崎野駅、北上駅、六原駅、金ヶ崎駅

※水沢駅、陸中折居駅、前沢駅、平泉駅、山ノ目駅、一ノ関駅

※有壁駅、清水原駅、花泉駅、油島駅、石越駅、新田駅

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