伯備線などの旅!!その5(生山~新見)前編

投稿日:2025年08月09日

2025年8月3日(日)晴れ、伯備線などの旅の5日目は、伯備線の生山駅から新見駅までの営業キロ31.0㎞に挑戦する。秘境駅布原駅の踏破に負荷を要する可能性を勘案し、新見発6時59分を2本早い始発5時46分に切り替える。加えて、涼しい内に少しでも多く歩く環境にするために決断した。営業キロは昨日に比べ、2倍位あるが、重たいリュックを背負っての歩きではない。また、新見駅が目標のため、列車での移動もないので、時間の制約から回避できた。ただし、備中神代~布原~新見が山越えとなるため、日没前(少なくとも18時前)には山を下った新見駅界隈に到着したかった。結果、大正解であった。朝食は昨晩買ったおにぎりで対応する。日曜日であり、始発のため、2両編成の車両は私のみであったと思われる。私が下車する生山で一人高校生が乗ってきたので、少なくとも一人は確保となった。このような場面は、2015年6月宗谷本線で音威子府(おといねっぷ)から南稚内に移動する際にも遭遇した。鉄道を愛する私にとっては非常に淋しい思いであった。

※ホテルから新見駅へ

※2両編成の貸し切り状態で生山駅へ移動

※生山駅

各駅舎立ち寄り時刻は次の通り。

生山’(しょうやま、6;36)~上石見(かみいわみ、8:45)~新郷(にいざと、9:55)~足立(あしだち、11;41)~備中神代(13:32)~布原(14:43)~新見(16:08)

①生山駅を種々のアングルで撮影後、営業キロ8.7㎞ある上石見駅を目指す。生山駅で沢山の燕に遭遇する。6時47分より、119歩ある生山橋を渡る。6時55分より、赤い通天橋を渡る。6時58分、JR線を潜り鉄道の右側となる。7時22分、今度はJR線を跨ぎ鉄道の左側となる。7時28分、原公会堂前バス停前(日南町バス)を通過する。7時30分、只今の気温は21℃とあった。7時45分、新見30㎞、上石見5kmと記した標識前を通過する。7時47分、米子方面に向かう列車と対面する。7時50分、坂上る。8時7分、野菜を軸に販売している”はなみずき青空市場”前を通過。10人位の人がいた。8時15分、ビニールハウスが広がっていた。数十年前、両親が健在な頃の苺栽培を思い出ししんみりする。上石見駅には8時45分にやっと到着する。駅前には「井上泰ゆかり・にちなん高原駅」の標識があった。併せて、生山駅と同様創業以来百年の看板もあった。この駅界隈には民家が広がっていた。この駅界隈で、近隣の方から私の帽子を見て、エールがある。「どこからやってきたのですか」と。「今朝、生山から歩いています。新見に向けて歩いています。伯備線踏破が今回の旅の目的です。これまで鉄道つたい歩きで1万7千キロを突破しました。詳細はチラシに記載しています。スマホをお持ちであれば閲覧できます」と言って、早速カッシーチラシを手渡する。「私は持っていませんが、主人が持っています。あとで確認します。ありがとうございます」と。お礼を言ってこの場を去る。

※上石見駅への路その1

※上石見駅への路その2

※上石見駅

②9時13分、峠に差し掛かる辺りで、鳥取県日南町(文学のふるさと)から岡山県新見市となる。9時41分、右手にJR線の和忠川橋梁を目にする。9時55分、新郷駅に到着する。この界隈には数軒の民家があった。上石見駅に比べ粗末な駅舎であった。

※新郷駅への路

※新郷駅

※新郷駅をあとに

③10時、森から蝉の声を聞き安堵する。境線では全く蝉の鳴き声を聞かず心配(異常気温よる環境変化)していた。10時15分、JR線を潜り鉄道の右側となる。10時22分、左側となる。10時37分、右側となる。この界隈の右手に第2西川橋梁があった。10時58分、七石橋を渡る。11時1分、木村下バス停前(新見市営バス)を通過する。11時17分、第5西川橋梁を目にする。11時5お分、第7西川橋梁を目にする。11時25分、JR線下を潜り、鉄道の右側となる。11時28分、左側となる。11碑30分、工場が立ち並ぶ足立石灰前を通過。只今の気温は34℃とあった。川を渡った先に足立駅(11時41分)があった。この駅界隈には民家はなかった。後編に続く!!

※足立駅への路

※足立駅

伯備線などの旅!!その4(根雨~生山)

投稿日:2025年08月09日

2025年8月2日(土)晴れ、伯備線などの旅の4日目は、伯備線の根雨駅から生山駅までの営業キロ15.9㎞に挑戦する。今回の旅で最も短い区間であった。しかし、重いリュックを背負っての歩きと生山から予定の列車の時刻(14時51分)に乗り遅れないようにするため、それなりにプレッシャーを感じた。朝ホテルで食事をとり、米子発7時36分の列車で臨む。

※ホテルチェックアウト

※米子駅にて

※根雨駅

各駅舎立ち寄り時刻は次の通り。

根雨(8:20)~黒坂(10:50)~上菅(12:26)~生山(13:32)

①8時20分より黒坂駅を目指す。8時22分、根雨小学校跡地前を通過。暫くは根雨の街並みを歩く。直進し過ぎると国道181号線に行く恐れがあった。案の定、100m位誤った方向に進んでいたが、ナビの検索のタイミングが功を奏し補正できる。くねくねした路地を歩き、国道180号線に無事合流できる。国道180号に合流前に、8時42分、54歩ある橋を渡る。8時51分、広島163㎞、庄原76㎞、日南17㎞と記した標識前を通過する。これから日陰がある場所も道路の状況によってあった。この日陰が大きな援軍となった。根雨駅から暫く歩いた先から、濡れタオルを帽子の下にセットと雨傘をさして臨む。9時25分、生山15km、黒坂5kmの標識前を通過する。9時30分、日野町本郷という地名を通過。9時54分、牛舎から牛の鳴き声が聞こえてくる。「暑いよ」と言っているように聞こえた。9時53分、JR線が日野川を渡り、道路脇に合流する。しかし、10分位歩いた先でJR線は日野川を渡り、トンネルへ。ここから日野川に沿って迂回を余儀なくされる。10時21分より、万歩計で180歩ある下黒坂橋を渡る。10時25分、下黒坂踏切を横切り、鉄道の右側となる。県道46号線(日野溝口線)を歩く。10時36分、日野町黒坂という地名を通過。ここから黒坂駅への路は意外に遠かった。10時41分、玉島街道踏切を横切り、鉄道の左側となる。10時45分、栗坂郵便局前を通過、黒坂駅には10時50分に到着する。

※国道180線までの路

※下黒坂橋までの路

※下黒坂橋を渡り、下黒坂踏切を横切る

※黒坂駅への路

※黒坂駅

②11時7分より、150歩ある黒坂橋を渡る。そして、国道180号線に合流する。11時16分、生山9㎞、広島154㎞、庄原67㎞と記した標識前を通過。11時21分、JR線を跨ぎ、鉄道の右側となる。11時25分より、248歩ある新黒坂橋(日野川)を渡る。11時35分、夏の風物詩の蝉の鳴き声を聞き安堵する。11時55分、井出を見て幼少の頃を思い出す。小魚が泳いでいた。12時6分より、161歩ある乗換橋(日野川)を渡る。上菅(かみすが)駅には。12時26分に到着する。

※上菅駅への路

※上菅駅

③12時55分より、121歩ある荒神原橋を渡る。12時59分、JR線下を潜る。丁度、米子方面に向けて、列車が通過して行く。13時3分、諏訪バス停(日野町営バス)前を通過。13時5分、改めて蝉の鳴き声を聞く。13時7分、広島147㎞、称原60㎞、新見36㎞と記した標識前を通過。13時17分、日野町から日南町となる。13時27分、高速道路下を潜る。生山(しょうやま)駅には、13時32分に到着。万歩計は34,686歩であった。駅前のお好み焼き屋に入り、生ビールで火照った身体を癒す。最高であった。この店は14時まで営業とのことで、14時少し前に退席する。この店でも、カッシーチラシが威力を発揮した。店の方とお客さんに今回旅を軸に話す機会を得る。至福のひと時に早変わりする。

※生山駅への路

※生山駅

※ランチビールで祝杯

※新見駅へ移動

④次の新見行きは14時51分、約50分の待ち時間を利用して、今回の旅の対策などを吟味する。そんなことをしているうちに、14時51分の列車がやって来る。明日踏破する、生山から新見の道筋を車窓から確認しながら新見まで移動する。ホテルには16時45分到着する。汗を流した後、ホテルから紹介された居酒屋”関候”にお邪魔し、明日からの英気を養う。充実した一日であった。

※新見駅、ビジネスシティホテル

※関候でも祝杯

伯備線などの旅!!その3(境線:境港~米子)後編

投稿日:2025年08月09日

⑤再度、御崎口踏切を横切り、鉄道の右側となる。幹線道路から田んぼの向こうに和田浜駅が見える駅への道筋が見つからない。暫く歩いた先で小松山踏切があり、この踏切を横切り、少し戻った先に和田浜駅(12時17分)があった。鉄道に沿った田んぼ道を暫く歩く。12時30分、宮益第⒒踏切を横切り、幹線道路となる鉄道の右側となる。12時35分、宮益第1踏切を横切り、鉄道の左側となる。この踏切を渡ろうとしたところ、境港方面に向かう列車が通過して行く。弓ヶ浜駅には13時7分に到着する。

※和田浜駅への路

※和田浜駅

※弓ヶ浜駅への路

※弓ヶ浜駅

⑥喉がからからとなるが自動販売機の姿はなし。工事中の道路を歩き,河崎口を目指す。鉄道から大きく迂回した道筋を歩き、河崎口駅には13時52分に到着する。この駅には”ねこ娘”の長椅子があった。その先にある境街道踏切を横切り、鉄道の右側となる。この界隈で水分補給する。ここから三本松駅への道筋はややこしかったが、ナビが大きな援軍となった。14時5分、米子郵便局前を通過。米川に沿って歩く。14時13分、社会福祉法人こうほうえん「アザレアコート」前を通過。15時14分、米川踏切を横切り、鉄道の左側となる。この踏切界隈は、米川も絡み複雑な地形であった。米川は依然右手にあった。14時26分、米川を跨ぐ柳橋を渡った先に三本松駅が見えて来る。そして、前谷踏切を横切り、鉄道の右側になった先に三本松口駅(14時29分)があった。本日一番の難所駅であった。

※河崎口駅への路

※河崎口駅

※三本松口駅への路

※三本松口駅

⑦鉄道に沿った右側を淡々と歩く。しかし、後藤駅は見えるがこの駅への踏切が見当たらない。やむを得ず、先程歩いて来た道筋を引き返す。10分位ロスタイムが生じる。14時59分、先程通り過ぎた米原踏切を横切り、鉄道の左側となる。後藤駅には15時3分に到着する。

※後藤駅への路

※後藤駅

⑧富士見駅への道筋も鉄道に沿った道筋がなく、大きく迂回した幹線道路を歩くことを余儀なくされる。幹線道路を右折して国道9号線に合流する。15時25分、ヤマダデンキ前を通過。15時28分より、途中境線を跨ぐ綿橋を渡る。途中で境線の線路は見えるが、下の道路には降りられず。100m位歩き、綿橋を終えた箇所で、綿橋に沿って線路に近づく。線路が見えるや否や富士見駅(15時40分)があった。

※富士見駅への路

※富士見駅

⑨富士見駅から博労町駅への道筋もナビがなければ迷いそうな道筋であった。しかし、ナビのお陰で迷うことなく、博労町駅には15時54分到着できる。この駅は、数年前、山陰本線踏破の際にも立ち寄った駅舎で懐かしくなる。そして、幹線道路に合流して淡々と歩いた先に本日の終着駅である米子駅(16時18分)があった。万歩計は45,539歩とあった。

博労町への路

※博労町駅

※米子駅

⑩16時23分、ホテルに戻り汗を流した後、三顧の礼を尽くすため、太平記にお邪魔し、楽しいひと時を過ごさせて頂く。マスターに「3日間お世話になりました。明日から新見の方に移動します。後日カッシー館をご覧下さい」と言ってこの店を去る。楽しい米子の3日間の夜であった。

※地酒で祝杯

伯備線などの旅!!その3(境線:境港~米子)前編

投稿日:2025年08月09日

2025年8月1日(金)晴れ、伯備線などの旅の2日目は、境線(非電化単線)の境港駅から米子駅までの営業キロ17.9㎞に挑戦する。0番ホームには鬼太郎、ねずみ男、ねこ娘など妖怪一色のホームであった。2両編成の車両が停車していた。本日はホテルで朝食をとり臨む。昨日の疲れで、米子から境港までうとうとしての移動となる。沢山の高校生の姿があった。上道駅で沢山の高校生が下車する。境線はフコク生命時代の友人2人が利用していたことを遠い昔インプットされていたので、いつかこの路線を踏破したいと思っていた。それが今回の旅で実現する。境港駅に降りても海が見えてこない。見えて来るのは山でビックリ。当初は境港駅に面した海を確認しないまま馬場埼町駅を目指すが、それでは後悔が残ると思い引き返す。20分位ロスタイムが生じる。今も久しくさせて頂いている友人が、隠岐の島出身で帰省の都度利用していたフェリー乗り場を確認する。友人によるとシーズンにより3から4往復とのこと。所要時間は9時発で11時25分着とのこと。境港をデジカメに収め、かつ、ゲゲゲの鬼太郎(水木しげるさん作)を中心とする妖怪を再度デジカメに収め、馬場崎町駅を目指す。

※いざ出発、米子駅

米子駅~ねずみ男

※米子駅の0番ホーム

※境港駅

※境駅~鬼太郎駅

※妖怪倉庫

※境港駅,隠岐の島フェリー乗り場と境港

各駅舎立ち寄り時刻は次の通り。今回の旅で、もっとも楽なコースであった、すなわち、米子が終着駅のため時間による制約もなく、また境線に沿った道筋が概ね平坦であったからだ。一方、境線は次表のように妖怪でリンクされた駅舎となっており、ゲゲゲの鬼太郎を思い出しながらの歩きとなる。このように何かとリンクした路線は、京都丹後鉄道、土佐くろしお鉄道(ごめん・なはり線)、ひたちなか海浜鉄道でも見られた。

境港(8:50)~馬場崎町(9:31)~上道(9:48)~余子(10:16)~高松町(10;32)~中浜(10:55)~米子空港(11:10)~大篠津町(11:46)~和田浜(12:17)~弓ヶ浜(13:07)~河崎口(13:52)~三本松口(14:29)~後藤(15:03)~富士見町(15:40)~博労町(15:54)~米子(16:18)

①鉄道の左側を歩く。くねくねした路地を歩き、馬場埼町駅には9時31分に到着する。そして、道なりに歩いた先に上道駅(9時48分)があり、一反木綿の妖怪の姿が印象的であった。

※馬場崎町駅への路

※馬場崎町駅

※上道駅への路

※上駅道

②9時50分、中野第2踏切を横切り、鉄道の右側となる。10時13分、渡里踏切を横切り鉄道の左側となる。10時14分、鈴子神社前で本日の安全を祈願する。少し歩いた先で余子駅(10時16分)があった。”こなきじじい”の姿を見て懐かしくなる。土讃線の大歩危駅にあった”こなきじじい”を思い出し懐かしくなる。ここから少し歩いた先に高松町(10時32分)があり、もう少しで通り過ごしそうになる。

※余子駅への路

※余子駅

※高松町駅への路

※高松町駅

③夏本番にも関わらず、森や林の中から、夏の風物詩である蝉の鳴き声が聞こえこず、もしかすると異常気象に影響かと心配する。これからの道筋、蝉の鳴き声に傾注するが、残念ながら聞くことができず、不安となる。10時48分。寄会神社前を通過。10時51分、中浜保育園前を通過。トイレ設備がある中浜駅には10時55分に到着する。中浜踏切を横切り右側となり、線路沿いを歩いた先に米子空港(11時10分)があった。沢山の飛行機が離着陸して行く。11時16分、只今の気温は33℃とある。

※中浜駅への路

※中浜駅

※米子空港駅への路

※米子空港駅

④11時25分、境港市から米子市となる。米子空港からの飛行機の離着陸を見ながら大篠津町駅を目指す。途中から境線から大きく乖離する。適宜ナビで道筋を検索しながら進む。11時44分、御崎口踏切を横切り、鉄道の左側となる。踏切を横切った先に大篠津町駅(11時46分)があった。”砂かけばばあ”の画像を見て懐かしくなる。後編に続く!!

※大篠津町駅への路

※大篠津町駅

伯備線などの旅!!その2(根雨~伯耆大山)後編

投稿日:2025年08月08日

④12時21分、国道181号線に戻る。鳥取105㎞、松江44㎞、米子14㎞と記した標識間を通過、12時27分より、173歩ある郡界橋を渡る。その先で岸本町の標識がある。12時39分、伯耆町上細見と記した標識間を通過。涼しい風を感じる。12時54分、立石バス停前を通過。13時5分、国道181号線から分岐する県道53号に方向転換する。13時7分、鳥取102号、米子11㎞、淀江11㎞と記した標識前を通過。13時15分より、119歩ある別所橋(別所川)を渡る。岸本駅には13時35分に到着する。

※岸本駅への路

※岸本駅

⑤岸本駅から、かつて歩いた”鉄道や電柱”を案内人として歩く。伯備線の歩きで初となる路地歩きとなった。それ故、楽しい道筋となった。1時間位、鉄道に沿った道筋を淡々と歩く。14時6分、たばこ畑があった。幼少の頃、親戚でたばこを栽培しており、出荷に際し、乾燥のため、部屋で吊るしていた光景を思い出し懐かしくなる。14時13分、農道を歩く。14時26分、御崎神社前を通過。14時43分より、農道も含めたくねくねした道筋となる。14時55分、高速下を潜る。この高速を潜った先から、急に街並みが広がる。ここからナビを適宜見ながら進む。その結果、迷うことなく伯耆大山駅には、15時26分到着する。万歩計は53,845歩をマークしていた。この駅は、節目の”1万7千キロ踏破”を達成した駅で感無量の思いとなる。予め用意してきた団扇を手に持ち、伯耆大山駅背景に写真を撮影する。この駅前にはタクシーが数台停車していたが、駅員の姿はなかった。

※伯耆大山を見ながら移動

※高速道路下より風景が異なる

※伯耆大山駅への路

※伯耆大山駅

⑥運よく、30分位の待ち合わせで、16時5分発(山陰本線の非電化車両)で米子駅に移動できる。ホテルに戻り、汗を流した後、昨日お邪魔した太平記に立ち寄り、1万7千キロ踏破のお祝いをする。充実した一日であった。

※米子駅へ。汗を流した後太平記へ

※1万7千キロ踏破を祝って

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