福知山線の旅”その6(三田〜有馬温泉)

投稿日:2021年11月27日

2021年11月17日(水)晴れ、福知山線の6日目は、福知山線に接続する神戸電鉄の三田駅から有馬温泉駅までの営業キロ14.5㎞に挑戦する。当初は、尼崎駅から川西池田駅まで歩き、三田駅まで電車で移動し、その後神戸電鉄の電車を乗り継いで有馬温泉に向かう計画であった。

※いざ有馬温泉へ。尼崎駅駅への道筋、ベイコム総合体育館

※急なカーブの陸橋(2005年4月の脱線事故を思い出す)

しかし、福知山線の道場駅から西宮名塩駅までの区間(営業キロ8.2㎞)を、当初は2日間で予定していたのが、観光案内所や友人のサポートが功を奏し、1日で歩くことができた。これにより、1日余裕ができ、本日の運びとなった。歩く鉄道作家として、”福知山線の踏破”に加え、”地球直径相当突破”を祝う、由緒ある粋な有馬温泉で締める嬉しい最高の一日となった。

※神戸電鉄三田駅

ホテルの”あうん”で朝食をとり、7時55分チェックアウト。玉江橋線を歩いて、JR尼崎駅に向かう。8時37分、ベイコム総合体育館があった。尼崎8時52分の電車で三田駅まで移動する。

神戸電鉄(有馬・三田線)の有馬温泉駅までの各駅舎立ち寄り時刻は次の通り。

三田(9:48)〜三田本町(10:08)~横山(10:26)〜神鉄道場(11:05)〜道場南口(11:53)〜二郎(12:13)〜田尾寺(12:52)〜岡場(13:17)〜五社(14:08)〜有馬口(14:36)〜有馬温泉(15:10)

①10時1分、105歩ある平成大橋(武庫川)を渡る。幹線道路を歩いた先に三田本町駅(10時8分)と横山駅(10時26分)があった。横山駅からは公園都市線に行かないよう注意する。

※神戸電鉄の路線図(三田本町駅)

※三田本町駅、横山駅

②横山駅は小高い丘に面してあった関係で、神鉄道場駅への路はこの丘を下る道筋となる。10時30分、暑くなり上着を脱ぐ。10時40分、丘を下った先に三田学園前バス停(神姫バス)があった。10時43分、鉄道下を潜り、三田線の左側となる。田圃の中に鉄道が続いていた。10時49分、61歩あるてつや橋を渡る。工事現場のような荒れ地に面し、少し高台に神鉄道場駅(11時5分)があった。この駅に面して反対側の急な斜面の高台にはマンションがあった。11時13分、西山踏切を横切り、鉄道の右側になる。線路に沿って歩こうとするが、11時18分、山で行き止まりとなる。11時26分、神鉄道場駅に戻り、高台への階段を上り、道場南口駅を目指すことにする。神鉄道場駅は道路から50m位下にあった。

※神鉄道場駅への路

※神鉄道場駅

※西山踏切、高台から見た神鉄道場駅

➂鉄道に並走しない道筋を進む。11時36分、神戸市立北神戸町学校があった。高台を通り抜け、鉄道に近づいた先に道場南口駅(11時53分)があった。それにしても、神鉄道場駅から道場南口駅の区間は、道路と鉄道が大きく乖離しており、難しい区間であった。

※道場南口駅への路、道場南口駅

④11時58分、鉄道下を潜り、三田線の左側となる。鉄道に沿った農道を歩く。苺栽培のビニールハウスがあった。これを見ると、数十年前、両親が経営した苺ハウスを思い出した。苺経営の農家のご主人に出会い、「私の両親もかつて苺経営をしていました。懐かしくなりました」と声を掛ける。「どちらでですか」と質問がある。「香川県です」に対し、「私も香川県に視察に行きました」と回答がある。「頑張って下さい」と言ってこの場を去る。12時6分、中国自動車道下を潜り、77歩ある宮前橋(有野川)を渡る。複雑な地形の中に、二郎(にろう)駅があった。丁度電車がやって来る。

※苺栽培のビニールハウス、二郎駅

⑤引き続き、鉄道に沿った農道を歩こうとするが、行き止まりとなる。12時18分、幹線道路に戻る。12時27分、大歳神社に本日の安全を祈願する。12時36分、高速道路下を潜る。12時41分、牛舎があった。12時44分、72歩ある有野橋(有野川)を渡る。12時52分、田尾寺踏切を横切り、少し行った先にに田尾寺駅(12時52分)があった。13時12分、左手に鉄道、右手に岡場公園に面した道筋を歩く。その先に岡場駅(13時17分)があった。賑やかな駅前であった。

※大歳神社、田尾寺駅

※岡場駅

⑥鉄道の右側を淡々と歩く。13時36分、遷座1300年の記載がある有間神社前を通過。13時41分、紅葉が綺麗や山道を歩く。複雑な道筋で右往左往するが、地元の人のお蔭で、五社駅には14時8分到着することができる。70歩ある清瀧橋(有野川)を渡った先にあった。それにしても、川と高速道路が絡み、複雑な地形の中にあった。地元の人の応援がなければ、未踏破になっていたかも知れない。感謝の気持ちで一杯となる。

※五社駅への路、清瀧橋、遠くに五社駅

※五社駅、五社厄除地蔵

⑦有野川に沿ってた山道を歩く。14時17分、五社厄除地蔵があった。14時33分、51歩ある人道橋を渡る。上り坂のところに有馬口駅(14時36分)があった。この駅は、三田線(三田〜新開地)と有馬線(有馬口〜有馬温泉)の合流駅であった。この駅から少し行った先で、坂を上る道筋が分岐しており、坂を上る。その先の踏切先で道筋が変だと思い、右往左往する。止むを得ず、踏切待ちのドライバーに有馬温泉の道筋をお伺いする。「この踏切を渡っては行けません。戻った交差点から道なりに歩けば有馬温泉駅に行けます」と丁寧に教えて頂く。数分のロスタイムが生じたが、リカバリーできホットする。これで、何とか16時前に今晩の宿”ねぎや陵楓閣”に到着できそうになりホットする。

※有馬口駅

⑧14時46分、三田線下を潜る。坂道を淡々と上る。14時51分、水無バス停(阪急バス・神姫バス)があった。14時51分、40歩ある水無橋を渡る。15時10分、”日本第一神霊泉有馬温泉”と記した標識前を通過。高速道路への道筋がこの界隈にあった。15時10分、有馬線下を潜って、少し行った先から温泉街となる。15時19分、三宮行きのバスと対面する。途中、右手の坂を30m位上った先に、”ねぎや陵楓閣”(15時27分)があった。ここから数分歩いた先に、有馬温泉駅(15時31分)があった。

※有馬口駅界隈、三田線を潜る、有馬温泉駅への道筋

※有馬温泉駅、ねぎや陵楓閣の看板

⑨坂道を上り、ねぎや陵楓閣には15時37分到着する。これで、有馬温泉が、城崎温泉や下田温泉などと同様、神奈川県自宅や香川県実家からも鉄道を通じて繋がる。有馬の湯で美味しい料理と美味しい酒を堪能し、福知山線踏破と地球直径相当突破を祝う。この宿の通路には、将棋の十段戦が開催された模様が展示されていた。高橋・福崎・桐山・原田など将棋棋士の画像や直筆のサインがあった。偶然にも由緒あるホテルに宿泊させて頂き、ラッキーであった。

※ねぎや陵楓閣

※ゆったりした”亀尾”、用意したチラシ!!

※体にもやさしい粋な料理!!

※高橋・福崎棋士による十段戦、桐山・原田棋士のサイン

福知山線の旅”その5(川西池田〜尼崎)

投稿日:2021年11月26日

2021年11月16日(火)晴れ、福知山線の旅の5日目は、川西池田駅から尼崎駅までの営業キロ11.0㎞に挑戦する。今回の旅の中では、比較的やさしそうなコースであった。昨日、道場駅から西宮名塩駅までの営業キロ8.2㎞を2日間ではなく1日で踏破したことで、当初、尼崎駅から川西池田駅に向かうプランを急遽逆方向プランに変更する。そして、余裕があれば、甲子園散策とした。朝食をホテルでとり、ホテルから2.5㎞位あるJR尼崎駅まで尼崎の街並みを楽しみながら歩く。そして、川西池田駅まで電車で移動し、そこから歩くプランで臨む。

※いざ川西池田へ、尼崎セントラルホテル、JR尼崎駅への路

※尼崎駅から川西池田駅への移動

本日の各駅到着時刻は次の通り。

川西池田(9:45)〜北伊丹(10:50)〜伊丹(11:46)〜猪名寺(12:33)〜塚口(13:05)〜尼崎(14:11)

①川西池田駅から北伊丹駅までの営業キロを3.1㎞のところ、誤って1.1㎞と転記する。このため目測を誤り、無駄な動きが多くなる。それにしても随分長く感じた3.1㎞であった。10時2分、栄根(さかね)踏切があった。10時12分、46歩ある橋を渡る。10時35分、新村ノ西公園前を通過。北伊丹駅北口には10時44分到着。県立西猪名公園が北伊丹駅に面してあった。北伊丹駅には10時50分到着。途中、阪急主催のハイキングがあるのか、数人の参加メンバーと対面する。速足で私を追い越して行く。

※川西池田駅、北伊丹駅への路

※北伊丹駅は遠し!!

※北伊丹駅北口、伊丹駅

②10時56分、北村踏切を横切り、鉄道の左側となる。11時6分、猪名川土手を伊丹空港から離陸する飛行機を鑑賞しながら伊丹駅を目指す。この伊丹空港はフコク生命時代日帰り主張で何度も利用させてもらったので、懐かしい思い出が昨日ように込み上げて来た。11時23分、ANAが離陸して行った。11時28分、土手は終わり、鉄道線路に近づく道筋に変更する。桑津橋西詰とあった。この先の鉄道を横切る陸橋で阪急主催のハイキング参加メンバーと対面する。「今日はウォーキングですか」と質問する。これし対し、「伊丹駅が終点です。急いでいますので失礼します」とご回答を頂き、信号が変わり次第、速足で目的方向に向かう。11時40分、”阪急ハイキング”の掲示したうんじょう橋(32歩)がある。この橋を跨ぎ、鉄道の右側となる。その先に伊丹駅があった。

※県立西猪名公園、伊丹空港からの飛行機離陸

※伊丹駅

※伊丹駅、猪名寺駅

➂12時、有岡公園を通過。その先に伊丹市立有岡小学校と有岡幼稚園があった。12時10分、JR線下を潜る。12時13分、伊丹南踏切を横切り、鉄道の右側となる。12時26分、東海道新幹線下を潜る。その先に県立尼崎稲園高校があった。猪名寺駅には12時33分到着する。

※猪名寺駅、県立尼崎稲園高校

④今歩いている幹線道路は玉江橋線(県道13号)とあった。この道を直進すれば、ホテル方向に向かうことができた。12時55分、塚口長溝公園前を通過。12時58分、阪急電鉄伊丹線下を潜る。塚口駅には13時5分到着。

※阪急伊丹線下潜る、塚口駅

※塚口駅、塚口駅界隈

⑤13時26分、尼崎久々知西町とあった。前方に高速道路があった。紅葉が見頃な久々知橋を渡る。13時50分、記念公園があった。少し遠回りとなったが、この公園を通り抜け、東海道本線と福知山線が合流するJR線に近づく。遠くに急カーブの福知山線の線路があった。尼崎駅には14時11分到着。駅前で”福知山線踏破”と”地球直径相当突破”と描いたA3判チラシを持参し、記念写真をとってもらう。感動また感動した至福の瞬間であった。

※久々知橋、遠くに急なカーブの尼崎線

※尼崎駅界隈、尼崎駅

⑥日没まで2時間半位あるので、この時間を利用し、一度も訪れたことのない甲子園球場の散策を思いつく。今朝歩いた来た路筋を辿り、ホテル界隈そして阪神尼崎駅(14時50分)まで歩く。そこから阪神電車で甲子園(15時8分)まで移動。そして、約20分位要し、歴史一杯の甲子園球場を1周する。主力選手の面々がポスターに醸し出されていた。阪神の今年の活躍が、聞こえてくるようであった。

※阪神尼崎駅への路。阪神尼崎駅

※阪神電車で甲子園駅へ

※甲子園駅、阪神タイガースの面々

※阪神甲子園球場

※甲子園を一周

再度、阪神電車で甲子園駅から阪神尼崎駅(15時50分)まで戻り、阪神尼崎駅界隈を散策し、ホテルへ。ホテルで汗を流した後、ホテルの朝食会場でも使用している”あうん”で福知山線踏破を祝う。充実した一日であった。

※阪神尼崎駅、駅前の風景

※”あうん”で祝杯!!

二年振りにディズニーへ!!堪能しました

投稿日:2021年11月26日

2021年11月25日(木)、二年振りに東京ディズニーへ。今回はランド。ランドは2018年11月7日(水)以来3年振り。今回も次男坊家族と一緒に鑑賞。特に、”美女と野獣”、ユニシス主催のクリスマスバージョンの18時半から始まるパレード(20位登場)は最高であった。ランドの後は、1泊宿泊したので、ゆっくり最新のハイテクや芸術的な作品などを観賞できた。いいものも見て、いいホテルに宿泊でき、至福の2日間であった。天や神、そして次男坊家族などに感謝の気持ちで一杯となった。

※美女と野獣の鑑賞施設前、シェラトンホテル前

※美女と野獣

※最初のパレード!!

※2番目に登場

※シンデレラ

※ディズニーランドのシンボル”シンデレラ城”

福知山線の旅!!その4(道場〜西宮名塩)後編

投稿日:2021年11月24日

※武田尾駅前案内板

※廃線跡玄関先案内板

②駅前には廃線跡を歩く案内図があった。桜と紅葉の見頃な時期について記載があった。紅葉が見頃な時期に観光でき最高であった。武田尾駅舎内も観察する。この駅はトンネルとトンネルの間にあった。地上に出ている路線距離は駅構内を含め300mある区間であった。沢山の観光客の姿があった。観光客の多い道筋を歩き、廃線跡を歩く玄関口まで出向く。11時6分、生瀬入口で33歩ある橋を渡る。ここから枕木が残っている廃線跡を武庫川沿いに、見頃な紅葉を堪能しながら歩く。初めて廃線跡を歩くので、最高の観光気分にもなった。しかし、一方では枕木による段差を、転倒しないよう用心して歩くことを余儀なくされた。11時14分、最初のトンネルに出会う。

※玄関先の歩道、第1番目のトンネル

11時18分、2番目のトンネルと出会う。トンネル内は暗闇で懐中電灯が必要であった。しかし、廃線跡を歩くのは当初予定もしていなかったので、持参していなかった。それ故、他の観光客の灯りを頼りに進む。11時24分、”ふるさと桜ずつみ回廊/さくら名所たけだお”に到着する。この前で武田尾駅前で出会った若者と出会う。ここでも出会いとは不思議なものだと痛感する。お母さんと一緒に観光していた。この若者に写真を1枚撮ってもらう。御礼を言いながら今回持参したチラシを渡しこの若者と別れる。武田尾駅からの観光客の大半は、この辺りまで歩き、再度武田尾駅に引き返す行程であると推察された。

※廃線跡歩き誕生記念

このトンネルを出ると橋梁

※唯一の橋梁

ここからは、西宮名塩方面に向かう観光客は激減する。一方、懐中電灯をともしながら、生瀬駅や西宮名塩駅からやって来る観光客と多数対面する。それ故、これからは懐中電灯を持参していないことが致命傷となる。11時37分、3番目のトンネルがあった。このトンネルは懐中電灯なしで歩くことができた。このトンネルを出ると132歩ある橋梁があった。この橋梁は歩道とし加工されていた。この橋を渡ると、4番目のトンネルがあった。このトンネルも短いため、懐中電灯はいらなかった。しかし、5番目のトンネルは長く、懐中電灯がなければ、暗闇で全く歩けなかった。暗闇の怖さを始めて体験する。それ故、ストッする。運よく、10m位後ろに懐中電灯を持参した若いカップルの姿があった。事情を説明し、この灯りに追随させてもらう。それにしてもこのトンネルは長かった。このトンネルを出るや否や、お礼を言ってカップルと別れる。

※特に第5番目のトンネル?、風光明媚な光景を背後に

※最後のトンネル界隈

※生瀬駅・西宮名塩駅近し

この先で生瀬方面からの観光客に出会い、「あとどれくらい生瀬駅までありますか。そしてこれからトンネルはいくとありますか」と質問する。「まだ3㎞位はありますよ。少し長めのトンネルがあと一つあります」と回答を頂く。

これを受け、6番目のトンネル対策として、次男坊家族に教わったスマホの灯りを活用することを思い出す。そして、6番目のトンネルはこの灯りを頼りに進む。しかし、トンネルを出た先で、この灯りを止める方法がうまく操作できず右往左往する。運よくトンネルを出た先に2人連れの女性がいて、彼女等のサポートを受けて、無事スマホの灯りを消すことができる。加えて、「生瀬駅までの所要時間」を尋ねる。「私達は西宮名塩駅からやって来ましたのでわかりません」ここで、初めて西宮名塩駅が登場する。この情報を聞いて、生瀬駅から西宮名塩駅に終点目標を急遽変更する。トンネルの近くで寛いでいた年配の方から、生瀬駅まで20分位とお伺いする。3人の方に全国鉄道つたい歩きに関し話し、チラシを手渡し、お礼を言って別れる。

※廃線(旧線)の路線図

この地点から少し行った先で廃線跡歩きは終了となる。その地点に廃線跡の地図(12時46分)がある。運よく、西宮名塩駅への道筋の案内板もあった。加えて、この道筋を少し歩いた先で、通行人に出会う。「西宮名塩駅の道筋について」お伺いする。「ひたすら真っ直ぐ進めば到着します」と教えて頂く。13時、第1日目で右往左往した界隈にある尼子谷川(51歩)を渡る。頭上近くには先日通過した尼子谷橋があった。13時6分、塩瀬中学校前を通過。その先に西宮名塩駅(13時11分)があった。これで、福知山、柏原そして川西池田が繋がる。駅に離接したビルにあるマクドナルドに立ち寄り、1時間位休息する。この休息時間を利用し、何人かの友人に本日の廃線跡歩きの感動などもSNSで発信する。

※西宮名塩駅への路

※尼子谷橋、塩瀬中学校

※西宮名塩駅

※西宮名塩駅

➂西宮名塩14時21分発の電車で尼崎駅(14時44分到着)に向かう。ここから、尼崎市内を散策しながら阪神尼崎駅界隈にある尼崎線セントラルホテルまで歩く。ホテルには15時50分到着する。ホテルで寛ぎ、汗を流した後、ホテルのロビー界隈にある”あうん”で本日の疲れを癒す。本日は精神的にも肉体的にも困憊したが、難解コースを無事達成でき充実した一日であった。また、地元の人に大変お世話になった、感謝感謝一杯の一日でもあった。

※尼崎駅、玉江橋

※ホテル界隈、尼崎セントラルホテル

※”あうん”で祝杯

福知山線の旅!!その4(道場〜西宮名塩)前編

投稿日:2021年11月23日

2021年11月15日(月)晴れ、福知山線の旅の4日目は、道場駅から西宮名塩駅までの営業キロ8.2㎞に挑戦する。営業キロは8.2㎞と今回の旅の中では最も短いが、特に道場駅から武田尾駅までの営業キロ5.0㎞は、山や川が前方に立ち塞がり、大きく迂回を余儀なくされた。先日記載させて頂いた通り、これまでのウォーキング史の中で3本の指に入る難関コースであった。また、武庫川を適宜越えながら、分岐が幾つかあるくねくねした山道を歩くコースであったので、ひとつ誤ればとんでもない方向に行く恐れがあった。しかも歩き当初は靄がかかり、先日の小海線の清里駅と同様視界が50m位であったので、不気味な道筋となった。それ故、道場駅から武田尾駅までの道筋は、精神的にもプレイヤーを要した。

※柏原駅、新三田駅(新三田〜高槻まで各停)、靄がかかった道場駅

ただし、武田尾駅から西宮名塩駅までの営業キロ3.2㎞区間は、観光客の多い廃線跡を歩くコースであったので、精神的にも楽であった。また、観光としても楽しむことができた。ここでも”こだわり鉄道つたい歩き”九カ条に登場する「憂後楽の考え方」で歩けた。もし、西宮名塩駅から道場駅を目指す歩き方であれば、踏破できなかったと思われる。

※道場駅

道場駅からの立ち寄り時刻は次の通り。

道場(6:58)〜武田尾(10:50)〜西宮名塩(13:11)

①寒さのため、ホテルを5時20分頃出て以来、靄で視界は50m位であった。6時47分、道場駅に到着する頃は多少薄れてきたが、山間は依然視界50m位であった。道場駅を下車するや否や、駅前にいた乗客に道場駅から武田尾駅までの道筋を地図をお見せしながらお伺いする。「あちら方面は歩いたことがありませんのでわかりませんが、地図にある通り、遠回りする道筋はあると思います」との回答がある。このアドバイスは精神的にも和らげてくれた。

※kめじ側道橋、靄がかかった道筋を歩く

靄がかかった道筋を歩く。100m位歩いた先にかめじ側道橋があり、この橋を万歩計で測定しようとしたところ、所定のジーパンのポケットにはないので、落した恐れがあると思い、2往復する。一時は諦めかけたが、冷静に振り返る。道場駅前で万歩計を使用した際、無意識でショルダーバッグに格納していたことに気付く。ホットする。7分位ロスタイムが生じる。再びかめじ測道橋に到着。万歩計で122歩あった。

※JR線下を横切る、背後は新名神高速道路

7時24分、JR線下を潜り、鉄道の左側となる。今度は7時26分、JR線下を潜り右側となる。武庫川に沿って歩く。鉄道は河岸の向こうにあった。途中想定外に車の往来があった。ただし、先程の側道橋以降は通行人とは一切会わず。7時39分、武庫川に沿って北神吉田建設のいう企業があった。また、民家は見当たらなかったが、幾つかの企業が武庫川を挟んであった。途中、車から降りて来た人と対面し、武田尾への道筋をお尋ねする。「ここから先、一度も行ったことはありませんが、大きく迂回して山道をくねくね歩けば到着できると思います。お気をつけて歩いて下さい」との回答がある。ホットする。7時54分、橋が出現する。この橋をわたるべきかどうか、ナビと地図で検証する。今、考えるとこの場面が最大の岐路であったような気がする。

※最大の岐路(この橋を渡る)、武庫川を右手に歩く

※新名神高速道路、靄がっかった山道を歩く

検証の結果、114歩ある武庫川を渡る。鉄道は左手トンネル内にあった。ここから武庫川に沿った山道を上る。2015年6月27日(土)16時過ぎ、宗谷本線の北星駅(現在廃駅)から日進駅まで歩いた場面を思い出した。あの時は右手に天塩川、左手に宗谷本線が目線位のアングルで走っていた。熊が出没するような場面でもあったことを。ここからも数台の車と対面する。自分が間違った道筋を歩いていないことを検証できホットする。宗谷本線の時は1台であったが。8時5分、3台目の車と対面する。8時21分、前方トンネルから出た道場方面に向かう車両を見かける。いつの間にか靄は消えていた。ここから、急な斜面を上る。真っ直ぐにある道筋はロープをはり通行止めとなっていた。この区域が当初は歩けるのではないかと考えていたが、歩くのは不可能と現地を見てわかった。「百聞は一見に如かず」の格言にピッタリの場面であった。

※左側の路を上る(右手はロープをはり行き止まり)、鉄道を横切る

8時27分、トンネル越えでJR線の左側となる。8時31分、新名神高速道路下を潜る。8時32分、車と対面する。8時33分、右手に川下川ダムがあった。ここからは、川下川に沿って歩く。くねくねした山道を淡々と歩く。9時3分、峠に到達。9時22分、車が私を追い越して行く。9時27分、希望の家”身体障碍者授産施設社会福祉法人”があった。この前で初めて通行人と出会い、ホットする。ここから数分歩いた先で民家が見えて来る。9時35分、玉瀬浄水場に到達。のろう橋(境野川)を渡る。9時40分、幹線道路(33号線)に出る。民家先で武田尾駅への道筋をお伺いする。「真っ直ぐ歩けば行けます」と教えて頂く。しかし、ここから武田尾駅遠し。

※新名神高速道路、川下川ダム

※川下川に沿って歩く(歩いても歩いても民家見えず)

※ひたすら川下川沿いを歩く

※希望の家、玉瀬浄水場前

9時45分、玉瀬バス停(阪急バス)前を通過。10時2分、武田尾辻バス停前を通過。坂道を下る。10時18分、新名神高速道路が再度登場し、分岐点があり、直進すべきか右折すべきか迷う。ナビとこれまでの第六感で直進する。大正解であった。暫く歩くと新名神高速道路下を潜る路が登場する。分岐点で右折する。10時18分、高速道路下を潜る。

※境野川、武田尾の標識、新名神高速道路

※大岩稲荷大神、武田尾稲荷神社、遠くに武田尾駅

10時25分、大岩稲荷大神前で本日の安全を祈願する。10時30分、路線バスと対面する。10時37分、武田尾稲荷神社前を通過、その先に廃線跡を歩く玄関先があった。うっかりして、ペットボトルを電車の乗車区間でロスト。それ故、水分補給がないまま、4時間位も耐えた。やっと、10時40分、自動販売機が見つかり安堵する。その先で「廃線跡を歩く道筋」について若い男性から質問を受ける。「ここから数分歩いた先にあります」と回答する。廃線跡を歩く観光客の多数と対面する。武庫川を渡った先に武田尾温泉があった。前方には武田尾駅が200m位先にあり、尼崎方面の電車がやって来る場面に出くわす。武田尾駅には10時50分やっと到着する。ホットする。後編に続く!!

※武田尾駅

※武田尾駅、廃線跡玄関先

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