リベンジ7回目!!武蔵野線(東川口〜新座)前編

投稿日:2021年09月27日

2021年9月26日(日)曇り/時々小雨、武蔵野線(府中本町~西船橋:71.8㎞)の東川口から新座までの営業キロ19.5㎞にリベンジする。この路線は、2001年4月〜5月にかけて踏破済である。しかし、当時の歩きは、歩いた区間と日時を記載した概略メモはあるが、APS時代のため経費面から立ち寄り駅舎の写真や到着時間の記載がない路線や駅舎がある。このような不備は、カッシー館ブログでご紹介している”PDFによる日本横断歩き鉄の旅シリーズ”を計画した際、駅舎立ち寄り時刻の記載や沿線の各駅舎写真を抽出する事前調査で判明した。本日の路線は、日本横断歩き鉄の旅シーズの第22編(武蔵野線・京葉線)で搭載を予定している。

また、この路線はわいわい会(高松一高同窓の歩き会)でも、次の通り実施。しかし、コロナ禍で中止した区間がある。本日の歩きは、わいわい会主幹事としてそのリベンジでもある。昨日が第83回わいわい会の予定日であったのを思い出し、本日の歩きを急遽思いついた。

本日のコースは冒頭で記載の通り、踏破済であるが、20年余経過のため全く記憶なし。ただし、微かに荒川越えに苦労した記憶が残っていた。本日の歩きは、20年前に歩いた区間もあり、事前調査や地図なしで臨む。そのため、地元の人に助けて頂くケースが多々発生した。本日の到着時刻は次の通り。

東川口(9:20)〜東浦和(10:45)〜南浦和(11:56)〜武蔵浦和(12:52)〜西浦和(13:37)〜北朝霞(15:55)〜新座(17:05)

①本日は登戸駅から南武線で府中本町まで移動し、そこから武蔵野線で東川口駅まで移動する。府中本町で8時26分発の”むさしの号(大宮行き快速)”に乗車する珍しい機会に出会う。武蔵野線で快速登場は新しい発見!!この快速は府中本町から北朝霞までは各駅停車であったが、北朝霞から武蔵野線の軌道を外れ、ノンストップの大宮行きとなった。それ故、北朝霞から乗り換えが必要であった。

※東川口駅

②東川口駅に到着するや、第76回わいわい会(2019年11月30日(土))で上がりとなった懐かしい思い出が蘇る。10分位堪能した後、東川口駅を目指す。今日の歩きは、武蔵野線の独特の駅舎ネーミングの頭に東西南北が付く駅舎のオンパレードとなった。本日は地図を持参しない歩きであったので、”鉄道案内人”である電柱や線路を適宜確認しながら進む。9時53分、24歩ある二つ橋(見沼代用水路東縁)を渡る。その先に川口自然公園があった。9時57分、見沼橋を渡る。10時2分、鉄道を跨ぎ、鉄道の左側となる。もうそろそろ東浦和駅と思ったが、ここから東浦和駅遠し。地元の人のお世話になり、右往左往しながらの歩きとなる。武蔵野線はかつて貨物路線であったこともあり、鉄道に沿った幹線道路がない。それ故、鉄道案内人と第六感を頼りに、くねくねした路地をつなぎながら歩くことを余儀なくされ、終日にわたり歩きの醍醐味を楽しむことになる。

※二ツ橋、川口自然公園、見沼橋

※水神社、東浦和駅

10時30分、水神社に本日の安全を祈願する。その先にある80歩ある八丁橋(芝川)を渡る。見沼橋界隈で教えて頂いた通り、幹線道路に武蔵野線が道路下で交差していた。やっと本日最初の東浦和駅(10時45分)する。少し無駄な動きもあり、営業キロ3.8㎞に1時間25分要する。

➂東浦和駅から鉄道の右側を歩く。11時15〜11時28分にかけ、”行き止まり”という看板を見て、鉄道の左右を歩くという無駄な動きをする。11時38分、高架したJR線下を潜り、鉄道の右側となる。11時40分、135歩ある上きつね橋(藤右衛門川)を渡る。11時47分、JR線を潜り、鉄道の右側となる。道なりに歩いた先に南浦和駅(11時56分)があった。駅前には、2019年11月30日(土)、第76回わいわい会の二次会で立ち寄った、懐かしい”不二家”があった。12時少し前に東口から西口に移動する。運よく12時少し前であったため、生蕎麦いろり庵”きらく”に立ち寄りランチタイムとする。後編に続く!!

※南浦和駅への路

南浦和駅(東口)、駅前の懐かしい”不二家”

※東口から西口に移動、昼食の蕎麦屋、南浦和駅(西口)

実りある”みどり生命”退職!!感謝また感謝

投稿日:2021年09月24日

2021年9月24日(金)快晴、みどり生命に2016年4月1日(金)入社以来5年半お世話になり、本日の朝の青空のように一点の曇りない清々しい気持ちで本日退職日を迎えることができる。また、1973年4月2日(月)フコク生命に入社して以来通算48年6カ月、お蔭様で一日の空き時間もなく、大過ない効率的な連続関数で本日を迎える。天や神、そしてフコク生命(38年間)、フコクしんらい生命(5年間)、みどり生命(5年間半)の皆様に感謝また感謝。

アクチュアリーを軸とするサラリーマン人生において、みどり生命入社前は多少不燃焼感があったが、みどり生命のいい環境・いい仲間にも恵まれ、それが脱却された。また、より一層のスキルアップにも繋がった。

※感謝感激!!玄関先まで見送つて頂く

一方、みどり生命在職期間中に、仕事以外の”鉄道つたい歩き”面でも、5年間半で地球の円周の1割に相当する4,078㎞(歩き日数184日)を上積みし、通算営業キロは1万2千535km(歩き日数609日、日本の鉄道の45.3%、観測期間21年5カ月)となった。この通算営業キロは、地球の直径相当、また日本列島の宗谷岬から与那国島までの距離(3,142km)の2往復に相当する。二足歩行でこのような記録が樹立できるとは、夢のようだ。

加えて特筆すべき点は、稚内から鹿児島までの日本縦断達成(2017年5月)、全国47都道府県の歩き展開(2021年2月)、これまでの鉄道つたい歩き実績を系統的にPDF著書3作(書籍4冊を含め通算7作)にまとめ、国立国会図書館に納本(通算7作目は2021年9月)と思い出に残るイベントを達成した。なお、PDF三作品は、国立国会図書館の施設内(東京本館、関西館、国際子ども図書館)の他、カッシー館でも閲覧できる。

※お世話になった”みどり生命”の仲間

いずれにしても実り多い5年間半のみどり生命であった。感謝の気持ちで一杯となる。

人生100年の時代!!みどり生命退職後も、私の人生哲学のひとつである遊学働を一日でも長く続け、金字塔の一つである1万5千キロに向けて頑張りたいものである。また、著書の方も通算8作目以降の納本を目指し頑張りたいものである。すなわち、これからも2019年7月に開設した”かしはら数理計算事務所”の下、歩く鉄道作家(遊)歩く講師(学)歩くアクチュアリー(働)をスローガンにして頑張りたいものである。

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みどり生命退職の情報を何人かの友人にSMSやSNSで発信したところ、沢山の方から心温まるメッセージを恵送頂きました。感謝と感激で一杯になりました。その一部を抜粋してご紹介させて頂きます。

〇樫原さん、長い間みどりのお力になって頂き、本当に感謝しております。みどりの進化は樫原さん達前任者の方々が頑張って頂いたからこそだと思っています。これからも全国を廻れるようにお身体に気をつけてお過ごしください。ありがとうございました(^^)

〇長い旅がおわり、本当にお疲れさまでした。生涯現役でしたね。ゆっくり休んでから、今後のありようを考えてください。コロナ収束後は夫婦で世界旅行でもやってください。

〇お疲れさまでした。今後のご活躍とご健康を祈念しております。また、ライフワークの密度がいっそう濃くなりそうで、楽しみです。

〇48年6ヵ月長い間お仕事お疲れ様てした(!)人生100年時代これからも楽しく体には気をつけながら1万5千キロに向けて頑張ってください(!)

〇永年の勤務、全国的行脚お疲れさまでした。今後もお元気で。

〇長い間ご苦労様でした。良い趣味を沢山作って楽しい毎日を過ごしてさい。退職すると急に気力、体力が落ちるのでご自愛ください。また会えるのを楽しみにしています。

〇カッシー館見ました。これからやり放題ですね。元気で頑張ってください。私も元気で頑張ります。^_^

〇永い間のお勤めご苦労様でした。遊学慟 期待しています。これからも頑張って

〇それは素晴らしい。高スキルの方は休ませてくれないですね。

〇お疲れ様でした。本当に人生のお手本を見せて貰っているようです‼️これからもいろいろ課題を見つけて、チャレンジなさいます事 確信致しております!✴️今後とも宜しくご指導下さい❕

〇長い間お疲れ様でした。健康に産んで下さったご両親に感謝ですね。これからも最終目的に向かって頑張って下さいね。

〇そうですか、長い間頑張りましたね✴ご苦労さまでした遊学働の遥かな道はなお続くのでしょう!元気一杯に前進されることを祈念するや切!!

〇はい!頑張ってください。カッシー館見ましたよ。実は現役で働いておられるとは思っていませんでした。お疲れ様でした(おつかれさま)

〇カッシー館拝見しました。スキルアップ出来たとのコメントには恐れ入りました。長年のお勤め、お疲れ様でした。

〇お疲れ様でしたね❗よく頑張りました。樫原さん、あなたは偉い‼バックアップした奥さまも立派❗まだまだ長い人生を頑張っていきましょう‼

〇みどり生命の次は?一層のご活躍をお祈りしています。

〇カッシー館、拝見させて頂きました。五年半お疲れさまでした。5年半で4,078キロも鉄道歩きをされたんですね。樫原さんの仕事と趣味を両立させ、楽しんでおられる姿は私の憧れる人生そのものです。これからも変わることなくお元気でいてください。今後もカッシー館ブログ更新を楽しみにしてますね。今までありがとうございました。

〇生命保険勤続48年6か月、大変お疲れさまでした。会社勤務が区切りがついたとは言え、個人事務所の仕事、アクチュアリー講師がありますので、まだまだ、現役で攻め続けてください。僕もみどりでお世話になり、4年6か月となりました。来月に還暦を迎えますが、樫原さんを見習い、遊・学・働で頑張っていきます。今後ともよろしくお願いします。

〇長い間大変お疲れさまでした。今後はお身体に気をつけて「鉄道つたい歩き」を楽しんでくださいね〜お酒は程々にですよ〜

〇長い間お疲れ様でした。これからも元気でご活躍ください。

〇お疲れ様でした。自己管理に留意して下さい!

〇長い間お疲れ様でした。健康で無事満了の時を迎えられて良かったですね。おめでとうございます。まだ仕事は現役なのですね。凄い。日本経済の一翼を担っていますね。頑張って!!

〇お疲れ様です。寂しいですね。でも逆に自由な時間が増えて良いのかな?私は家庭菜園を満喫しています?

〇カッシー館ブログ拝見しました。多くの方たちからの激励やメッセージを貰って喜ばしい限りですね。奥様には1番の感謝でしょうか?明日から娘達と蓼科高原に2泊旅行です。楽しみです。

〇半世紀近くのお勤め、お疲れさまでした。お勤めと歩く鉄道旅行作家を続けていらっしゃったわけですが、ある意味これからは、執筆活動に専念できますね!鉄道沿線伝い歩きの計画にも、日程調整が自由に組むことが可能となったのでは?カッシーの行動力をもって歩けば、今後の踏破記録の上乗せに、期待がかかります!これからも、カッシー館から、目を離せません。ますますのご活躍を期待しております。

〇長い間お疲れ様。元気で退職できたことが最大の幸せです。これから、まだまだ長い人生、新しい趣味等も見つけてください。奥様をお大事に!

奥羽本線の旅!!その7(弘前公園散策)

投稿日:2021年09月15日

2021年9月4日(土)晴れ、6天気にも恵まれた、6泊7日の奥羽本線の旅も本日で締めとなった。本日の主な流れは、次の通り。ただし、9月1日(水)からコロナ禍の影響で、弘前公園内の諸施設は全て閉館で鑑賞できなかった。誠に残念!!

※植物園、丑寅櫓

※弘前公園からの岩木山

〇6時頃:荷物をホテルロビーで宅急便手配、駅前散策

〇6時半頃:ホテルで朝食

〇8時頃:チェックアウト(リュックをホテルに預かってもらう)

※旬の味”甚平”、お世話になりました”東横イン”

〇8時20分頃:タクシーで弘前公園へ

〇8時30分〜9時55分:弘前公園散策

※追手門

※杉の大橋、南内門

※弘前城

※鷹丘橋、子の櫓

※弘前市古木名木(日本最古級のソメイヨシノ)

※東門

〇10時10分頃:タクシーで弘前駅に戻り、リュックの受取

〇10時20分〜11時10分:ミスタードーナツで一服

〇11時39分:弘前駅舎散策後、新青森駅へ移動

※弘前駅散策

※弘前駅

※弘前駅

〇13時16分:新青森駅散策と駅弁買い出し後、はやぶさ26号で家路へ

※新青森駅

※駅弁を食べながら祝杯!!

※大宮駅

今回の旅にて青森〜出雲市がつながったし、金字塔の一つである「本州一周まで出雲市〜幡生までの営業キロ289.2㎞」となった。歩く鉄道作家として、近い将来是非実現したいものだ。旅はいいものですね!!

奥羽本線の旅!!その6(青森〜弘前)後編

投稿日:2021年09月14日

④7号線に合流する。11時14分、秋田185㎞、弘前26㎞、藤崎19㎞と記した道路標識前を通過。11時28分、温度計は24℃であった。引き続き山間が続く。11時40分、鉄道の左側となる。12時11分、鉄道の右側となる。12時16分、大釈迦駅に到着する。丁度4両編の弘前方面の列車がやって来る。

※大釈迦駅

※大釈迦駅

⑤12時40分、只今の気温は25℃であった。いつの間にか山間から平野部分となる。12時46分、秋田180km、弘前21㎞、藤崎14㎞と記した道路標識前を通過する。12時55分、遠くに岩木山が見える。13時4分、高屋敷館遺跡前(国指定遺跡)を通過する。13時33分、秋田177㎞、弘前18㎞、弘前11㎞と記した道路標識前を通過。その先に道の駅”なみおか”(小規模)があった。この道の駅には立ち寄らず。13時40分、226歩ある新浪岡橋を渡る。構内のトンネル通路を潜り、鉄道の左側となる。浪岡駅には13時58分到着。

※浪岡駅への路、高屋敷館遺跡

※浪岡駅への通路、浪岡駅

※浪岡駅

⑥線路に沿って淡々と歩く。14時18分、JR線を跨ぎ、鉄道の右側となる。14時22分、7号線に出る。ここから岩木山を鑑賞しながら弘前駅に向かう。15時12分、八幡宮で本日の安全を祈願する。15時16分、青森市から藤崎町となる。15時31分、水木踏切を横切り、鉄道の左側となる。その先に藤崎町立明徳中学校があった。15時40分、北常盤駅に到着。それにしても、北常盤駅の看板を見つけて遠かった。もし、北常盤駅への看板を見逃していたら、一箇所所定の交差点を左折していなければ未踏破となっていたであろう。日没後にはこの駅の踏破は難しく思えた。

※北常盤駅への路、遠くに特急”つがる”、岩木山

※八幡宮、水木踏切

※北常盤駅、岩木山

※黄金の稲穂と岩木山を背景にして、夕暮れの岩木山

⑦岩木山を鑑賞しながら、淡々と鉄道に沿って左側を歩く。16時37分、稲荷神社前を通過。右手に川部駅が見えるが踏切が見当たらず。300m位歩いた先にやっと鉄道を跨ぐ陸橋がある。この橋から螺旋階段を経由し、鉄道に沿って歩いた先に川部駅(16時55分)があった。この駅には五能線(非電化単線)が接続されていた。

※境森、海の様な雲、川部駅への陸橋(正面岩木山)

※螺旋状階段、川部駅

※川部駅への路、撫牛子駅への路

⑧螺旋階段を上り、陸橋を渡り、17時4分先程の交差点に戻る。ここから岩木山の夕暮れを楽しむ。17時7分、人生の大事なキーワードと思われる標識があり、「感謝・慎み・たすけあい」をメモする。17時10分、万歩計で260歩ある浅瀬石川を渡る。ここから眺める夕方の岩木山は風情あり。17時30分、JR線を跨ぎ鉄道の右側となる。17時45分、362歩ある平川(豊平橋)を渡る。藤崎町から弘前市となる。辺りは少し暗くなる。ラッシュによる車に注意しながら進む。撫牛子駅の看板は見つけたが、矢印方向の解釈が分からず、地元の人の力をかりてやっと18時10分、撫牛子駅に到着。丁度、弘前方面の電車がやって来る。

※夕暮れの岩木山堪能

※撫牛子駅への路、藤崎町から弘前市へ

※撫牛子駅

※撫牛子駅とその界隈

⑨弘前駅への道筋は、ほぼ一本路であった。淡々と歩く。遠くに青色の活字の東横イン弘前駅が見えて来る。安堵する。この青い光は目立つ。2012年6月の東横イン盛岡のネオンを思い出した。弘前駅には19時到着する。弘前駅の駅員さんに、「青森〜出雲市つながる」をメモした用紙を掲げて弘前駅改札口前で記念写真を撮って頂く。感謝感激で一杯となる。

※弘前駅への路、弘前駅

※弘前駅

⑩ホテルで汗を流した後、昨日お邪魔した旬の味”甚平”に参上し、本日の疲れを癒す。記念に甚平前でもマスターと一緒の写真を撮って頂く。久し振りに営業キロ37㎞を歩いて疲れたが、青森から出雲市までの営業キロ1,315.4kmが繋がり節目の一日になった。また、 歩きよし、風景よし、酒よし、料理よし、友よしで充実した一日を過ごすことができた。天や神、そして地元の人に感謝の気持ちで一杯となる。旅は良いものですね。

※甚平にて

奥羽本線の旅!!その6(青森〜弘前)前編

投稿日:2021年09月14日

2021年9月3日(金)晴れ、奥羽本線の旅の6日目は、青森駅から弘前駅までの37.4㎞に挑戦する。当初のウォーキングは新青森駅から弘前駅までが9月3日、青森駅から新青森駅までが9月4日と、二日に分けて予定していたが、安全面と明日ゆったり観光に専念したいことから前倒しとした。それ故、弘前発の出発時刻を7時26分から5時26分の始発に繰り上げる。一日営業キロ37㎞超えは、2019年6月6日(土)の北陸本線(南今庄〜福井:37.4㎞)以来である。そのため、久し振りにプレッシャーを感じたが、一方では、時間に追われない歩きを展開できた。

※いざ出陣、弘前駅

※弘前駅

本日の歩きは、アンラッキーにも心配する事態が的中した。すなわち、青森駅から新青森駅の間でロスタイムの事態が発生したからだ。変更前であれば、復路の新幹線の時刻が気になり、本日のような平常心で臨めないだろう。主要駅の場合、色な路線が乗り入れて来る。それで、路線の方向性を誤り、路に迷うケースが発生する。2007年3月、東海道本線の名古屋駅から尾頭橋駅に向かう際、誤って関西本線の八田駅に向かった。また、2017年6月、白新線の大形駅から新潟駅に向かう際、誤って信越本線の越後石山駅方面に向かった。

※青森駅東口

本日は昨日と同様、浪岡駅界隈から岩木山を堪能しながら歩く。地図(レールウエイマップル)を見る限りでは、本日の路線は青森から川部までが単線、川部から弘前までが複線となっていた。各駅舎立ち寄り時刻は次の通り。

青森(6:36)〜新青森(8:13)〜津軽新城(9:04)~鶴ヶ坂(10:35)〜大釈迦(12:16)〜浪岡(13:58)〜北常盤(15:40)~川部(16:55)〜撫牛子(ないじょうし、18:10)〜弘前(19:00)

①青森駅の足の踏み入れは、記録を紐解くと2012年6月14日(木)以来となっており、6時9分、青森駅に到着するや否や、懐かしくなる。この時は青い森鉄道(青森〜目時:121.9㎞)とIGRいわて銀河鉄道(目時~盛岡:82.0㎞)を2012年6月13日(水)から6月19日(火)にかけて歩いた。営業キロ203.9㎞を7日で踏破した。今から考えると驚異的な数値で自分でもビックリ。青森駅東口の駅舎風景は9年前と全く異なり、現在工事中であった。青い森鉄道、東横イン、八甲田丸などを見ると、9年前が昨日のように思い出された。懐かしさの余り、30分位、青森駅界隈を散策。

※青森港散策、八甲田丸

※青森駅前と青森駅

※青森駅

青森駅西口、特に青森駅東口

駅舎内の通路を経由し、6時36分、青森駅東口から西口に移動し、新青森駅に向かう。7時13分、誤って地図を解釈したため、古川跨線橋で弘前・藤崎の道路標識を見たにも関わらず、反対方向に進行する。誤って青い森鉄道の筒井駅方面に進もうとしていた。地元の人に「新青森方面の道筋」をお伺いして大正解であった。「とんでもない方向に来ていますよ。新青森駅は国道7号線に戻るのが一番わかりやすいですよ。」と教えて頂き、国道7号線に繋がる古川跨線橋(7時13分)まで戻る。道筋を教えて頂いた方が、親切にもフォローのため、自転車で追い掛けて来て頂く。温もりを強く感じた。このような事例は本年6月、羽越本線の村上駅界隈でもあった。感謝また感謝の気持ちで一杯となった。この橋の中央辺りから、八戸方面に向かう青い森鉄道と弘前方面に向かう奥羽本線がこの橋下を起点として双曲線状に走っていた。20分位ロスタイムが生じたが、やっと原因究明できホットする。

※誤って青い森鉄道の方向に

※青い森鉄道路線、奥羽本線

ここからも誤って津軽線に進行しないよう用心深く歩く。正解は国道7号線を直進すべきところ、地図の解釈を誤り、国道7号線を離れ、色々な脇道を繋ぎながら新青森駅に向かう。7時31分、秋田200㎞、弘前38㎞、藤崎31㎞と記した道路標識前を通過。7時38分、脇道に踏み入れたため道路下を潜る。7時51分、やっと川沿いの脇道から脱出し、国道7号線に合流し、地図での現在地を確認できる。津軽線進行への不安は解消され安堵する。国道7号線を直進し、新青森駅には8時13分到着。営業キロ3.9㎞に73分要す。今から考えると、青森=新青森間は今回の旅で一番面白い区間であった。まるで難解なパズルや数学の問題を解くような体験をしたからだ。

※新青森駅への路

※新青森駅への路、新青森駅

新青森駅

※新青森駅

②新青森駅で17分散策し、8時30分、津軽新城駅を目指す。8時36分、石上踏切を渡るか否か右往左往するが、地図の道筋に従い渡ることにする。鉄道の左側となる。淡々と歩く。9時2分、新城坂踏切を横切って、鉄道の右側となる。その先に津軽新城駅(9時4分)があった。

※石上踏切、津軽新城駅、新城坂踏切

※津軽新城駅

※津軽新城駅、新城坂踏切(つがる通過待ち)

➂津軽新城駅界隈は丘となっており、通り抜ける道筋がないと判断し、先程の踏切を再度横切り鉄道の左側(9時17分)となる。丁度この踏切を秋田方面に向かって特急”つがる”が通過して行く。9時31分、山道の上り坂を歩く。9時33分、白旗野跨線橋を跨ぎ、鉄道の右側となる。10時30分、秋田190㎞、弘前28㎞と記した道路標識前を通過。鶴ヶ坂駅には10時35分到着。後編に続く!!

※鶴ヶ坂駅

※鶴ヶ坂駅

※鶴ヶ坂駅

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