山陰本線の旅!!その5(赤碕~米子)後編

投稿日:2020年08月16日

⑥淀市駅への道筋は、一時パニックに陥る場面にも遭遇したが、冷静な対応により急場を凌ぐ。13時46分、末長踏切を横切り鉄道の右側に出る。13時48分、大山西中学校前を通過。県道242号に出る。14時14分、壹宮神社があった。本日の安全を祈願する。しかし、この界隈で道路が途切れ、右往左往する。遠くには高速道路や水田地帯があり、「遠回りによるリカバリーしか、対応方法がないのか」と自問自答する。辺りには住人の姿はない。しかし、運よく左手方向に鉄道に沿うような道筋を発見し、その道筋に近づくよう方向転換する。この決断は大成功。少し歩いた先に安原第1踏切(14時29分)があった。この踏切を横切り、鉄道の左側を歩く。運よく、鉄道に沿った路筋が水田地帯に展開されていた。淡々と歩く。14時49分、長田踏切を横切って、鉄道の右側を歩いた先に淀江駅があった。

※淀江駅への路、壹宮神社、安原第1踏切

※鉄道に沿った水田地帯を歩く、長田踏切、淀江踏切

⑦ここからは、民家が立ち並ぶ道筋を歩き、伯耆大山駅を目指す。15時18分、淀江中学校前を通過。15時25分、日吉神社前を通過。16時3分、71歩あるさだ橋辺りでカラス群団と遭遇する。手を叩くとビックリして電線から電線への移動。5分位不気味な光景が続くが、心身ともに疲れた体を多少癒してくれた。伯耆大山駅界隈で伯備線の合流があり、複雑な地形となり、右往左往する場面が生じる。しかし、地元の人の応援を得て、何とか難解な道筋から開放される。16時51分、王子第一踏切を横切り、鉄道の右側となる。数分引き返した先に、伯耆大山駅(16時58分)があった。この駅から出雲市駅から一駅行った西出雲駅まで電化されていた。同時に安来駅まで複線となっていた。

※日吉神社、下り方面車両、鳥取方面のバス

※伯耆大山駅

⑧17時8分、先程通過した大山道路踏切を横切り、鉄道の右側となる。17時27分、日野橋(日野川)を横切る。17時30分、上り特急と対面する。17時45分、貴布禰(きぶね)神社前を通過する。それにしても日本には神社仏閣が多いのにビックリした。八幡、稲荷、日吉、諏訪などなど。17時47分、車尾小学校前を通過。商店街をひたすら歩く。やっと米川踏切を横切った先に東山公園(18時2分)があった。この駅は、米川を跨いで駅舎があり、近くには運動施設があった。

※鉄道に沿ってつたい歩き、日野橋、疲れから脱出しつつある我が画像

※米川踏切、東山公園駅

⑨ここからは街並みを歩き、米子駅を目指す。18時20分、勝田神社前を通過。途中境港駅に向かう境線の鉄道を横切る。踏切の近くに博労町駅があった。米子市の素晴らしい街並みを直進し、米子駅には18時39分到着する。東横インでチェックインし、汗を流した後、ホテルの紹介を得て、居酒屋”太平記”に向かう。空き時間を利用し、マスターと旅に関し、話す期間を得る。また、帰りに記念写真を撮る機会を得る。至福のひと時であった。

※勝田神社、博労駅、米子の街並み

※米子駅

※太平記で祝杯!!

(調査したところ、鳥取県は、鳥取市、倉吉市、米子市、そして境港市の4つの市と湯梨浜町、北栄町、琴浦町、大山町などから構成。) 続く!!

山陰本線の旅!!その5(赤碕~米子)前編

投稿日:2020年08月15日

※朝の鳥取駅、鳥取方面の車両

2020年8月2日(日)晴れ、山陰本線の旅の第5弾は、赤碕から米子までの営業キロ31.7㎞に挑戦する。本日から、出雲市までの3日間の歩き旅は、特に炎天下の中リュックを背負っての厳しい環境下のため、事前にカッシー館でも発信したように、100%踏破できる自信は全くなかった。また、20年前と比べて、体力や歩行速度も相当劣化している。更に、この区間は全く下見はしていない。

※赤碕駅、赤碕駅界隈

それ故、我が体力と炎天下の環境を配慮しながら、臨機応変に適宜歩けばいいと「気楽な気分」で臨んだ。このリラックスした気分と一歩一歩真摯に受け止めた丁寧な対応(推敲を重ねた旅行プラン創り)が功を奏し、三日の旅、運よく”予定通り歩き終えるという”成功の目が出る結果となった。(この考えが功を奏し、今回の9泊10日の旅で有言実行ができる。)一方では、山間や海岸線の歩きの区間が多かったため、歩く環境に恵まれた。天や神に感謝あるのみ。このように三日間、赤碕から出雲市までの営業キロ93.3㎞を鉄道を利用せずに、ひたすら歩き続ける旅は、今回が初めてある

※トウモロコシ畑、堅忍橋、伯耆大山

唯一、助け舟となったのは、歩きの終点が列車には一切乗らないでホテル直行コースのため、時間との戦いから免れたこと。本日も7月31日(金)と同様始発のため、ホテルで朝食をとらずに臨む。各駅舎の到着時刻は次の通り。

赤碕(6:51)〜中山口(8:44)〜下市(9:33)~御来屋(11:25)〜名和(12:02)〜大山口(13:36)〜淀市(14:55)~伯耆大山(16:58)〜東山公園(18:02)~米子(18:39)

①開業100周年記念駅舎(明治38年8月28日開業)である赤碕駅を皮切りに、左手に伯耆大山を眺めながら、中山口駅を目指す。この区間、国道9号線には合流せず、鉄道に沿った幹線道路を歩く方針で臨む。7時2分、赤碕中学校がある。橋名で印象に残る二つの小橋を渡る。万歩計で53歩ある持久橋(7時17分)と34歩ある堅忍橋(7時33分)。涼しい心地よい山間と水田地帯を淡々と歩く。7時40分、琴浦町から大山町となり、伯耆大山が少し近づいたような気がする。8時7分、樋口交差点に到達する。こかから右折し、ほぼ直進先にある中山口駅を目指す。しかし、目印の頭上にあるJR鉄道を見損じ、直進し過ぎて国道9号線に出る。ナビでリカバリーしょうとするが、上手く作動せず。それで近くにある石油スタンドを尋ね、リカバリーへの道筋をお伺いする。20分位ロスし、やっと中山口駅(8時44分)に到着する。

※樋口交差点、中山口駅方面から観た伯耆大山、中山口駅への路(リカバリー後)

※中山口駅

②8時58分、100歩ある赤坂橋を渡る。9時5分、中山中学校前を通過。国道9号線には出ず、鉄道に沿ったくねくねした道筋をつたい歩きする。下市駅が見えるが中々、線路を横切る踏切が見当たらない。300~400m位歩いた先に、上市第一踏切がある。この踏切を横切り、鉄道の右側に出る。鉄道に沿って歩い先に下市駅(9時33分)があった。駅舎内にある喫茶”ニコ”で10分位コーヒータイムとする。その時間を利用し、従業員の方と”全国鉄道つたい歩き”に関し、話す機会と記念写真を撮る機会を得る。感謝また感謝の至福のひと時であった。

※下市駅への路

※下市駅

※喫茶店”ニコ”で至福のひと時

➂10時7分、国道9号線(松河原交差点)に合流し淡々と歩く。10時30分、浜田175㎞、松江55㎞、米子23㎞地点に到達。11時14分、御来屋変電所の近郊より、鉄道に沿った路筋に切り替える。数分歩いた先にに「山陰最古の駅舎」と記した御来屋駅(みくりや)があった。

※御来屋への路、御来屋駅

④御来屋駅から少し行った先で、誤って鉄道を横切った道筋を進もうとする。何となく変だと思い、地図などを確認しミスを阻止する。10分位ロスタイムが生じる。11時43分、国道9号線に合流する。その先に大山町役場があった。名和駅はニッチな分かりにくい場所にあり、もう少しで通り過ぎるところであった。これまでの第六感が作動し、ミスを阻止する。国道に沿った高台(10m位)に駅舎があるのが判明したが、中々高台に上る道筋を発見できず。右往左往し、やっと高台に上る道筋を発見し、名和駅には12時2分到着する。狭い粗末な空間に駅舎があった。

※粗末な駅舎”名和駅”

⑤人が通らないような道筋を下り、国道9号線に戻る。12時33分、浜田169㎞、松江49㎞、米子17㎞地点に到達。海岸線や水田地帯が続く国道を淡々歩く。運よく、地図にある国道から分岐し大山口駅に繋がる道筋を見つけ直進する。13時26分、JR線を跨ぎ鉄道の左側に出る。道なりに歩いた先に大山口駅(13時36分)があった。駅舎名の通り、伯耆大山への登り口があった。

※大山口駅への路、大山口駅、大山口駅前

(その5)後編に続く!!

山陰本線の旅!!その4(泊~鳥取)

投稿日:2020年08月14日

2020年8月1日(土)晴れ、山陰本線の旅の第4弾は、泊から鳥取までの営業キロ28.6㎞に挑戦する。本日鳥取駅で乗車する出発時刻は8時6分であったので、東横インでゆっくり朝食を済ませての挑戦となる。昨日は本来ならば夏休みのため高校生の姿が少ないと思われたが、コロナによる影響で夏休みを返上して授業があったのか多かった。しかし、本日は土日で、列車に乗る時間帯も遅めであったため、学生の姿は殆ど見受けられなかった。

※泊駅

本日は昨日と大きく異なり、線路が山間から山間と続き、鉄道が国道9号線に沿っていなく、鋸型に歩くことを余儀なくされた。後で振り返ると、昨日のコースと好対照で、本日のコースが一番難しかった。それ故、随所で路に迷う、大回りをするという、ウォーキングの醍醐味を堪能する一日であった。結果的には、昨日、営業距離を5.7㎞前倒していたのが功を奏した。苦しい一日であったが、一方では達成感を一番感じる一日でもあった。

幸いなことに、身軽やリュックなしの歩きで、終点が時間の制約を受けない鳥取駅であったので、リラックスした環境で終始歩くことができた。各駅舎の立ち寄り時刻は次の通り。

泊(9:09)〜青谷(11:14)〜浜村(13:10)〜宝木(14:21)〜末恒(16:10)〜鳥取大学前(17:06)〜湖山(17:51)〜鳥取(19:15)

①泊駅から青谷駅までの歩きは、運よく国道9号線からの分岐点を発見でき、山間から出て来る鉄道(9時56分、上りコナンの画像がある列車)を見つけ順調な滑り出しだった。しかし、10時56分、勝部踏切を400m位先に駅舎を見つけるが、途中工場などがあり中々青谷駅に到着できず。15分大回りして、やっと日置川踏切を横切って行った先に青谷駅(11時14分)があった。狐に化かされたような約30分間であった。

※青谷駅への路

※右手にJR線を発見!!、勝部踏切

※遠回りの道筋、日置川踏切、青谷駅

②浜村駅への路は、地元の人にお伺いしたところ、近道の道筋もあったとのことであった。しかし、地図を見る限り、国道9号線(11時38分合流)に戻って踏破するのが王道だと思い、このコースを選定する。国道まで1.5㎞位鋸型に歩くことを余儀なくされる。青谷駅から暫く歩くと新青谷大橋(日置川)があった。12時1分、京都から230㎞地点に到達。その先に日本海の風光明媚を眺めるスポット「魚見台」があった。12時18分、右手にJR線路を確認する。12時53分、八幡神社で本日の安全を祈願する。駅前に浜村温泉の看板がある浜村駅には13時10分到着。

※青谷駅、日置川、京都まで230㎞地点

※魚見台、浜村駅への脇路に切り替え、八幡神社

※浜村駅、懐かしい”フコク生命のたばこ広告”

➂宝木(ほうぎ)駅への路も国道9号線に戻ってからの挑戦となる。14時4分、万歩計で161歩ある宝木橋の辺りで、運よく地元の人に宝木駅への道筋を確認する機会を得る。「500m位歩いた先のホームセンターを右折して直進した先に宝木駅がある」とのことであった。14時21分、宝木郵便局を通り過ぎた先に宝木駅があった。

※宝木橋、宝木駅、白兎の旗

④末恒駅への道筋も国道9号線に戻ってからの挑戦となる。同じ道筋を歩き、ホームセンターがある地点まで引き返す。14時33分、京都223㎞、豊岡116㎞、鳥取16㎞の地点に到達。次の4つのトンネルを経由しての歩きとなる。(1)酒ノ津第二トンネル(14時45分到達、201m)(2)酒ノ津第二トンネル(14時54分到達、292m)(3)水尻トンネル(15時10分到達、100m)(4)白兎トンネル(15時26分到達、145m)

このトンネルを出ると、神話の里”白うさぎ道の駅”があった。白兎の丘など風光明媚な海岸線が続いていた。15時50分、京都218㎞、豊岡111㎞、鳥取12㎞の地点に到達。16時6分、末恒小学校の先に末恒駅(16時10分)があった。

※白兎の像、末恒駅

⑤国道9号線に16時22分戻る。16時26分、中の茶屋交差点に到達。道なりに淡々と歩く。国道から3m位上がったところに鳥取大学前駅(17時6分)があった。時刻表をみると、特急停車の駅となっていた。この駅は比較的新しい駅舎と察知した。

※鳥取大学前駅

⑥湖山駅の道筋は、道路標識に惑わされ、迷路に突入する。何人もの地元の人の応援を得て、やっとリカバーできる。これまでの体験から、一度迷路に入ると現在地点を見失いパニックとなり、中々迷路から脱出できない。この場合、周りの地図の位置付けを見失っている関係で、ナビは余り頼りにはならない。17時47分、山王道踏切を横切って鉄道の左側に出る。その道なりに歩いた先に湖山駅(17時51分)があった。営業キロ1.3㎞に45分もの所要時間を要する。しかし、パズルを解くような面白い行程であった。

※湖山川、山王道踏切、湖山駅

⑦一方、鳥取駅への道筋は難しいと思ったが、ナビによる解明で、地元の人の応援なく踏破できる。簡単な湖山駅への道筋と好対照であった。18時31分、万歩計で525歩ある八千代橋(千代川:311m)を渡る。これまでの体験で、大きな駅舎には必ず川という障害物がある。ここでもそのルールが適用された。終着の鳥取駅には19時15分到着。ホテルで汗を流したあと、「三顧の礼」と称し、昨日に引き続き”くさかべ”に出向き、本日の疲れを癒す。

※八千代橋、千代川に沿った土手、鳥取駅

続く!!

山陰本線の旅!!その3(赤碕~泊)

投稿日:2020年08月13日

※東横イン、鳥取駅

※鳥取駅

2020年7月31日(金)晴れ、山陰本線の旅の第3弾は、赤碕から泊までの営業キロ32.4㎞に挑戦する。当初は、鳥取6時36分発の「とっとりライナー(快速)」を考えていたが、真夏のウォーキングの環境下を鑑み、始発の5時26分に早める。同時に、松崎駅までとしていたのを営業キロ5.7㎞先にある泊駅に変更する。結果大成功であった。

※赤碕駅

本日の始発は、境港行きの4両編成(非電化)であった。山陰本線は京都~城崎温泉、伯耆大山〜西出雲が電化された区間で、その他の区間は非電化区間であった。非電化区間は、電柱がないので、鉄道つたい歩きにとっては、”電柱という鉄道案内人がいない”分踏破に苦労することが想定された。

本日のコースは、鉄道案内人としての電柱はなかったが、鉄道が概ね幹線道路に沿ってあり、無駄な動きが少なく踏破できた。今振り返って見ると、今回のシリーズ一番易しかったコースであったと思われる。各駅舎の立ち寄り時刻は次の通り。

赤碕(6:59)〜八橋(8:16)〜浦安(8:50)~由良(9:28)~下北条(11:48)〜倉吉(13:04)~松崎(14:56)〜泊(16:40)

今回の歩きで、車窓から下見ができた区間は、山陰本線(赤碕~鳥取)、宇野線(宇野~茶屋町)。その他の区間は、下見ができなく、直接本番となった。断片的な記憶であるが、泊、倉吉、由良の各駅で単線のため、鳥取方面の上り列車を待ち合わせる。また、松崎駅で暫く停車し、上り列車の待ち合わせもあった。

①平地にある赤碕に到着する否や、駅前の風景をデジカメに収めて、八橋駅を目指し淡々と歩く。7時12分、国道9号線に出る。7時20分、上り特急列車(スーパーまつかぜ2号)が通過して行く。7時29分、京都267㎞、鳥取59㎞、倉吉22㎞の道路標識を目にする。7時38分、琴浦町別所を通過。7時45分、道の駅ポート赤碕に面した風の丘で10分位の止まり、良き時代に設立された日韓の公園を散策する。この時間帯の温度計は25℃とあった。

※道の駅ポート赤碕、風の丘

②山の中にあると思った八橋駅には8時21分到着。駅舎はふれあいセンターに面していた。駅に面して八橋城跡があった。8時30分、観音様を目にする。そこから少し行った先に浦安駅があった。駅に面して交流センターがあった。9時7分、京都263㎞、豊岡157㎞。鳥取55㎞の道路標識前を通過。9時9分、因伯牛の里と記した和牛の像前を通過。9時22分、170歩ある加勢蛇橋を通過。少し行った先で、琴浦町から北栄町となる。

※八橋駅

※観音様、浦安駅、因伯牛の里

➂9時28分、コナン一色の由良駅(コナン駅)に到着する。ガイドブックによると、北栄町は、名探偵コナン(週刊少年サンデー連載中)の作者、青山剛昌先生の出身地とあった。それ故、コナンを前面に打ち出し、この界隈は、バス、標識などなどコナンと身近に出会うことができた。今回の旅の一つのよき思い出となった駅舎であった。

※コナン駅

※コナン一色

④11時16分下り特急電車を右手にする。11時48分、上り特急列車が停車している下北条駅に到着する。12時20分、北栄町から倉吉市となる。やっとコナンカラーから免れる。石破しげる氏の像を見かける。田園地帯を歩く。12時48分、541歩ある小田橋(天神川)を渡る。倉吉駅には13時4分到着。この駅は、これまで通過した中で、最も賑やかな駅であった。この駅で10分位、アイスを食べ火照った体を冷やす。倉吉とう名は、高校野球でよく聞いたので親しみを感じた。駅前の上井神社にお参りして、本日の安全を祈願する。

下北条駅、下北条駅界隈

※倉吉駅への路、倉吉駅

※上井神社、東郷湖

⑤13時40分、夏の風物詩の蝉の合唱を耳にする。9号線に合流するや否や、鳥取看護大学、鳥取短期大学の看板を目にする。森のせいもあり、辺りは涼しくなる。13時43分、倉吉市から湯梨浜町に入る。14時24分、東郷池(東郷湖)と記した看板前を通過。14時56分、東郷温泉とある松崎駅には14時56分到着。湖に面し、湯の華慈母観音があった。

※松崎駅

⑥山間の道筋を歩く。途中、鳥取への道筋は直進と右折の2進路があったが、鉄道に近づくという考え方から、後者を選択する。この選択は功を奏した。前方に朝目印の頭上の道路(16時36分)を見つける。この道路を潜った先に本日終着の泊駅(16時40分)に到着する。列車が5分位遅れていたこともあり、運よく、16時41分発の鳥取駅に間に合う。鳥取駅には、17時20分頃到着する。一風呂を浴び、昨日祝杯をあげた”くさかべ”に行き、本日の疲れを癒す。

※泊駅への路

※泊駅、鳥取駅

続く!!

山陰本線の旅!!その2(城崎温泉〜香住)

投稿日:2020年08月11日

※しののめ荘の朝食

7月30日(木)晴れ、山陰本線の旅の第2弾は、城崎温泉駅から香住駅までの営業キロ22㎞に挑戦する。ホテル8時過ぎにチェックアウトし、ホテルから10分先にある城崎温泉駅(8時14分)に立ち寄ってから竹野駅を目指すことにする。山越えや海岸線の歩きため、営業キロ22㎞に対し、8時間の所要時間を要した。各駅舎の立ち寄り時刻は次の通り。

※しののめ荘

城崎温泉(8:14)〜竹野(10:32)~佐津(13:30)~柴山(14:30)~香住(16:16)

※城崎温泉、温泉街

※一の湯、三柱神社、城崎中学校

※ときわ別館、山間を歩く

①城崎温泉の風情を楽しみながら、県道9号線をキープし、竹野駅を目指す。途中、外湯の一つで一番人気の「一の湯」があった。8時30分、山柱神社で本日の安全を祈願する。豊岡市立城崎中学校と目と鼻の先に、1月に利用した”ときわ別館”(8時40分)があった。8時50分、竹野市街6㎞の看板を目にする。この界隈のナンバープレートは姫路となっていた。8時55分、山間の中から電柱のない線路を見つけ、安堵する。9時3分、湯島跨線橋を横切り、鉄道の右側となる。9時34分、鋳物師戻峠に到達。その先に鋳物師戻トンネル(280m)があり、トンネルを出ると下り坂になる。10時10分、万歩計で169歩ある阿金谷橋(竹野川)を横切る。阿金谷踏切と竹野東踏切を横切った先に竹野駅があった。

※阿金谷橋(竹野川)、阿金谷踏切、竹野東踏切

※竹野駅、はさかり岩

※須井トンネル、風光明媚な海岸線

②竹野駅から香住駅までは、風光明媚な海岸線と山登りを併用しながら進む。これからの海岸線は、山陰海岸国立公園となっており、随所に名所旧跡があった。11時、切浜海水浴場の看板前に到達。しかし、海水浴場シーズンのたけなわにも関わらず、コロナの影響で人の気配は殆どなし。寂しい限りであった。一日でも早く収束してもらいいたいものだ。11時12分、須井トンネルの界隈にあった、天然記念物”はさかり岩”前を通過。自然の造りと思えない岩に感動また感動。

※頭上に鉄橋、山間から眺める海岸線、安木バス停(安木)

➂11時33分、豊岡市から香美町(兵庫県)となる。ここから、海岸線から山道となる。鉄道の線路を何度か横切りながら進む。12時8分、万歩計で100歩ある相谷トンネルを通過する。12時27分、下り坂となる。13時18分、124歩ある佐津川橋(佐津川)を渡る。13時26分、佐津踏切を渡っ先に佐津駅があった。200~300m位、行き過ぎていた。

※佐津川橋、佐津踏切、佐津駅

④13時45分、鳥取69㎞の道路標識を目にする。14時2分、245mある柴山トンネルを通過。トンネルの中は、火照った体を癒してくれた。14時23分、丹生大神社に遠くからお参りする。14時30分、柴山駅に到達。駅前の狭い道筋にも関わらず、大きなホテルがあるのにはビックリした。

※柴山駅

※香住駅への路

⑤地元の方から、駅から通り抜けができるという情報を聞いたので、引き返すのではなく、前進する。14時36分、鉄道下を潜り、鉄道の右側に出て、県道11号線に合流する。15時16分、68mある今子トンネル前に到達。香住の街並みが見えてくる。15時37分。一本松南交差点で頭上に鉄道を見つける。ここから、鉄道の右側をキープして、香住駅を目指す。何人もの地元の方に教えてもらいながら、くねくねした道筋を進む。本来ならば、夏休みで小学生児童には会うことはないのにもかかわらず、今年はコロナ影響で特別で、海水浴場に引き続き、異常事態の場面を目にする。やっと16時16分、香住駅に到着する。何とか16時46分発の列車に間に合いホットする。本日は時間との戦いでそれなりにプレッシャーもかかったが、これまでの20年余の体験(慌てず騒がず)が大きな援護射撃となった。

※今子トンネル、遠くに香住の街並み、香住駅近し

※香住駅

⑥香住から鳥取までは、乗り鉄を楽しむ。浜坂界隈と東浜から福部にかけては平野であったが、その他は山間が続いていた。これらの区間も歩きには相当手こずるなあと察知する。そんなことを考えているうちに、鳥取駅に到着する。鳥取は高校時代伯耆大山登山や鳥取砂丘観光以来2度目である。遠い昔の7月30日、7月31日の1泊2日の旅行を思い出す。因幡の白兎前を通過し、東横インへ。一風呂浴び、ホテルで紹介された手造り味処”くさかべ”で祝杯をあげ、本日は閉幕となる。

※香住~浜坂までの車両、浜坂からの車両

※鳥取駅

※因幡の白兎、くさかべで祝杯!!

続く!!

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