リベンジ19回目(前編)!!小田急線(小田原〜東海大学前)

投稿日:2022年05月06日

①自宅を9時前に出、小田原駅には10時過ぎ到着。小田原駅は、小田急線以外に、新幹線、東海道本線、大雄山線が合流しているため、用心に用心して歩くことを余儀なくされる。10時18分、小田原駅北口を出発。10時21分、新幹線、東海道線下を潜り、鉄道の右側となる。線路下には、小学生の絵画共同作品が掲示していた。遠い小学生時代を思い出した。路地から路地を歩く。10時37分、再度、JR線下を潜る。その先で、大雄山線の緑町第2踏切があり、この界隈で右往左往する。運よく、近隣の人と出会ったので、小田急線の足柄駅への道筋をお伺いする。「大雄山線の踏切を渡ると小田急線があります。その線路沿いを歩くと足柄駅に行けます。しかし、遠いですよ」と教えて頂く。

※小田原駅

※小学生の共同作品、大雄山線の緑町第2踏切、小田原市立足柄小学校

※足柄駅

暫く歩くと小田急線(10時43分)があり、鉄道に沿った先で川幅5m位の川(10時52分)にぶつかる。100m位川に沿って迂回した先に橋がある。その先には大雄山線の踏切があり、近く大雄山線の井細田駅があった。小田原市立足柄小学校(10時55分)を経由し、足柄駅には11時5分到着。

※足柄駅、山下踏切、五百羅漢駅

②11時10分、白山神社前で本日の安全を祈願する。11時13分、大雄山線の山下踏切を横切る。11時22分、山北13㎞、開成8㎞と記した道路標識前(県道720号線)を通過。11時15分、大雄山線の五百羅漢駅前を通過。11時25分、万歩計で172歩ある狩川橋(狩川)を渡る。蛍田駅には11時37分到着。

※蛍田駅

➂11時51分、中曽根バス停前を通過。11時55分、堀ノ内交差点を通過。その先に富水駅への案内板があり、その案内板に従って歩いた先に富水駅(12時)があった。

※富水駅への路

富水駅

④12時13分、尊徳記念館前を通過。この記念館は、第23回わいわい会(高松一高同窓の歩き会:2006年9月9日(土)大雄山線つたい歩き)の際、立ち寄ったことがあるが、再度立ち寄ることにする。30分位、生家や活躍ビデオなどを鑑賞する。12時43分、大雄山茶屋前を経由し、栢山駅には12時48分到着。

尊徳記念館

※栢山駅

⑤遠くに山が見える田圃道を歩き、開成駅を目指す。13時8分、開成3号踏切を横切り、鉄道の左側となる。13時16分、曽比稲荷神社前を通過、13時18分、小田原市から開成町となる。13時28分、開成駅に到着する。

※田圃道を歩く

※開成駅

⑥13時34分、木陰で心地よい公園を通過。13時38分、開成町と記した粋な歩道を通過。前方にある山を見ながら新松田駅を目指す。13時57分、511歩ある十文字橋(酒匂川)橋を渡る。この橋を渡ると開成町から松田町となる。商店街を経由し、新松田駅には14時15分到着。この駅の目と鼻の先に御殿場線の松田駅があった。駅前では先日の狛江駅と同様、ある政党の演説があった。駅前の交番で渋沢駅への道筋を聞いて、渋沢駅を目指す。後編に続く!!

※心地よい公園、粋な通り、十文字橋

※酒匂川を跨ぐ十文字橋

※新松田駅、松田駅(御殿場線)

リベンジ19回目(総括編)!!小田急線(小田原〜東海大学前)

投稿日:2022年05月06日

2022年5月5日(木)晴れ、小田急線小田原線の小田原駅から東海大学前までの営業キロ25.5㎞にリベンジする。この区間は、”小さな挑戦シリーズ”のウォーキング記録によると、2000年7月20日(木)海の日に、小田原駅から本厚木駅までの営業キロ37.1㎞を、7時50分〜19時過ぎにかけて踏破したとあった。しかし、駅舎到着時刻や駅舎の詳細な記録がないため、本日のリベンジとなった。

※小田原駅、東海大学前駅

本日は、急遽思いついたため、地図を持参せず、また事前勉強をせずに臨んだ。しかし、小田原駅から東海大学駅までの全駅舎立ち寄りに成功する。渋沢駅前の飛躍的な発展には驚いた。踏破のあと地図で確認したところ、新松田駅から東海大学駅まで鉄道に沿った幹線道路がない中、無事、踏破でき大満足の一日となった。

※飛躍的発展の渋沢駅

これで通算営業キロは、1万3千234㎞(活動日数646日、日本の鉄道の47.8%)となった。同時に地球円周の3分の1到達まで100㎞となった。

各駅舎到着時刻は次の通り。

小田原(10:18)〜足柄(11:05)〜蛍田(11:37)〜富水(12:00)〜栢山(12:48)〜開成(13:28)〜新松田(14:15)〜渋沢(16:16)〜秦野(17:19)〜東海大学前(18:44)

前編に続く!!

(^^♪・・・・・・・・(^^♪・・・・・・・・

ご参考までに当時の記録をご紹介します。

第4回目は、7月20日(木)海の日の小田原から本厚木までの営業距離37.1Kmのウォーキングである。山越えは、松田近郊と伊勢原近郊の2箇所あった。第一生命の大井町本社の近くを通り、小田急線新松田駅に向う。昼食は渋沢の川の辺でコンビニ弁当を食べる。道に迷ったのは昼食後しばらくしてで、渋沢近郊の三廻部である。磁石を持ち合わせていなかったので、方向が全くわからなかった。谷があり単純には、自分が意図する方向になかなか行くことができない。この日は、途中昼食をとった渋沢までは順調であったが、246号を行けばよかったのに、「車の廃棄ガスを避け閑静な道を歩こう」更には「近道をしよう」とスケベ根性を起こしたため、とんでもない事態に巻き込まれた。昔の人はよく言ったものである。「急がば回れ」という格言。痛切に感じた。人に聞こうとしても人がいない。小田急沿線の秦野市住宅街が下方に見えるが、谷、川が邪魔してそちらの方向に思うように行けない。引き換えしてもだめ。困り果てていた時、トラックの運転手に出くわし聞くことにした。そのお陰で迷い道からクリアすることができた。迷った時は、「時間ロス覚悟で真直ぐ進む」のも1つの方法であることを教えてもらった。自分の考え方が、この時は立証された。渋沢の近郊の246号に到着したときは2時を回っていた。道路標識には本厚木まで20Kmと表示されていた。それから懲りて、246号沿いを歩き無事、7時過ぎ本厚木駅に到着することができた。途中東海大学病院のある伊勢原でマクドナルドに入り休息した。自宅に着いたときには、万歩計で7万4293歩をマークしていた。この時は、大変疲れたが、得るものが多い一日でもあった。

本日歩き鉄22歳誕生日!!記念にプレジャーフォレストへ

投稿日:2022年05月04日

2022年5月3日(火)快晴、憲法記念日の本日、次男坊家族と一緒に相模原市緑区にある”プレジャーフォレスト”に行く機会を得る。ウォーキング開始が2000年5月3日(水)なので、本日で満22歳の誕生日(大学4年生相当)を迎える。”光陰矢の如し”で年月の流れは実に早いものである。

この公園は、子供が幼少の頃、近所の三家族と一緒に1泊2日のキャンプをしたらしい。また、家内の話によると、三男坊が迷い子になったとのこと。残念ながら私の記憶から全く忘却していた。しかし、現地に到着し、当時の風景とは大幅に異なっていたが、何となく遠い昔を思い出し懐かしくなった。

この公園では終日マスクを着用した沢山の子供連れの家族で賑わっていた。ウイズコロナの到来を痛感した。しかし、私や家内のよう世代の姿は殆ど見かけなった。次男坊が挑戦した絶叫吊り橋”風天”の場面は、はらはらドキドキしたが最高であった。

22歳の誕生日の本日、昨年のような歩き{相鉄線拡張線(西谷〜羽黒横浜国立大)他}の挑戦はなかったが、次男坊家族との団欒、心身ともにリフレッシュができた。また、若い頃を思い出す機会を与えてくれた、次男坊家族に感謝のエールを送りたい。朝7時半過ぎに出て、自宅到着は21時を過ぎていた。充実した一日を送ることができ、天や神に感謝あるのみ。

リベンジ18回目(後編)!!小田急線(新宿〜読売ランド前)

投稿日:2022年05月02日

後編である登戸駅から読売ランド前までの区間は、小田急線の右側を主として歩く。2000年6月3日(土)、千歳船橋駅から自宅まで歩いた懐かしい記憶が蘇る。この時は、読売ランド前までは小田急線を鉄道つたい歩きをしたが、読売ランド前駅以降は、鉄道に関係なく、路に迷いながらひたすら自宅を目指した。桐蔭学園やこどもの国などを経て、やっと自宅に到着した。この時のミステリーによる感動は今でも忘れない。そして、「メイクドラマを味会う」、「歩きがぶれないようにする」ため、カッシー館に公開している”こどわり鉄道つたい歩き九カ条”を策定したような気がする。

※向ヶ丘遊園駅(若い頃と同じ顔をした駅舎)

⑫向ヶ丘遊園駅近郊に若い頃住んでいたので、千歳船橋駅と同様、駅舎を拝顔するや否や懐かしさが込み上げて来る。買い物などで通った道筋を歩き、向ヶ丘遊園駅を目指す。懐かしい駅舎である向ヶ丘遊園駅には15時25分到着。私が住んでいた頃は、駅前に映画館などがあり、賑やかであった。しかし、今では更地となって大きく様変わりしていた。向ヶ丘遊園駅は快速急行の登場により、南林間駅や長後駅と同様寂れたような気がする。加えて、向ヶ丘遊園地の閉鎖により。栄枯盛衰の非情さを改めて痛感した。

※向ヶ丘遊園駅への路、向ヶ丘遊園駅前(北口)

⑬小高い丘が鉄道の左右に登場する。15時45分、川に沿ったマイファーム前を通過。15時48分、川崎市立東生田小学校前を通過。15時53分、東生田歩道橋交差点で国道3号線に合流する。町田15㎞、新百合丘5㎞と記した道路標識があった。生田駅には16時3分到着。この駅も”フコク生命運動会”がある良き時代、何度も利用させてもらったので懐かしくなった。

※マイファーム、川崎市立東生田小学校

※町田15㎞・新百合丘5㎞地点、生田駅

⑭16時16分、小田急バスターミナル前を通過。16時23分、生田4号踏切を横切り、鉄道の左側となる。16時26分、終着駅の読売ランド前駅に到着。これで、新宿駅から片瀬江ノ島駅までが繋がり、リベンジではあるが達成感に浸ることができる。自宅には17時39分到着。

※読売ランド前駅、小田急バスターミナル、読売ランド前駅

※読売ランド前駅

リベンジ18回目(中編)!!小田急線(新宿〜読売ランド前)

投稿日:2022年05月02日

中編である世田谷代田駅から登戸駅までの区間は、小田急線の高架下の右側を主として歩く。それ故、前編のようなリスクは少なかった。

⑦世田谷代田駅をもう少しで、見過ごすところであったが、地元の人の助けを得てリカバリーできる。環状7号線を跨ぐ代田富現橋を1往復半する。すなわち、11時23分と11時31分。橋を渡ると東京農業大学産物の野菜や果物などを扱うオープンガレッジがあった。この施設も2度通過する。この施設近郊は高台になっており、複々線となった小田急線の線路が見えて来る。淡々と歩いた先に梅ヶ丘駅(11時44分)があった。そして、その先に豪徳寺駅(11時54分)があった。駅前には招き猫があった。目と鼻の先には東急世田谷線の山下駅があった。11時56分、世田谷線を跨ぐ。運よく、下高井戸駅方面の電車がやって来て、2両編成の車両を撮影する機会を得る。

※代田富現橋、東京農大オープンガレッジ

※梅ヶ丘駅への路

※梅ヶ丘駅、豪徳寺駅

※豪徳寺駅、山下駅、経堂駅への路

⑧小田急線の高架下を淡々と歩いた先に経堂駅(12時12分)があった。高架下は、店舗や駐車場など多目的に活用されていた。道路も高架下に沿って繋がっていた。鯉のぼりを飾った駅前ビルに入り、小休止。ビルを出た先に経堂小倉庵があったので、”MORE THAN TAIYAKI”を1匹購入し、昼食とする。あつあつの鯛焼きは最高に美味しかった。

※経堂駅

※経堂駅(鯉のぼりあり)、経堂小倉庵

12時26分、噴水がある石仏公園前を通過。本日は少し暑かったので、この噴水が多少なりとも涼しさを感じさせてくれた。千歳船橋駅には12時38分到着。この駅は、フコク生命の事務センター、研修センター、独身寮があった関係で、利用させてもらった駅なので、沢山の懐かしい思い出が湯水の如く登場して来た。10分位立ち止って、商店街を散策する。数十年前の商店街は様相していたが、何度かお邪魔した”とんかつ浜”が唯一現存し、懐かしくなった。もし、鯛焼きを食べていなかったら、昔の思い出に浸るため立ち寄っていただろう。

※駅前の丸亀製麺、千歳船橋駅

※千歳船橋駅前、とんかつ”浜”

※千歳船橋駅

⑨環状8号線の砧二丁目までは小田急線の左側を歩く。砧の地名を聞いて、入社当時の上司を思い出し懐かしくなる。再度鉄道の右側となり、高架下を淡々と歩いた先に祖師谷大蔵駅(13時17分)があった。駅前にはウルトラマンの像があった。13時17分、成城橋に到達。この辺りから、鉄道は高架から再度地下となる。13時23分、成城学園前駅に到着。10分位、駅前ビルを散策する。成城学園前駅は、線路跡を有効に活用し、小田急バスのターミナル駅となっていた。

※祖師谷大蔵駅

※成城橋、成城学園前駅

※成城学園前駅

⑩13時48分、急な坂を下る。小田急線は地上に出る。13時50分、小田急線下を潜り鉄道の左側となる。13時53分、万歩計で239歩ある野川を渡る。この辺りには小田急の車両基地があった。13時57分、小田急線下を潜り、鉄道の右側となる。喜多見駅には14時1分。高架下には王将があった。そして、1100m歩いた先に狛江駅があった。この駅前には、ある政党の演説する車があった。それから道なりを歩いた先に和泉多摩川駅(14時30分)があった。この駅の直ぐ先には多摩川があった。

※喜多見駅への路

※喜多見駅

※狛江駅

※和泉多摩川駅

⑪多摩川を渡るため、世田谷線(国道3号線)に合流する。633歩ある多摩水道橋(たま川)を渡る。この川を見ると約22年前の、私のウォーキングのスタートとなった2000年5月3日(水)の”登戸(小田急線)から聖蹟桜ヶ丘(京王線)までの多摩川土手・河原歩き”を思い出した。

多摩川の広場では、サッカーなどを楽しむ小学生の姿があった。14時42分、橋の中央辺りで東京都から神奈川県となる。世田谷線から道路下に繋がる路はなく、500m位迂回を余儀なくされる。この辺りに若い頃住んでいたので懐かしくなった。途中、南武線を横切る。迂回となった道筋を戻り、南武線が合流する登戸駅には15時7分到着。この駅は、昨年9月から10月にかけて武蔵野線をリベンジする際、利用させてもらった駅なので、その残像が今でも強く残っていた。

※多摩川を渡る、東京都と神奈川県の都県境

※多摩川の河原でサッカー、南武線、登戸駅への路

※登戸駅

後編に続く!!

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