リベンジ19回目(後編)!!小田急線(小田原〜東海大学前)

投稿日:2022年05月06日

⑦新松田駅から東海大学駅までは、山や川が前方に立ち塞がり、歩くのに相当神経を費やす。小田急線・JR線下を潜り鉄道の左側となる。鉄道に沿って歩き、幹線道路に合流する。14時33分、誤って川首川(篭場橋)を横切り、二宮方面に進もうとする。しかし、誤りに気付き橋の途中で引き返す。14時38分、新篭場交差点で国道246号に合流する。東京73㎞、厚木25㎞、秦野9㎞と記した道路標識があり。ここから川音川に沿って淡々と歩く。14時52分、上茶屋交差点を通過。15時15分、東京71㎞、厚木23㎞、伊勢原16㎞と記した道路標識前を通過。

※鉄道に沿って歩く、誤って篭場橋を渡ろうとする

※国道246号線を歩く、秦野まで9㎞

15時29分、右往左往して、国道246号を離れて、小田線に近い幹線道路を歩く。その先で桃原さんと言う若者と出会う。”渋沢駅への道筋を誤って発信した恐れもある”ということで、すれ違って5分位経由した後、ジョギングによりわざわざ引き返し参上頂く。非常に驚いたと同時に感謝また感謝の瞬間であった。このような感動場面はこれまで何回か体験したことがある。直近では羽越本線の村上駅界隈で。

※小田急線が右側に、国道246号線から離れる

「この路を真っ直ぐ歩いても行けません。途中で、橋を渡る必要があります」と。折角の機会、数分立ち止って、名前や携帯番号など情報交換させて頂く。私の帽子が印象に残ったらしい。”最近小田急線を歩いている”とのことであった。カッシー館をPRさせて頂き、お礼を言って別れる。

鉄道に沿って淡々と歩く。15時47分、68歩ある田頭橋(四十八瀬川)を渡る。右手には小田急線の鉄橋があった。この橋を渡ってから、住宅地に突入。16時5分、溝に小田急線をやっと見つける。ここからも渋沢駅への路は遠し。何人もの人にお世話になり、やっと16時16分、渋沢駅に到達する。渋沢駅の凄まじい発展には驚いた。

※四十八瀬川(田頭橋)

※住宅街を彷徨う

※渋沢駅

⑧16時23分、国道246号に合流する。16時32分、三宅坂まで67㎞地点に到達。国道246号を離れ、秦野市立南中学校前には16時57分到着。線路に沿って川が流れる、秦野駅には17時19分到着。この駅も22年前とは比較できない程、立派な駅前となっていた。川がワンポイントとなっていた。

※渋沢駅、三宅坂まで67㎞、秦野駅への路

※秦野駅

⑨秦野駅から東海大学前駅は、22年前のイメージから大きく様変わりをしていた。国道246号に沿ってあると思ったが、NGであった。62号線(平塚方面)を歩く。17時45分、室川界隈で右往左往する。地元の人にも確認し、鶴巻温泉と書かれた方向に進行する。右手遠くにに小田急線があり、少し安堵する。17時57分、橋を渡る。18時3分、東海大学前7号踏切を横切り、鉄道の右側となる。暫く行った先で、左折が上り坂の鶴巻方面、直進が下り坂の平塚方面となっていた。左折する。暫く歩くと東名高速道路がある。遠くに、住宅街が広がっていた。ここで、前進すべきか、東名高速道路に沿って歩き高台を下るべきか迷う。道筋を聞こうとするが、住人の姿見えず。これまでの第六感を生かし、東名高速道路に沿って歩き、途中から高台を下ることにする。後で地図を確認したところ大正解であった。先日の日豊本線の苅田駅界隈を思い出した。迷った時は、”鉄道に近づく”ことを

※鶴巻温泉駅への路、東海大学前7号踏切(左手にはトンネル)

高台を下った先に、18時23分、東海大学前6号踏切がある。この踏切を横切り、鉄道の左側となる。運よく、通行人の方に出会い、東海大学前駅への道筋を聞く機会を得る。「真っ直ぐ鉄道に沿って歩いた先に東海大学前駅はある」とのことであった。途中、井戸窪というバス停があった。18時42分、はだのモーピロ踏切を横切った先に、本日の終着駅東海大学前駅(18時44分)があった。無事予定通り踏破でき達成感で一杯となる。18時49分発の相模大野行きで自宅を目指す。

※鶴巻温泉方面と平塚方面の分岐点、東名高速道路、東海大学前6号踏切

※東海大学前駅への路

※はだのモーピク踏切、東海大学前駅

本日の歩きを終え、電車の中で、桃原さんにお礼のメールする。そして暫くした後で、桃原さんから返信がある。本日は「秦野駅から新松田駅までの歩いた」とのこと。私が”小田原から東海大学前まで歩いた情報”を発信したところ驚いていた。旅はいいものですね。意外なところから仲間もできる・・・。これで、リベンジによる小田急線踏破まで、小田原線(東海大学前駅〜相模大野駅:24.7㎞、そして多摩線(新百合丘駅〜唐木田:10.6㎞)となった。これが終わると”日本横断歩きの旅”PDFの第44編(小田急電鉄)が歩く鉄道作家として執筆できる。一日でも早く達成したいものだ。

※東海大学前駅

(^^♪・・・・・・(^^♪・・・・・・

早速、桃原さんより、次のような心温まるメッセージを恵送頂く。私と同じような趣味をもつ若者が登場し嬉しい限りです。ご紹介します。

先日、新松田〜渋沢間でお話しさせていただいた桃原です。ホームページ拝見しました。自分のことも書いて頂きありがとうございます。先日は、道の伝え方が雑だったことに後で気づいたのと、帽子に書かれた1万2000キロという文字が一瞬見えて目に焼き付き、もしかしたら自分と同じ歩くことが好きな人かもしれない。歩きの大先輩と話がしてみたい。と思い、確かめるべく戻りましたが、そうして正解でした。自分が歩くことに目覚めたのは、山手線に乗っている時に、路線図を眺めていて直感的に、歩いて一周してみたい、と思ったのがきっかけです。結果的にそれが自分にとって、一度に歩いた最長記録になりましたが(30キロくらいでしょうか?)、最後は100メートル毎に休むほど足が痛くなりましたが、達成感ひとしおでした。その後は、明治通り(古川橋〜新木場)を二日に分けて制覇。東海道を、一度に10〜15キロくらいのスローペースですが、日本橋から大阪方面へ(現在、掛川まで)。それから、羽田空港からなるべく海岸沿いに千葉方面へ(現在、幕張まで)。小田急線を、新宿から現在新松田。という状況です。

リベンジ19回目(前編)!!小田急線(小田原〜東海大学前)

投稿日:2022年05月06日

①自宅を9時前に出、小田原駅には10時過ぎ到着。小田原駅は、小田急線以外に、新幹線、東海道本線、大雄山線が合流しているため、用心に用心して歩くことを余儀なくされる。10時18分、小田原駅北口を出発。10時21分、新幹線、東海道線下を潜り、鉄道の右側となる。線路下には、小学生の絵画共同作品が掲示していた。遠い小学生時代を思い出した。路地から路地を歩く。10時37分、再度、JR線下を潜る。その先で、大雄山線の緑町第2踏切があり、この界隈で右往左往する。運よく、近隣の人と出会ったので、小田急線の足柄駅への道筋をお伺いする。「大雄山線の踏切を渡ると小田急線があります。その線路沿いを歩くと足柄駅に行けます。しかし、遠いですよ」と教えて頂く。

※小田原駅

※小学生の共同作品、大雄山線の緑町第2踏切、小田原市立足柄小学校

※足柄駅

暫く歩くと小田急線(10時43分)があり、鉄道に沿った先で川幅5m位の川(10時52分)にぶつかる。100m位川に沿って迂回した先に橋がある。その先には大雄山線の踏切があり、近く大雄山線の井細田駅があった。小田原市立足柄小学校(10時55分)を経由し、足柄駅には11時5分到着。

※足柄駅、山下踏切、五百羅漢駅

②11時10分、白山神社前で本日の安全を祈願する。11時13分、大雄山線の山下踏切を横切る。11時22分、山北13㎞、開成8㎞と記した道路標識前(県道720号線)を通過。11時15分、大雄山線の五百羅漢駅前を通過。11時25分、万歩計で172歩ある狩川橋(狩川)を渡る。蛍田駅には11時37分到着。

※蛍田駅

➂11時51分、中曽根バス停前を通過。11時55分、堀ノ内交差点を通過。その先に富水駅への案内板があり、その案内板に従って歩いた先に富水駅(12時)があった。

※富水駅への路

富水駅

④12時13分、尊徳記念館前を通過。この記念館は、第23回わいわい会(高松一高同窓の歩き会:2006年9月9日(土)大雄山線つたい歩き)の際、立ち寄ったことがあるが、再度立ち寄ることにする。30分位、生家や活躍ビデオなどを鑑賞する。12時43分、大雄山茶屋前を経由し、栢山駅には12時48分到着。

尊徳記念館

※栢山駅

⑤遠くに山が見える田圃道を歩き、開成駅を目指す。13時8分、開成3号踏切を横切り、鉄道の左側となる。13時16分、曽比稲荷神社前を通過、13時18分、小田原市から開成町となる。13時28分、開成駅に到着する。

※田圃道を歩く

※開成駅

⑥13時34分、木陰で心地よい公園を通過。13時38分、開成町と記した粋な歩道を通過。前方にある山を見ながら新松田駅を目指す。13時57分、511歩ある十文字橋(酒匂川)橋を渡る。この橋を渡ると開成町から松田町となる。商店街を経由し、新松田駅には14時15分到着。この駅の目と鼻の先に御殿場線の松田駅があった。駅前では先日の狛江駅と同様、ある政党の演説があった。駅前の交番で渋沢駅への道筋を聞いて、渋沢駅を目指す。後編に続く!!

※心地よい公園、粋な通り、十文字橋

※酒匂川を跨ぐ十文字橋

※新松田駅、松田駅(御殿場線)

リベンジ19回目(総括編)!!小田急線(小田原〜東海大学前)

投稿日:2022年05月06日

2022年5月5日(木)晴れ、小田急線小田原線の小田原駅から東海大学前までの営業キロ25.5㎞にリベンジする。この区間は、”小さな挑戦シリーズ”のウォーキング記録によると、2000年7月20日(木)海の日に、小田原駅から本厚木駅までの営業キロ37.1㎞を、7時50分〜19時過ぎにかけて踏破したとあった。しかし、駅舎到着時刻や駅舎の詳細な記録がないため、本日のリベンジとなった。

※小田原駅、東海大学前駅

本日は、急遽思いついたため、地図を持参せず、また事前勉強をせずに臨んだ。しかし、小田原駅から東海大学駅までの全駅舎立ち寄りに成功する。渋沢駅前の飛躍的な発展には驚いた。踏破のあと地図で確認したところ、新松田駅から東海大学駅まで鉄道に沿った幹線道路がない中、無事、踏破でき大満足の一日となった。

※飛躍的発展の渋沢駅

これで通算営業キロは、1万3千234㎞(活動日数646日、日本の鉄道の47.8%)となった。同時に地球円周の3分の1到達まで100㎞となった。

各駅舎到着時刻は次の通り。

小田原(10:18)〜足柄(11:05)〜蛍田(11:37)〜富水(12:00)〜栢山(12:48)〜開成(13:28)〜新松田(14:15)〜渋沢(16:16)〜秦野(17:19)〜東海大学前(18:44)

前編に続く!!

(^^♪・・・・・・・・(^^♪・・・・・・・・

ご参考までに当時の記録をご紹介します。

第4回目は、7月20日(木)海の日の小田原から本厚木までの営業距離37.1Kmのウォーキングである。山越えは、松田近郊と伊勢原近郊の2箇所あった。第一生命の大井町本社の近くを通り、小田急線新松田駅に向う。昼食は渋沢の川の辺でコンビニ弁当を食べる。道に迷ったのは昼食後しばらくしてで、渋沢近郊の三廻部である。磁石を持ち合わせていなかったので、方向が全くわからなかった。谷があり単純には、自分が意図する方向になかなか行くことができない。この日は、途中昼食をとった渋沢までは順調であったが、246号を行けばよかったのに、「車の廃棄ガスを避け閑静な道を歩こう」更には「近道をしよう」とスケベ根性を起こしたため、とんでもない事態に巻き込まれた。昔の人はよく言ったものである。「急がば回れ」という格言。痛切に感じた。人に聞こうとしても人がいない。小田急沿線の秦野市住宅街が下方に見えるが、谷、川が邪魔してそちらの方向に思うように行けない。引き換えしてもだめ。困り果てていた時、トラックの運転手に出くわし聞くことにした。そのお陰で迷い道からクリアすることができた。迷った時は、「時間ロス覚悟で真直ぐ進む」のも1つの方法であることを教えてもらった。自分の考え方が、この時は立証された。渋沢の近郊の246号に到着したときは2時を回っていた。道路標識には本厚木まで20Kmと表示されていた。それから懲りて、246号沿いを歩き無事、7時過ぎ本厚木駅に到着することができた。途中東海大学病院のある伊勢原でマクドナルドに入り休息した。自宅に着いたときには、万歩計で7万4293歩をマークしていた。この時は、大変疲れたが、得るものが多い一日でもあった。

本日歩き鉄22歳誕生日!!記念にプレジャーフォレストへ

投稿日:2022年05月04日

2022年5月3日(火)快晴、憲法記念日の本日、次男坊家族と一緒に相模原市緑区にある”プレジャーフォレスト”に行く機会を得る。ウォーキング開始が2000年5月3日(水)なので、本日で満22歳の誕生日(大学4年生相当)を迎える。”光陰矢の如し”で年月の流れは実に早いものである。

この公園は、子供が幼少の頃、近所の三家族と一緒に1泊2日のキャンプをしたらしい。また、家内の話によると、三男坊が迷い子になったとのこと。残念ながら私の記憶から全く忘却していた。しかし、現地に到着し、当時の風景とは大幅に異なっていたが、何となく遠い昔を思い出し懐かしくなった。

この公園では終日マスクを着用した沢山の子供連れの家族で賑わっていた。ウイズコロナの到来を痛感した。しかし、私や家内のよう世代の姿は殆ど見かけなった。次男坊が挑戦した絶叫吊り橋”風天”の場面は、はらはらドキドキしたが最高であった。

22歳の誕生日の本日、昨年のような歩き{相鉄線拡張線(西谷〜羽黒横浜国立大)他}の挑戦はなかったが、次男坊家族との団欒、心身ともにリフレッシュができた。また、若い頃を思い出す機会を与えてくれた、次男坊家族に感謝のエールを送りたい。朝7時半過ぎに出て、自宅到着は21時を過ぎていた。充実した一日を送ることができ、天や神に感謝あるのみ。

リベンジ18回目(後編)!!小田急線(新宿〜読売ランド前)

投稿日:2022年05月02日

後編である登戸駅から読売ランド前までの区間は、小田急線の右側を主として歩く。2000年6月3日(土)、千歳船橋駅から自宅まで歩いた懐かしい記憶が蘇る。この時は、読売ランド前までは小田急線を鉄道つたい歩きをしたが、読売ランド前駅以降は、鉄道に関係なく、路に迷いながらひたすら自宅を目指した。桐蔭学園やこどもの国などを経て、やっと自宅に到着した。この時のミステリーによる感動は今でも忘れない。そして、「メイクドラマを味会う」、「歩きがぶれないようにする」ため、カッシー館に公開している”こどわり鉄道つたい歩き九カ条”を策定したような気がする。

※向ヶ丘遊園駅(若い頃と同じ顔をした駅舎)

⑫向ヶ丘遊園駅近郊に若い頃住んでいたので、千歳船橋駅と同様、駅舎を拝顔するや否や懐かしさが込み上げて来る。買い物などで通った道筋を歩き、向ヶ丘遊園駅を目指す。懐かしい駅舎である向ヶ丘遊園駅には15時25分到着。私が住んでいた頃は、駅前に映画館などがあり、賑やかであった。しかし、今では更地となって大きく様変わりしていた。向ヶ丘遊園駅は快速急行の登場により、南林間駅や長後駅と同様寂れたような気がする。加えて、向ヶ丘遊園地の閉鎖により。栄枯盛衰の非情さを改めて痛感した。

※向ヶ丘遊園駅への路、向ヶ丘遊園駅前(北口)

⑬小高い丘が鉄道の左右に登場する。15時45分、川に沿ったマイファーム前を通過。15時48分、川崎市立東生田小学校前を通過。15時53分、東生田歩道橋交差点で国道3号線に合流する。町田15㎞、新百合丘5㎞と記した道路標識があった。生田駅には16時3分到着。この駅も”フコク生命運動会”がある良き時代、何度も利用させてもらったので懐かしくなった。

※マイファーム、川崎市立東生田小学校

※町田15㎞・新百合丘5㎞地点、生田駅

⑭16時16分、小田急バスターミナル前を通過。16時23分、生田4号踏切を横切り、鉄道の左側となる。16時26分、終着駅の読売ランド前駅に到着。これで、新宿駅から片瀬江ノ島駅までが繋がり、リベンジではあるが達成感に浸ることができる。自宅には17時39分到着。

※読売ランド前駅、小田急バスターミナル、読売ランド前駅

※読売ランド前駅

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