フコク生命創業100周年の式典参加!!OBとして感動

投稿日:2023年12月02日

2023年12月2日(土)快晴、フコク生命創業100周年の式典(THE MUTUAL  DAY)が、OBやOGそして現役役職員など450名位の参加の下(オンラインでも同時開催)、フコク生命本社ビルの界隈にあるイイノホールで、米山好映社長のご挨拶を皮切りに、12時半から15時半にかけて、5年の歳月推敲に推敲を重ねて実現した式次第に基づき厳粛かつ盛大に開催される。至る所で近代的なハイテクを駆使した創意工夫したシナリオは最高で、100年の歴史が分かりやすく振り返ることができた。この式典を企画立案した関係者各位に感謝の気持ちと感激で一杯となる。フコク生命に入社してよかっと改めて痛感する。

その中で、私が商品開発時代苦労して認可取得した日本初の”高度先進医療特約”(カッシーのプロフィールでも記載)医療保険の創設の記事が登場し、感無量となる。私の入社当時は50周年の節目の年であった。あれから50年の歳月があっという間に過ぎ去る。ブレない手堅い経営哲学(創業以来相互扶助の精神など)が、本日の目出度い日を迎えたのでは。しかし、あくまで100年は通過点、”フコク生命は本日より次の100年に向かって邁進する”とする若手達の決意・宣言表明はOBの一人として感銘した。また、閉会挨拶の後にあった”THE MUTUAL  SONG”のメロディと合唱は感動した。

楽しい素晴らしい式典であり、万難を排し参加してよかったと思う一日であった。同時に生涯勉強であると痛感する。

本年2回目の忘年会!!みどり生命時代の仲間と

投稿日:2023年12月02日

2023年12月1日(金)、小田急線の湘南台駅界隈の居酒屋で、みどり生命時代の仲間と旧交を温める機会を得る。楽しいひと時があっという間に過ぎ去る。次回の再会を約束してお開きとなる。楽しい楽しい忘年会であった。

JR四国一筆書きの旅!!5日目(讃岐相生~造田)後編

投稿日:2023年12月01日

➄11時37分、左手ため池に沢山の鴨が泳いでいた。手を叩くと数羽の鴨が水面から飛び立つ。11時40分、日生化学前を通過。11時43分、うましの休憩所前を通過。この近隣にも親戚あり。11時58分、東かがわ市からさぬき市となる。12時4分、右往左往し結果、JR線を跨ぎ鉄道の右側となる。この歩きは後で確認したところ、地図の解釈の誤りと気付く。12時16分、海岸線を歩く。幹線道路から大きく外れた歩きのため、10分位ロスタイムが生じる。第六感が働き、再び国道11号線に戻る。そして、この幹線道路沿いにある鶴羽駅には12時32分到着。

※鶴羽駅への路

※鶴羽駅

⑥12時53分、高松23㎞、志度11㎞と記した標識前を通過。13時8分、高松22㎞とある標識前を通過。懐かしい讃岐津田駅には13時16分到着。この駅は幼少時代、毎年近所の人達と津田の海水浴場に来るために利用した駅であったので懐かしくなる。当時は本日の終着駅の造田駅からSL機関車で移動したのが昨日のように思い出された。久しぶりに素晴らしい松林がある琴林公園(津田の松原)を散策する。13時40分、赤い願い橋、叶え橋があった。琴林公園で30分位滞在しこの場を後にする。

※讃岐津田駅への路

※讃岐津田駅

※琴林公園

⑦国道11号線に戻る。13時56分、津田郵便局、マルナカ前を通過する。14時8分、神前5㎞、長尾9㎞とある標識を見て、国道11号線から左折する道路に方向転換する。少しでも近回りをしようと思い、14時26分、田村踏切を横切り、山裾にある鉄道の左側の細い道路を歩く。線路の右側は川が流れていた。そのうちに、急な坂に突入し、幹線道路に合流する。暫くくねくねした山道を歩くと、T路地にぶつかる。どちらの方向に進むか右往左往する。道筋を聞こうとするが人影なし。そのうちに、田んぼの中を走るレールを見つける。しかし、前方は小山や畑があり、鉄道に沿った道筋には遭遇できない。やむを得ず、小山に沿って、鉄道を直角に歩くことを余儀なくされる。遠くにはT路地で右往左往した幹線道路のガードレールがあり。運よく畑仕事をしている人に神前駅への道筋を聞く機会を得る。「100m位戻った先にガードレールがある幹線道路に合流する歩道があります。そして、道なりに歩くと神前駅に行けます」と教えて頂く。感謝の気持ちで一杯となる。教えてもらった道筋を歩くと、右手に高徳線の線路を見つけ安堵する。暫く歩くとT路地にぶつかる。50m位左に進むと、鉄道に沿った道がある。15時24分より、121歩ある船井橋を渡る。そして、暫く民家が繋がる道筋を歩いた先に神前駅(15時33分)があった。この駅は幼少の頃から知っていた駅名であったが、これ程立ち寄りに難しい駅舎とは思わなかった。改めて、「こだわり鉄道つたい歩き」の難しさ・醍醐味を痛感する。

※神前駅への道筋

※船井橋

※神前駅

➇造田駅への道筋は、神前駅への道筋に比べ花道であった。15時41分、第1山崎踏切を横切り、鉄道の右側となる。県道37号線を歩く。15時51分、48歩ある新川橋を渡る。風を強く感じる。16時、乙井県道踏切を横切り、鉄道の左側となる。間もなく歩くと、前方に実家から近い白山が見てくる。本日の終着駅造田駅には16時16分到着。駅舎は幼少の頃から大きく変わっていたが、懐かしくなる。友人から依頼があり、この駅舎の画像をSNSで送信する。運よく16時19分の列車に乗れる。

※造田駅への路

※造田駅

➈1両編成の列車の中は、高校生で満席の状態だった。高松駅には17時6分到着。兵庫町にある東横インには17時27分到着。汗を流した後、兵庫町にある“まいしょく家”でとんかつ定食を頂き、本日の上がりとする。なお、本日も一昨日に引き続き休肝日とする。観光あり、迷路あり、さぬきうどんありの充実した一日であった。

※とんかつ定食で上がり

JR四国一筆書きの旅!!5日目(讃岐相生~造田)前編

投稿日:2023年12月01日

2023年11月24日(金)曇り/晴れ、JR四国一筆書きの旅の5日目は、高徳線の讃岐相生駅から造田駅までの営業キロ26.3㎞に挑戦する。本日も昨日と同様、徳島駅5時51分発の始発で讃岐相生駅まで移動する。昨夜も目覚まし時計を4時にセットし臨む。しかし、本日も3時頃目が覚め、チェックアウトの準備をする。昨夜は睡眠時間は短かったが熟睡できる。5時20分頃、重いリュックを背負い東横インをチェックアウト。昨日と同様、讃岐相生駅到着までは暗闇の中であった。それ故、昨日苦労して踏破した道筋が確認できず。やっと讃岐相生駅手前で薄明るくなる。

※ホテルチェックアウト、徳島駅

※讃岐相生駅

本日の各駅舎到着時刻は次の通り。

讃岐相生(6:33)~引田(7:18)~讃岐白鳥(8:40)~三本松(9:52)~丹生(にぶ、11:13))~鶴羽(12:32)~讃岐津田(13:16)~神前(かんざき、15:33)~造田(16:16)

①これまで香川県の徳島県境にある駅は引田駅と思っていた。しかし、それは誤りで讃岐相生駅であった。讃岐相生駅と阿波大宮駅に停車する列車の本数は、上り下り合わせて13便と庶民の足としてはNGだった。6時33分、国道11号線を昨日と反対方向に進む。6時46分、松山199㎞、高松41㎞と記した道路標識前を通過する。6時50分、相生郵便局前を通過。6時57分、大川橋バス停(徳島バス)前を通過。7時より万歩計で154歩ある馬宿川を渡る。7時3分、高松40㎞、さぬき市28㎞と記した標識前を通過、引田駅には7時18分到着。この駅は物心ついた頃から馴染みのある地名であった。それは、祖母の里が富田にあった関係で幼少時代何度も井戸から、引田行の大川バスなどでお邪魔したからである。

※引田駅への路

※引田駅

※引田駅、笠置シズ子のポスター

②7時27分、セーターを脱ぐ。7時41分、バス停がある小海川(61歩)を渡る。7時50分、右手に香川県の象徴の溜池があった。8時13分、JR線を跨ぎ鉄道の左側となる。その先に伊座バス停(大川バス)がった。このバス停で実家近くのバス停(真行寺)を確認し、香川県の鉄道つたい歩きを実感する。8時30分、香川県立白鳥病院前を通過。讃岐白鳥駅には8時40分到着。ホームにある通路を跨ぎ、鉄道の右側となる。鉄道に沿って歩いた先に白鳥神社(8時57分)がある。この神社は幼少の頃参拝した記憶があるので懐かしくなる。これまでのお礼と本日の安全祈願する。

※高松39㎞、鴨のいる溜池

※讃岐白鳥駅への路、伊座バス停

※讃岐白鳥駅のホームを跨ぐ

※讃岐白鳥駅(さぬきしろとり)

※白鳥神社

③白鳥神社参拝後、9時、馬場前踏切を横切り、鉄道の左側となる。9時6分、東かがわ市役所があった。高松34㎞、さぬき市22㎞と記した標識前を9時14分通過する。9時21分より、156歩あるみなと橋を渡る。9時40分、NTT西日本があった。三本松駅には9時52分到着。この駅には駅員がいた。

※三本松駅への路、大川バス

※三本松駅

④10時6分、79歩ある与田川橋(与田川)を渡る。10時17分、風が出る。しかし、いつの間にか感じなくなる。10時20分、11号線に合流する。この界隈にある讃州讃岐屋で少し早いがランチとして讃岐うどんを頂く。この店の立ち寄りはタイムリーであった。それはこれ以降讃岐うどん屋に遭遇しなかったからである。久しぶりに故郷の味を堪能する。大満足でこの店を20分位滞在し後にする。11時、親戚がある水主(みずし)の標識前を通過。11時1分、懐かしい引田行の大川バスと対面する。幼少時代を思い出し懐かしくなる。右手には高松方面に向かって”うずしお”が通過して行く。11時4分、町田という地名を通過。丹生駅に11時13分到着。この界隈は長尾街道と国道11号線が合流した地点で幼少時代からインプットされている。加えて、長尾街道はアスファルトだったが、国道11号線はアスファルトではなくこの工事していたことを思い出す。後編に続く!!

※讃岐うどんを堪能

※水主への標識、長尾街道への分岐点

丹生駅

JR四国一筆書きの旅!!4日目(讃岐相生~佐古)後編

投稿日:2023年11月30日

③鉄道の左側を歩く。12時3分、徳島方面に向かう”うずしお”が通過して行く。12時10分、12号線に合流する。12時12分、セーターを脱ぐ。阿波川端には12時26分到着。

阿波川端駅への路

※阿波川端駅

④12時30分、鳴門市となる。道路下潜る。12時51分、140歩ある板東橋(板東谷川)を渡る。13時1分、鳴門市板東小学校前を通過。やっと13時8分板東駅に到着。2.3㎞に42分も要する。阿波川端駅から板東駅は営業キロ以上に遠く感じた、

※板東駅への路

※板東駅

➄13時20分、板東踏切を横切り鉄道の右側となる。鉄道に沿って歩く。13時43分、池谷踏切を横切り鉄道の左側となる。鳴門線も合流する池谷駅には13時48分到着。この駅は本年3月鳴門線踏破の際、立ち寄った駅舎で懐かしくなる。あの時、ここで歩きは辞め、列車で徳島駅まで移動した。今回は佐古駅まで歩くことにする。

※池谷駅への路

※池谷駅

⑥これまでの第六感から鉄道の左側を歩くことにする。鳴門線の高畑第1踏切を横切る。井草のある田んぼ路を歩く。14時31分、市場踏切を横切り鉄道の右側となる。14時33分、万歩計で376歩ある大正橋(旧吉野川)を渡る。暫く行った先で右往左往する。地元の人の応援で勝瑞(しょうずい)駅への方向が確認できる。14時52分、大坪踏切を横切った先に勝瑞駅はあった。

※勝瑞駅への路

※勝瑞駅

⑦勝瑞駅から吉成駅への道筋も幹線道路がなく右往左往する。地元の人の応援で「大坪踏切手前を線路に沿って歩けば行けます」と教えて頂く。勝瑞駅から吉成駅への道筋は、池谷~勝瑞の区間同様、幹線道路がなく難しい区間であった。地元の人のアドバイスに感謝また感謝。鉄道に沿ってくねくねした道筋を30分位歩くと幹線道路にぶつかる。ここでも地元の人の応援を得て、吉成駅には15時41分到着する。それにしても勝瑞駅から吉成駅への道筋は難しい区間であった。

※吉成駅への路

※吉成駅

➇吉成駅から佐古駅も骨が折れる区間だった。吉野川がこの区間の間に横たわっていたからである。吉成駅から吉野川に沿って1㎞位歩いた先に吉野川を横切る四国三郎橋(1,628歩)があった。幹線道路を歩いても歩いても県道41号線には到達せず。この橋が吉成と佐古を結ぶ懸け橋だった。16時14分より、この巨大な橋を渡る。16時37分より、540歩ある弁天橋を渡る。県道41号線を歩き続けると県道30号線にぶつかる。30号線をひたすら歩く。高徳線の高架した線路下まで歩く。17時5分、ぶつかる。高架下線路下を歩く。17時15分、高架となった徳島線下を潜る。ハローズが見えてくる。佐古駅には17時22分到着。運よく阿波海南行きの列車に間に合う。徳島駅には17時26分到着。

※佐古駅への路

※佐古駅

➈徳島駅でお土産を購入。東横インには18時5分到着。汗を流した後、ホテルで紹介を受けた居酒屋”安兵衛”に向かい、大坂峠越えのお祝いと徳島最後の夜を楽しむ。ここで取手からやって来た人と情報する機会を得る。楽しい楽しい夕食会であった。旅はいいものですね。

※徳島に移動、お土産購入

※安兵衛で祝杯!!

3 / 31212345...102030...最後 »

最近の記事

アーカイブ