リベンジ43回目!!京王電鉄の整理(井の頭線)前編

投稿日:2023年01月10日

2023年1月9日(月)快晴、成人の日である本日は、京王電鉄井の頭線(吉祥寺~渋谷:営業キロ12.7㎞)に再挑戦する。この路線は、2001年12月1日(土)、第5回わいわい会(高松一高同窓の歩き会)で踏破済み。この日は愛子様がお生まれになった目出度い日で、一国民として感動した瞬間が昨日のように思い出された。この日も本日と同様快晴に恵まれた。

本日の歩きにより、総営業キロ84.7㎞である京王電鉄のリベンジが3日間で完了する。これで新年早々第43編(京王電鉄)の”日本横断歩き鉄の旅”PDF読本が執筆できる環境となり嬉しい限り。通算営業キロは1万4千124.7km(活動日数695日、日本の鉄道の51.0%、地球円周の35.3%)となる。

小田急線と井の頭線を乗り継いで吉祥寺駅まで移動する。本日はリベンジでもあり全く地図を持たず、事前勉強もせずに臨む。吉祥寺駅から渋谷駅までの営業キロ12.7㎞に15駅舎もあったので、通り過ぎないよう用心に用心して歩くことを余儀なくされた。吉祥寺駅からの各駅舎立ち寄り時刻は次の通り。

吉祥寺(9:35)~井の頭公園(10:08)~三鷹台(10:24)~久我山(10:47)~富士見ヶ丘(11:03)~高井戸(11:18)~浜田山(11:58)~西永福(12:15)~永福町(12:36)~明大前(13:08)~東松原(13:25)~新代田(14:03)~下北沢(14:18)~池ノ上(14:30)~駒場東大前(14:51)~神泉(15:14)~吉祥寺(15:32)

※吉祥寺駅

①吉祥寺駅はJR中央線が合流しているので、誤った方向に進行しないよう細心の注意を払う。9時40分、井の頭線下を潜り、右側に出るが、鉄道に沿った道筋がなく引き返す。また、井の頭公園第1踏切を渡ろうとするが、鉄道と道路が大きく乖離していたので引き返す。二つの無駄な歩きで10分位ロスタイムが生じる。9時58分、幹線道路(井の頭通り)に戻る。地元の人の応援も得て、くねくねした経路を歩き、やっと井の頭線を潜った先に井の頭公園駅(10時8分)があった。600mの営業キロに33分も要す。鉄道の右側の路地を歩いた先に三鷹台駅(10時24分)があった。

※時間をロストした界隈

※井の頭公園駅への路

※井の頭公園駅

※三鷹台駅への路

②久我山駅への道筋、地元の人に道筋を聞いたところがタイムリーであった。もう少しで大回りの道筋に進行するところだった。「ここから左折し、橋を渡り神田川に沿って歩くのが分かりやすいですよ」と教えて頂く。早速、みすぎ橋をわたり、心地よい神田川沿いの遊歩道を歩く。21年前、10名で神田川沿いを歩いた懐かしい第5回わいわい会が蘇る。淡々と歩いた先に久我山駅(10時47分)があった。ここから神田川沿いの風情を堪能しながら遊歩道を淡々と歩く。月見橋界隈にある富士見ヶ丘駅には11時3分到着。そして、あづま橋界隈にある高井戸駅には11時18分到着する。

※久我山駅への路

久我山駅

※富士見ヶ丘駅への路

※月見橋、富士見ヶ丘駅

※高井戸駅

③環八を50m位離れた横断歩道を経由して横切る。再度、神田川沿いに戻る。しかし、沿線の地図表示版を見たところ、浜田山駅界隈からは神田川と井の頭線が並走していないので、ここからはくぬくねした路地歩きを余儀なくされる。11時40分、池袋橋で神田川沿いの歩きをやめる。11時50分、杉並区立浜田山公園があった。その先で鉄道に近づき、浜田山2号踏切を横切り、左側を歩いた先に浜田山駅(11時58分)があった。駅前には商店街が続いていた。12時8分、赤い鳥居がある神社前で本日の安全を祈願する。永福町6号踏切を横切った先に西永福駅(12時15分)があった。そして、明大前3号踏切を横切った先に永福町駅(12時36分)があった。本日は成人の日で沿線の至るところで晴れ着姿の女性に出会う。後編に続く!!

※高井戸駅、浜田山駅への路

※浜田山公園、浜田山駅

※西永福駅への路

※西永福駅

※永福町駅への路

※永福町駅

リベンジ42回目!!京王電鉄の整理(調布~新宿他)後編

投稿日:2023年01月08日

④13時32分、給田一三橋を渡り、鉄道の左側となり、幹線道路に合流する。その先で25歩ある大川橋(仙川)を渡る。ここで北海道出身(学園都市界隈)の自転車野郎と数分話す機会を得る。チラシを渡し、カッシー館をPRさせて頂く。「お気をつけて歩いてください」で別れる。13時51分、給田町交差点を通過。幹線道路から少し入った先に千歳烏山駅(14時5分)があった。14時36分、環八下潜る。14時52分、芦花公園3号踏切を横切り、鉄道の右側となる。ここから700m位先に、芦花公園駅が線路沿いに見えてくるが、鉄道に沿った道筋がなく大回りを余儀なくなれる。14時18分、烏山神社前を通過。くねくねした道筋を歩き、芦花公園駅にはやっと14時18分到着する。烏山神社界隈で大事なボールペンをロストする。ロスト事件は久しぶりである。しかし、予備のボールペンを持参していたため、大事に至らず。

※千歳烏山駅

※烏山公園駅界隈、烏山神社、芦花公園駅への路

※芦花公園駅

⑤銀杏並木を通り、八幡駅には14時43分到着。この界隈は長男家族が在住しているので、スムーズに歩くことができた。高架下にある商店街を経由し、鉄道の右側に沿った上北沢公園通りを淡々と歩く。暫く歩くと上北沢駅(14時58分)と車両車庫がある桜上水駅(15時13分)があった。そして、鉄道の右側を淡々と歩いた先に東急世田谷線が合流する下高井戸駅(15時29分)があった。

※八幡山駅への路

※八幡山駅

※上北沢駅への路

※上北沢駅

※桜上水駅への路

※桜上水駅

※下高井戸駅への路、下高井戸駅

⑥15時32分、東急世田谷線を横切る。15時46分、京王線下を潜った先に明大前駅があった。井の頭線を横切る。明大前の商店街を歩く。15時58分、甲州街道に合流。暫く歩き、鉄道に近づいた先に代田駅(16時5分)があった。16時7分、路地歩きをしたため袋小路にぶつかる、再度、甲州街道に戻る。16時13分、環七の交差点を通過。笹塚駅には16時23分到着。

※下高井戸駅、明大前駅への路

※明大前駅

※明大前駅界隈

※代田駅

※笹塚駅への路

※笹塚駅

➆笹塚駅から新宿駅にかけて、営業キロ3.6㎞にわたり、京王線(地上)と京王新線(地下)が並走していた。ここからは京王新線の歩きとなる。辺りは暗くなりかけていた。16時26分、京王クラウン街を通り、幡ヶ谷駅を目指す。16時30分、甲州街道に合流する。16時41分、幡ヶ谷駅に到着する。16時50分、甲州街道に沿った初台緑道を歩く。暗くなりかけていたが、散歩・ジョギングや子供と楽しむ場面にも遭遇。初台駅には16時58分到着。そして、夜景を楽しみながら、新宿駅には17時51分到着。本日の目標が達成しホットする。祝杯は自宅で。

※幡ヶ谷駅への路

※幡ヶ谷駅、甲州街道

※初台緑道、初台駅

※新宿駅への路、新宿駅

※新宿駅

リベンジ42回目!!京王電鉄の整理(調布~新宿他)前編

投稿日:2023年01月08日

2023年1月7日(土)快晴、京王電鉄の整理の第2弾は、”歩き鉄”と”乗り鉄”のアングルから次の対応でリベンジすることとした。

 

本日の駅舎立ち寄り時刻は次の通り。

橋本(8:00)~高尾山口(9:24)~多摩動物公園(9:12)~東府中(10:55)~府中競馬場正門前(11:03)~東府中(11:26)~調布(11:48)~布田(12:01)~国領(12:14)~柴崎(12:38)~つつじヶ丘(13:15)~仙川(13:23)~千歳烏山(14:05)~芦花公園(14:28)~八幡山(14:43)~上北沢(14:58)~桜上水(15:13)~下高井戸(15:29)~明大前(15:46)~代田橋(16:05)~笹塚(16:23)~幡ヶ谷(16:41)~初台(16:58)~新宿(17:31)

本日のプランは、初の本格的な2面からのリベンジで負荷が多く、果たして本日のプランが一日で達成できるかどうか危惧したが、沿道でお会いした人のお陰やこれまでの歩きなどで培ってきた体験が起爆財となり、当初の計画が無事消化でき充実した一日となった。これで通算営業キロは、1万4千112km(活動日数694日、日本の鉄道の50.9%、地球円周の35.2%)となる。同時に井の頭線をリベンジすれば、”日本横断歩き鉄の旅”の第43編として予定している京王電鉄のPDF読本が執筆できる環境となり嬉しい限り。

<乗り鉄>

乗り鉄の関しては、途中下車や車窓から駅舎画像撮影。

※高尾山口駅

※多摩動物公園駅

<歩き鉄>

1.京王競馬場線

東府中駅から府中競馬正門前駅まで移動。本日は競馬があるのか年配の競馬ファンの姿を車両内で数人見かける。府中競馬正門前駅には11時3分到着。駅前の風景を撮影後、東府中駅を目指す。11時12分、武蔵国府八幡宮前で本日の安全を祈願する。鉄道の右側に沿って概ね歩く。11時21分、競・東府中2号踏切を横切り鉄道の左側となる。その先で京王線の踏切があるが渡らず右折する。11時23分、再度、競馬場線を横切り鉄道の右側となる。その先に東府中駅(11時26分)があった。11時32分の各駅停車で京王線の調布駅まで移動する。

※府中競馬正門前駅

※武蔵国府八幡宮、東府中駅への路

※東府中駅

2.京王線

①調布駅には11時48分到着。1月4日(水)は日没で駅前の風景はよくわからなかったが、本日は一変しその風景を確認できる。20年前の風景とは全く異なり、近代的な風貌に驚きと感動を覚える。この駅手前から国領駅のかけて線路は地下にあった。元地上の鉄道跡は遊歩道や自転車置き場などに活用されていた。小田急線の下北沢界隈を思い出した。遊歩道を淡々と歩いた先に布田駅(11時48分)と国領駅(12時14分)があった。

※調布駅

※布田駅への路

※布田駅

※国領駅への路、国領駅

※国領駅

②12時18分、調布市立国領図書館があった。そこから少し行った先で地下から鉄道が登場する。12時23分、57歩ある馬橋(野川)を渡る。幹線道路(甲州街道)から少し入った先に柴崎駅(12時38分)があった。12時48分、幹線道路に合流する。そして、暫く歩き鉄道に近づいた先につつじヶ丘駅(13時1分)があった。

※柴崎駅への路、馬橋

※柴崎駅

※つつじヶ丘駅への路

※つつじヶ丘駅

③13時15分m¥、つつじがある通りを歩き、仙川駅を目指す。13時21分、仙川橋を渡り鉄道の右側となる。その先に10年位前孫と一緒に玩具を買いに来て記憶がある仙川駅には13時23分到着する。この駅で熱くなったので上着を脱ぐ。後編に続く!!

※仙川駅への路

※仙川駅

リベンジ41回目!!京王電鉄の整理(京王八王子~調布)後編

投稿日:2023年01月05日

➄13時41分、関戸交差点で川崎街道から左折し鎌倉街道に方向転換する。13時42分より万歩計で677歩ある関戸橋(多摩川)を渡る。鎌倉街道に面した中河原駅には14時3分到着する。14時10分、住吉銀座通りを歩く。くねくねした路地歩きを満喫し、12時17分、府中市分梅第2公園前を通過。地元の人の応援を受け、やっと南武線が合流する分倍河原駅に17時40分到着する。陸橋を15m位上った先にあった。分倍河原駅からの風景は、階段下の風景とは相当の段差があった。飲み屋街が広がっていた。南武線に行かないよう細心の注意を払う。14時46分、踏切に立ち止まり、南武線か京王線かを車両にて確認する。運よく、前方を通過する車両は京王電鉄の車両でありホットする。そのまま鉄道の右側を歩く。

※多摩川を渡る

※中河原駅

※分倍河原駅への路

※分倍河原駅

※分倍河原駅界隈

⑥14時52分、京王線下を潜り、鉄道の左側となる。府中駅には15時6分到着する。2021年10月23日(土)、武蔵野線リベンジでこの界隈を歩いた懐かしい思い出が蘇る。15時14分、日本橋まで30㎞と記した標識前を通過。15時18分、調布6㎞、新宿21㎞と記した道路標識前を通過。15時18分、京王競馬場線が合流する東府中駅には15時33分到着。そして、行き過ぎないよう用心して歩いた先に多磨霊園駅(15時51分)があった。16時に近いこともあり、ぼちぼち日没が心配となる時間帯となった。

※府中駅への路

※府中駅

※東府中駅への路

※東府中駅

※多磨霊園駅への路、多磨霊園駅

⑦16時1分、府中第四小学校前を通過。16時4分、西武多摩川線の踏切を横切ろうとしたところ、先日乗り鉄した是政行きの電車がやって来る。真っ直ぐ歩いた先を左折し、50m位鉄道に沿って歩いた先に武蔵野台駅(16時11分)があった。しかし、この駅で鉄道下を潜り右側に出るが、再度駅舎に繋がる道がなく引き返す場面に遭遇する。また、この駅の看板駅舎名は道路から確認できず、30m行った先の踏切からやっと確認できる。ここから淡々との歩いた先に飛田給駅(16時35分)があった。駅前にはイルミネーションの仕掛けがあった。

※西武多摩川線踏切、武蔵台駅

※飛田給駅

⑧駅前に”近藤勇の生誕の地(上石原)”と記した看板がある西調布駅には16時31分到着。そして暗くなった道筋を鉄道に沿って歩いた先に調布駅(17時16分)があった。辺りは暗く、しかも駅舎は地下にあったので少し行き過ぎる。地元の人の応援でやっと到着できる。駅に面して広場があった。京王相模原線(稲田堤下車)と南武線(登戸下車)を活用し、登戸駅からは小田急線に乗り継いで自宅へ。

※飛田給駅、西調布駅前

※西調布駅

※調布駅

リベンジ41回目!!京王電鉄の整理(京王八王子~調布)前編

投稿日:2023年01月05日

2023年1月4日(水)晴れ、本年最初のウォーキングは、総営業キロ84.7kmある京王電鉄の京王線(京王八王子~調布:営業キロ22.4㎞)に再挑戦する。京王線(京王八王子~新宿:37.9㎞)は、第7回わいわい会(高松一高同窓の歩き会:20020601(土):府中~新宿)と第11回わいわいわ会(20030920(土):京王八王子~府中)で歩いた路線であるが、”日本横断歩き鉄の旅”PDF読本の第43編(京王電鉄)の執筆に当たり不備があるため、本日の再挑戦となった。京王電鉄(除く井の頭線)の特筆すべき事項は、レール幅が代表的な新幹線タイプ(143.5㎝)やJR在来線タイプ(106.7㎝)とも異なり、その間の137.2㎝とユニークな路線である。

久し振りに20㎞を超える歩きとなり達成感に浸ったが、多少疲れた一日となった。本日の歩きで通算の営業キロは、1万4千95㎞(活動日数693日、日本鉄道の50.9%、地球円周の35.2%)となる。

各駅舎の到着時刻は次の通り。

京王八王子(9:30)~北野(10:13)~長沼(10:34)~平山城址公園(11:05)~南平(11:36)~高幡不動(12:21)~百草園(12:59)~聖蹟桜ヶ丘(13:27)~中河原(14:03)~分倍河原(14:40)~府中(15:06)~東府中(15:33)~多磨霊園(15:51)~武蔵野台(16:11)~飛田給(16:31)~西調布816:51)~調布(17:16)

※新宿駅

※京王八王子駅

①南林間7時32分発の小田急線で新宿まで移動。そして、京王線の新宿7時36分発で京王八王子まで移動。京王八王子駅前の風景を撮影後北野駅を目指す。途中、八高線・中央線・横浜線が交わっていたので、JR線の方向に行かないよう細心の注意を払う。9時43分、八高線・中央線下を潜る。9時46分、北野9号踏切を横切り、京王線の左側となる。9時52分、横浜線が京王線に並走していた。道路を跨ぐ階段を通過。50m位先に横浜線の電車を確認する。間もなく歩くと、京王高尾線の高架した線路が見えて来る。10時3分、京王線・高尾線を潜り、鉄道の右側となる。暫く歩いた先で陸橋(道路)を経由し鉄道の左側となる。高尾線が合流する北野駅には10時13分到着。

※北野駅への路

※横浜線と並走、北野駅近し

※北野駅

②10時16分、58歩ある新大畑橋を渡る。高架した鉄道下を歩いた先に長沼駅(10時34分)にあった。10時45分、行き止まりとなる。10時47分、浅川土手を歩く。暫く歩いた先で土手を降り、京王線下を潜り、鉄道の右側となり、北野街道に合流する。この街道を暫く歩いた先に平山城址公園駅(11時5分)があった。

※新大畑橋、長沼駅への路

※長沼駅

※浅川土手歩き、平山城址公園駅への路

※平山城址公園駅

③11時11分、栄光保育園前を通過。鉄道の右側に沿って歩く。日野市交流センター前でT路地にぶつかる。11時27分、南平踏切を横切り、鉄道の左側となる。11時36分、南平1号踏切に面して南平駅があった。この踏切を横切り鉄道の右側となる。11時53分、ブロックの壁面に消えかかった絵画がある南平小学校前を11時53分通過する。12時、八坂神社前で本日の安全を祈願する。路地を暫く歩き、12時7分、北野街道に合流する。広々としたスペースを持つ高幡不動駅には12時21分到着する。駅前には沢山の人の姿があった。この駅は京王動物園線と多摩都市モノレールが合流していた。大きく曲がる動物園線に沿って歩きそうになるが、多摩都市モノレールや程久保川(12時38分)を見て、多摩都市モノレールつたい歩きをした第14回わいわい会を思い出し方向を修正する。

※南平駅への路

※南平駅

※八坂神社、高幡不動駅への路、高幡不動通り

※高幡不動駅

④12時38分、動物園線下を潜り、川崎街道を歩く。12時56分、松連寺坂公園前を通り、百草駅(もぐさ)には12時59分到着。この駅も南平駅と同様踏切に面してあった。13時14分、日野市から多摩市となる。13時27分、ウォーキングを開始した2000年5月3日(水)に立ち寄った聖蹟桜ヶ丘駅には13時27分到着する。22年半余が昨日のように思い出し懐かしくなった。後編に続く!!

※百草駅への路

※百草駅

※聖蹟桜ヶ丘駅

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