会津地方の旅!!その3(会津坂下~会津若松)後編

投稿日:2025年07月19日

⑤御田神社前を通過。13時、国道401号線に合流する。ここで、左折するか右折するか迷う。地図を点検し、右折とする。13時22分、宮川土手を歩く。13時35分より、万歩計で257歩ある橋を渡る。13時34分、正一位稲荷神社前を通過。13時47分、林の中から夏の風物詩の蝉の鳴き声を耳にする。13時48分、幹線道路に合流する。13時53分、今歩いている道路は県道130号線(会津高田会津本郷線)とあった。また、会津若松まで6.3㎞とあった。14時10分、45歩ある藤川筋を渡る。右手には故郷香川の白山(円錐形)があった。14時15分、会津美里町から会津若松市となる。46歩ある氷玉川を渡る。14時50分、果樹園前を通過。ナビを至る所で検索して、やっと会津本郷駅(15時10分)に到着できる。この駅もナビがなければ、踏破は難しい駅であった。只見線は非電化のため、電柱がない。その上、水田などでレールが見えないからである。

※会津本郷駅への路

※会津本郷駅

⑥15時18分、懐かしい”フコク生命たばこ看板”前を通過。15時28分、県道128号線に合流する。15時32分、新田東バス停(会津バス)を通過。15時36分、星の子公園前を通過。15時40分、福島空港まで95㎞と記した標識前を通過。15時46分より、本郷大橋(阿賀川)を渡る。16時8分、会津鉄道の上下口踏切を横繰り、この鉄道に沿って歩く。この踏切りから会津鉄道の南若松駅が50m位先に見えた。20分位歩いた先で、会津鉄道の踏切がある。この踏切は横切らずくねくね歩いた先で観戦道路に合流する。この道路を淡々と歩いた先に、会津鉄道と只見線が合流する西若松駅(16時56分)があった。

※会津鉄道の南若松駅界隈への路

※西若松駅への路

※西若松駅

⑦西若松の街並みを歩く。17時7分、城西小学校前を通過。粋な商店街を歩き、趣がある七日町駅には17時33分に到着する。駅舎には会津の特産物などを陳列した店があった。

※七日町駅への路

※七日町駅

⑧この駅から会津若松までのルートに迷う。取り合えず、第一坂下踏切を横切り、鉄道の左側となり、JR線に近いくねくねした道筋を歩く。道筋で犬を散歩させている方に出会い、「会津若松駅への道筋、前方の踏切を横切るか否か」をお伺いする。「踏切を渡り、左折した方が分かりやすいです」と教えて頂く。この助言を受けて、17時48分、藤室街道踏切を横切り、鉄道の右側となる。17時59分、城北北小学校前を通過。暫く歩くと、会津若松駅前のホテル(α-1)が見えてくる。天然温泉”富士の湯”前を経由し、会津若松駅には18時12分に到着。万歩計は63,380歩だった。

※西若松駅への路

※会津若松駅

⑨ホテルには18時15分に到着。汗を流した後、ホテル界隈にある、”寿し万”にお邪魔する。2年前に立ち寄らせて頂いたことをマスターが覚えてくれていた。併せて「店内に2年前にお渡したカッシーチラシを掲示していました」をお伺いし、二重の喜びと感動となる。このお話を機に、2年間での歩きなどを話す機会を得る。また、「会津鉄道では大川ダム公園駅の踏破が難しいです」と助言も。あっと言う間に至福のひと時を過ごすことができる。「明日か明後日のいずれかお邪魔します」と言って、この店をあとにする。ホテルに帰るやバタンキュー。充実した一日であった。

※東横イン

※寿し万にて

会津地方の旅!!その3(会津坂下~会津若松)前編

投稿日:2025年07月19日

2025年7月11日(金)曇り、会津地方の旅の3日目は、只見線の会津坂下駅から会津若松駅までの営業キロ21.6㎞に挑戦する。本日は、会津若松駅を発車する2番目のダイヤ(7時41分、会津川口行き)の列車であったので、ホテルで朝食をとってから臨むことができた。車内はいつの間にか満席の状態になっていた。会津高田駅でかなりの高校生の乗下車があった。そして私が下車する会津坂下駅で沢山の高校生が下車。それ故、会津坂下以降は数人の乗客になったと思われる。昨日と比べ、曇り空で心地よい風もあり、終日、最高の環境の下で歩くことができた。ただし。鉄道に沿った幹線道路がなく、水田の中をくねくね鋸型に歩くことを余儀なくされた。特に、根岸駅から会津高田駅は、道筋を誤ったため、水田や川により、大きく迂回を余儀なくされた。すなわち、3.5㎞の営業キロに1時間44分も要す。

※いざ出陣

※会津坂下駅

各駅舎立ち寄り時刻は次の通り。

会津坂下(8:25)~若宮(9:33)~新鶴(にいづる、10:22)~根岸(11:07)~会津高田(12:51)~会津本郷(15:10)~西若松(16:56)~七日町(17:33)~会津若松(18:12)

①暫く、会津坂下の街並みを歩き、8時32分、国道49号線に合流する。久し振りに水田が続く道筋でセキレイと対面する。左手の林からカッコの鳴き声を耳にする。ナビで検索した結果、大きく鉄道を離れつつあったので。農道を歩き方向転換する。8時55分、県道22号線に合流する、9時26分、金沢バス停前(会津バス)を通過。36番わかみや踏切を横切った先に若宮駅(9時33分)があった。3人の作業員の方が駅周辺の草刈り作業をしていた。

※県道22号線までの路

※若宮駅への道

※若宮駅

②再度踏切を横切り、幹線道路に戻る。9時45分、会津坂下町から会津美里町となる。9時48分、高速道路下を潜る。9時56分、北海道でよく見かけた風よけの設備がある水田前を通過。10時2分、田子薬師如来前を通過。心地よい風を感じる。新鶴駅には10時22分に到着。ここでも若宮駅で草刈りをしていた作業員の方と対面する。

※新鶴駅への路

※新鶴駅

③鉄道に沿った道筋を歩く。10時33分、高齢車福祉センター前を通過。10時38分、会津美里町役場前を通過。10時40分、新鶴生涯学習センターがあった。10時46分、県道22号線に合流する。10時51分、61歩ある家東橋を渡る。根岸踏切を横切った先に根岸駅(11時7分)があった。

※根岸駅への路

※根岸駅

④冒頭でも述べた通り、会津高田駅への道筋、県道22号線で行くべきところ、別のルートを歩いたため大きく大回りとなる。11時22分、鉄道に沿った農道を暫く歩く。11時19分、この農道も行き止まりとなり、鉄道に沿った農道からアスファルト道路に方向転換。11時24分、心地良い風は神風に感じる。11時25分、宮川土手に出る。この土手を左折すべきところ、右折したため大回りとなる。土手沿いを歩く。11時40分、右手には幹線道路を横切る雀林踏切があった。宮川土手を歩く。しかし、11時43分、線路が立ちはだかり行き止まりとなる。引き返し、先程の踏切を11時47分横切り、JR線の右側となる。5分位ロスタイムが生じる。この踏切から水田の中にある幹線道路を歩き、山裾まで歩くことを余儀なくされる。12時2分、JR線に沿った道路にやっと合流できる。この先でも神風を感じる。12時16分、田植したばかりの水田を通過。”幼少の頃の実家界隈の田植も7月初旬であったこと”を思い出し懐かしくなる。12時19分、行き止まりとなった宮川土手の橋(45歩)を渡る。12時51分、やっと会津高田駅に到着できる。駅前には第36作”男をつらいよ”のロケ地の看板があった。また、お田植まつりの旗が、伊佐須美神社の周辺に一杯あった。後編に続く!!

※宮川土手までの路

※土手歩きから幹線道路へ

※会津高田駅への路

※会津高田駅

※伊佐須美神社

会津地方の旅!!その2(会津宮下~会津坂下)後編

投稿日:2025年07月17日

⑤滝谷から郷戸までの道筋、暑さとアップダウンの道筋であったこともあり、軽いバックが重く感じる。12時10分、国道に戻る。この辺りで恵の雨となる。暑さ対策の傘が雨傘に変身する。12時31分、柳津町役場前を通過。12時45分より258歩ある赤橋を渡る。12時50分、81歩ある赤橋を渡る。13時12分、雨上がる。この雨は、火照った身体の体調を整えてくれた。しかし雨で集中力を欠き、700m位会津柳津駅を通過していた。引き返し会津柳津駅には13時25分到着。20分位ロスタイムとなった。この駅構内には赤べこの駅長さんがいたので記念写真を撮って頂く。この駅には観光センターのような場もあり、15分位休憩させて頂く。係りの方から私の帽子を見て、「凄いですね」とお声がかかる。早速、カッシーチラシを手渡し、歩きに関する話の機会を得る。アイスを頂きながらの15分は、至福のひと時であったと同時に火照った身体を癒してくれた。

※会津柳津駅への路

※会津柳津駅(赤べこは会津柳津町出身)

⑥会津柳津駅で体調を整えたお陰で、バックの重たさも感じなくなり、スイスイと歩ける状態となる。14時33分、会津柳津町から会津坂下町となる。北海道にあったような駅舎である会津坂本駅には14時40分に到着する。

※会津坂本への路

※会津坂本駅

⑦15時5分、いわきに繋がる国道49号線に合流する。15時7分より、万歩計で1,871歩ある七折峠トンネルを通過する。このトンネル内で全長1,050mと判明する。15時25分、いわきまで147.5㎞地点を通過。この界隈の地名は会津坂下町気多喜とあった。15時31分、七折バス停前(会津バス)を通過。塔寺駅には15時43分に到着する。ここから会津坂下駅までは4.4㎞、会津坂下駅の会津若松方面列車の発車時刻は16時45分。1時間で4.4㎞は厳しいかも知れないが、挑戦することにする。

※塔寺駅への路

※塔寺駅

⑧15時50分、国道49号線に合流する、ここから序盤の2㎞は通常のペースで、後半からは小走りしながら、会津坂下駅を目指す。15時58分、ため池前を通過。16時、只今の気温は26℃とあった、16時2分、郡山74㎞、会津若松18㎞と記した標識前を通過。何とか16時35分、会津坂下駅に到着できる。万歩計は57,395歩となっていた。しかし、「16時45分発の列車は大雨のため運休」とのことであった。もし、塔寺駅でアップしていたら、会津坂下駅18時27分の折り返しの列車には乗れないことなり、会津若松駅には戻れない状態となった。胸を撫でおろす。2時間弱の待ち時間を潰すのに大変だった。冷房が効いた待合室であったので疲れた身体を癒してくれた。待ち時間を利用して、何人かの友人にSNSを発信する。待合室には沢山の高校生の姿があった。しかし、順次家族の方が迎えに来て、最終的には数名となった。駅前には、名歌手春日八郎さんの像があった。

※会津坂下駅への路

会津坂下駅

⑩18時27分の列車で会津若松駅を目指す。会津若松駅には19時3分に到着。ホテルには19時15分に到着。ホテルで汗を流した後、コンビニで買い物をして、ささやかな祝杯をあげる。それにしても本日は体力を消耗する一日であった。

※ホテルへ

※ホテルで祝杯

会津地方の旅!!その2(会津宮下~会津坂下)前編

投稿日:2025年07月17日

2025年7月10日(木)晴れ/一時雨、会津地方の旅の2日目は、只見線の会津宮下駅から会津坂下駅(ばんげ)までの23.8㎞に挑戦する。本日は会津若松駅6時8分の始発のため、寝坊しないよう注意して就寝する。そのため、枕を高くしては就寝できず。本日の区間は、只見川がからみ、会津宮下から滝谷までは難しい区間であった。また山道が続き体力の消耗を余儀なくされた。しかも、この区間、只見川を跨ぐ橋は、会津宮下から会津西方の間しかなく、戦略的判断から歩く順序を変更して対応する。すなわち、「会津宮下~会津西方~会津檜原」を「会津西方~会津宮下~会津桧原(ひのはら)」の道順で対応する。会津坂下駅で上下の列車が離合する。沿線では小枝が窓をこする場面も登場し、窓を開けると危険な状態な箇所もあった。乗り鉄・撮り鉄ファンが色んなアングルから駅舎を中心に撮影していた。

※いざ出陣、会津若松駅

※車窓からの風景

※会津西方駅

各駅舎立ち寄り時刻は次の通り。

会津西方(7:28)~会津宮下(8:07)~会津桧原(9:25)~滝谷(たきや、10:37)~郷戸(ごうど、11;54)~会津柳津(13:25)~会津坂本(14:40)~塔寺(とうでら、15:43)~会津坂下(16:35)

①会津西方駅を7時28分出発し、只見川に沿って、会津宮下を目指し歩く。途中、只見線鉄橋がある。運よくこの鉄橋を渡る列車(1両)と対面する。7時39分、美原高原5kmと記した標識前を通過。7時45分、桐の湯物産館前を通過。7時48分、宮下温泉ふるさと荘があった。今歩いている道路は県道400号とあった。7時51分より、万歩計で226歩ある三島大橋を渡る。この橋を渡り、くねくねした道路を歩いた先に会津宮下駅(8時7分)があった。駅前にはテレサテンさんの記念碑があり、「ふるさとはどこですか」の歌詞が刻まれていた。暫く立ち止まり、この曲を聴いてから、会津桧原駅を目指す。

※只見川を渡る列車

※会津宮下駅への路

※会津宮下駅

②8時17分より、200m位ある只見川を渡る。その先で鉄道下を潜り、JR線の右側となる。8時41分、花火の音がする。8時30分、国道252号線に合流する。8時38分、道の駅尾瀬街道みしま宿まで700mと記した標識があった。8時44分より、118歩ある青色の川井1号橋を渡る。8時50分、みしま宿に到着。8時54分より、全長1,040mある川井トンネルを通過する。トンネルを出るや否や左折する道路があり、道なりに歩いた先に会津桧原駅(9時25分)があった。

※会津桧原駅への路

※会津桧原駅

③先程来た道筋を歩き、国道252号線に合流する。暫く国道を歩いた先で9時41分右折し、県道366号線(滝谷桧原線)を歩く。9時48分、坂道を上る。10時51分、下りとなる。滝谷の表示は見るが滝谷駅は遠い。滝谷橋を渡り、県道32号線(柳津昭和線)に方向転換する。ここから滝谷川に沿って歩く。10時11分、三島町滝谷を通過。10時18分、滝谷風穴(ふうけつ)の前には、三島町の小学生グループが十数名いた。マイクロバスを活用した遠足だろうか。このバスは8時過ぎ会津宮下駅で対面したので記憶に残っていた。ここでも引率の先生と話す機会を得て、カッシーチラシを手渡す。「ここから滝谷駅までは15分で行ける」とのことであった。10時22分、三島町から柳津町となる。10時25分より、500歩ある郷戸スノ―シェッドを通過する。この洞門を出ると左手にJR線の鉄橋が見え、滝谷駅は近いと察知する。滝谷駅には10時33分到着する。それにしても営業キロ1.9㎞しかないのに所要時間は72分も要す。会津桧原駅から滝谷駅までの区間は難しく遠かった。

※県道32号線への路

※滝谷風穴への路

※滝谷風穴

※滝谷駅への路

※滝谷駅

④10時44分、古峯神社前で本日の安全を祈願する。10時47分、中野跨線橋を跨ぎ、JR線の右側となる。10時58分、橋わたる。11時16分、トレードマークの上着を脱ぐ。11時20分、国道252号線に合流する。11時27分、滑沢川(すべさわ)を渡る。11時28分より、333mある松倉トンネル(万歩計で572歩)を通過する。11時35分、道の駅会津柳津まで2㎞と記した地点を通過。11時37分より、暑さを和らげるため傘をさす。12時10分、県道32号線から国道252号線に合流する。その先で郷戸駅の案内板を見つける。国道から200m位坂道を上った先に郷戸駅(11時54分)があった。この駅で日陰があったので5分位休憩する。後編に続く!!

※郷戸駅への路

※郷戸駅

会津地方の旅!!その1(会津若松への移動)

投稿日:2025年07月17日

2025年7月9日(水)晴れ、会津地方の旅の初日は、大宮発13時1分のやまびこ61号のため、余裕をもって、自宅から小田急線、山手線、京浜東北線、東北新幹線、磐越西線を経由して会津若松まで移動。新幹線を除き、どの路線も四半世紀余の中で踏破した路線なので、ところどころ懐かしい風景が登場して懐かしくなる。特に2018年9月、磐越西線で苦戦した磐梯熱海駅や磐梯町駅界隈を思い出し懐かしくなる。また、猪苗代湖や磐梯山の風景を堪能しながら歩いた思い出も登場。そんなことを考えているうちに懐かしい会津廻松駅に到着する。

※大宮駅

※新幹線会津駅

※磐越西線郡山駅

※車窓からの風景(磐梯山が遠くに)

会津若松駅への立ち寄りは、2018年9月、2023年8月に続き今回が3度目となる。それ故、懐かしい駅であった。会津若松駅は新津方面(非電化車両)と郡山方面(電化車両)の列車が行き止まりとなっており、磐越西線でも会津若松での乗り換えが必要となる線路構造であった。一方、4番ホームの只見線や5番ホームの会津鉄道(会津若松~西若松は只見線を活用)も、会津若松駅が終点であり、磐越西線とは反対方向に線路があった。それ故、磐越西線の先頭と只見線の先頭は近いが、後部は離れる構造のホームであった。丁度、新宿駅の中央線と埼京線のような構造のホームであった。駅を出るや否や、赤べこ、会津っ子宣言などを見て懐かしくなる。

※会津若松駅

※駅を出るや否や懐かしい風景と対面

ホテルには、15時35分に到着する。汗を流した後、2年前にお邪魔した寿し万にお邪魔するが生憎定休日であった。駅前にはいくつかの飲み屋があったが、カウンターがある店をなく諦める。駅から少し張られた先にステーキ”宮”があったのでお邪魔し、明日からの英気を養う。明日は会津若松6時8分と早いため、ホテルに帰り、早めの就寝とする。

※ホテルで寛いだ後、夕食の会場”宮”へ

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