会津地方の旅!!その2(会津宮下~会津坂下)前編
投稿日:2025年07月17日
2025年7月10日(木)晴れ/一時雨、会津地方の旅の2日目は、只見線の会津宮下駅から会津坂下駅(ばんげ)までの23.8㎞に挑戦する。本日は会津若松駅6時8分の始発のため、寝坊しないよう注意して就寝する。そのため、深枕を高くしては就寝できず。本日の区間は、只見川がからみ、会津宮下から滝谷までは難しい区間であった。また山道を続き体力の消耗を余儀なくされた。しかも、この区間、只見川を跨ぐ橋は、会津宮下から会津西方の間しかなく、戦略的判断から歩く順序を変更して対応する。すなわち、会津宮下~会津西方~会津檜原を会津西方~会津宮下~会津桧原(ひのはら)の手順で対応する。会津坂下駅で上下の列車が離合する。沿線では小枝が窓をこする場面も登場し、窓を開けると危険な状態な箇所もあった。乗り鉄・撮り鉄ファンが色んなアングルから駅舎を中心に撮影していた。
各駅舎立ち寄り時刻は次の通り。
会津西方(7:28)~会津宮下(8:07)~会津桧原(9:25)~滝谷(たきや、10:37)~郷戸(ごうど、11;54)~会津柳津(13:25)~会津坂本(14:40)~塔寺(とうでら、15:43)~会津坂下(16:35)
①会津西方駅を7時28分出発し、只見川に沿って、会津宮下を目指し歩く。途中、只見線陸橋がある。運よくこの陸橋を渡る列車(1両)と対面する。7時39分,美原高原5kmと記した標識前を通過。7時45分、桐の湯物産館前を通過。7時48分、宮下温泉ふるさと荘があった。今歩いている道路は県道400号とあった。7時51分より、万歩計で226歩ある三島大橋を渡る。この橋を渡り、くねくねした道路を歩いた先にに会津宮下駅(8時7分)があった。駅前にはテレサテンの記念碑があり、「ふるさとはgpこですか」の歌詞が刻まれていた。茨く立ち止まり、この経を聴いてから、桧原駅を目指す。
②8時17分より、200m位ある只見川を渡る。その先で鉄道下を潜り、JR線の右側となる。8時41分、花火日音がする。8時30分、国道252号線に合流する。8時38分、道の駅尾瀬街道みしま宿まで700mと記した標識があった。8時44分より、118歩ある青色の川井1号橋を渡る。8時50分、みしま宿に到着。8時54分より、全長1,040mある川井トンネルを通過する。トンネルを出るや左折する道路があり、道なりに歩いた先に会津桧原駅(9時25分)があった。
③先程来た道筋を歩き、国道252号線に合流する。暫く国道を歩いた先で9時41分右折し、県道366号線(滝谷檜原線)を歩く。9時48分m坂道を上る。10時51分、下りとなる。滝谷の表示は見るが滝谷駅は遠い。滝谷橋を渡り、県道32号線(柳津昭和戦)に方向転換する。ここから滝谷川に沿って歩く。10時11分、三島町滝谷を通過。10時18分、滝谷風穴の前には、三島町の小学生グループが数十名いた。バスを活用した遠足だろうか。このバスは8時過ぎ会津宮下駅で対面したので記憶に残っていた。ここでも引率の先生と話す機会を得て、カッシーチラシを手渡す。あと滝谷駅は15分倉で行けるとのことであった。10時22分、三島町まら柳津町となる。10時25分より、500歩ある郷戸スノ―シェッドを通過する。この洞門を出ると左手にJR線の陸橋が見え、滝谷駅は近いと察知する。滝谷駅には10時33分到着する。それにしても営業キロ1.9㎞しかないのに所要時間は72分も要す。会津檜原駅から滝谷駅までの区間は難しいし遠かった。
④10時44分、古峯神社前で本日の安全を祈願する。10時47分、中野跨線橋を跨ぎ、JR線のp右側となる。10時58分、橋わたる。11時16分、トレードマークの上着を脱ぐ。11時20分、国道252号線に合流する。11時27分、滑沢川(すべさわ)を渡る。11時28分より、333mある松倉トンネル(万歩計で572歩)を通過する。11時35分、道の駅会津柳津まで2㎞と記した地点を通過。11時37分より、暑さを和らげるため傘をさす。12時10分、県道32号線から国道252号線に合流する。その先で郷戸駅の案内板を見つける。国道から200m位坂道を上った先に郷戸駅(11時54分)があった。この駅で日陰があったので5分位休憩する。後編に続く!!
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