名古屋鉄道の旅!!その1(豊橋~藤川)前編
投稿日:2024年11月21日
2024年11月18日(月)快晴の小春日和、名古屋本線の豊橋駅から藤川駅までの営業キロ23.1㎞に挑戦。当初の目標は最長東岡崎駅までの29.8㎞を考えていたが、この季節16時を過ぎると暗くなりかける。また、久し振りにランチをとったため眠たくなった。それ故、少し早いが藤川駅で打ち止めとした。今回の2泊3日名古屋本線の旅、どの区間をどう歩くかを推敲に推敲に重ねた結果、スタートは豊橋駅とする。少なくとも本年6月30日(日)雨の中歩いた名古屋鉄道の新羽島~笠松~名鉄岐阜を生かし、少なくとも笠松から名鉄名古屋までは是非踏破したいと考えていた。そのような点を留意した結果、本日の行程となった。
※長津田駅、新横浜駅
※推敲に推敲を重ねた結果巣スタートは豊橋駅(途中停車駅は小田原駅のみだった)、浜名湖
※胡蝶蘭が出迎えてくれる!!
※豊橋駅
本日の駅舎立ち寄り時刻は次の通り。
豊橋(8:08)~伊那(10:03)~小田渕(10:40)~国府(こう、11:43)~御油(12:05)~名電赤坂(13:03)~名電長沢(13:53)~本宿(14:48)~名電山中(15:25)~藤川(16:10)
①豊橋駅に到着するや否やどちらの方向に進むか右往左往する。確認のため何人かの人にお伺いし方向性を見定める。豊橋駅は名鉄線に加え、東海道本線、飯田線、豊橋鉄道が離合しており、誤った方向に進まないよう用心したためである。暫くは東海道本線、飯田線も並走しており、鉄道の右側を暫く歩く。途中豊川があるため、8時30分、国道1号線である東海道に合流する。この界隈東海道本線や飯田線踏破の際、通過したエリアなので、懐かしくなると同時にこれまでの学習効果が発揮できる。8時33分より、万歩計で329歩ある豊川(豊橋)を渡る。この川は”とよがわ”とあった。8時45分、日本橋から297.6㎞と記した地点を通過する。8時52分、豊橋市下地町を通過。この界隈飯田線の久地駅があるのを思い出す。9時7分、名古屋68㎞、岡崎29㎞と記した道路標識前を通過。9時10分、氏郷町交差点を通過。ここから伊那駅はまだまだ遠し。
※国道1号線に出るまでの道筋
※国道1号線に出て豊川までの道筋
※豊川放水路までの路
※飯田線下を潜る
9時16分、豊橋市から豊川市となる。9時20分より、250歩ある小坂井大橋(豊川放水路)を渡る。この界隈も飯田線の小坂井駅があるので懐かしくなる。9時30分、日本橋から300.3㎞地点で飯田線の線路下を潜る。運よく、豊橋方面に向かう2両編成の列車を撮影することができる。9時48分から国道を離れ、左折し県道384号線を歩く。9時52分、豊川市立東小学校前を通過。くねくねした道筋を歩き、伊那駅には10時3分到着。この駅は車両基地もあり、大きな駅舎であった。この駅で名鉄沿線MAPを頂く。それにしても豊橋駅から伊那駅は遠かった。
※伊奈駅への路
※伊奈駅
※伊那駅界隈
②10時31分、77歩ある佐奈川を渡る。名鉄線の方向性を確認しながら、くねくねした道筋を歩く。10時40分、キャベツ畑があった。小田渕駅には10時40分到着。
※小田渕駅への路
※小田渕駅
③10時50分、40歩ある裏五六橋を渡る。10時56分、45歩ある裏大橋を渡る。セキレイが前方を歩いていたが、私が近づいても飛ばす、駆け足で私の進行方向から回避する。11時10分、名鉄線に沿った道筋となる。11時20分、道路下を潜る。トンネルには水溜まりがあり、右足の靴がびしょぬれになる。11時25分、豊川線(単線)の踏切を横切る。11時29分、2両編成の豊川稲荷方面に向かう電車と対面する。11時33分、竹藪がある路地を歩く。国府駅には11時43分到着する。この駅には国府駅と豊川稲荷駅を走る車両が停車していた。この界隈3本の線路があった。
※国府駅への路
※国府駅
④11時55分、かけした公園前で記念写真。御油駅には12時5分到着。踏切を渡り、鉄道の左側となり、国道1号線に合流する。この駅界隈のラーメン横砂でランチとする。この店のお薦めの”辛みそ”を頂く。とても美味しいラーメンであった。25分位この店で一服する。この店は有名店らしく、ここから2.5km先でPR看板に出会う。後編に続く!!
※かけした公園にて
※御油駅
※ラーメン横綱でランチ
名古屋鉄道の旅!!そのプランとは
投稿日:2024年11月21日
名古屋鉄道の旅(豊橋~藤川、鳴海~笠松:63.1㎞)
〇11月18日(月) 快晴/小春日和
中央林間5:37 → 長津田5:46
長津田5:56 → 新横浜6:11
ひかり631号 新横浜6:39 → 豊橋7:49
豊橋~伊那~小田淵~国府(こう)~御油~名電赤坂~名電長沢~本宿~名電山中~藤川(23.1㎞)
16時23分頃の電車で名鉄名古屋まで移動
名古屋泊 東横イン名古屋桜通口本館(052-571-1045)
〇11月19日(火) 快晴/小春日和
名鉄名古屋7:15 → 笠松7:55頃着
笠松~木曽川堤~黒田~新木曽川~石刀(いわと)~今伊勢~名鉄一宮~妙興寺~島氏永~国府宮(このみや)~奥田~大里~新清洲~丸ノ内~須ヶ口~新川橋~二ツ杁(いり)~西枇杷島~東枇杷島~栄生(さこ)~名鉄名古屋(27.1㎞)
名古屋泊
〇11月20日(水)曇り
名鉄名古屋 7:10頃 → 鳴海7時半頃
鳴海~本星崎~本笠寺~桜~呼続~堀田~神宮前~金山~山王~名鉄名古屋(12.9㎞)
ひかり650号 名古屋13:31 → 新横浜14:53
名古屋鉄道の旅!!順調に踏破できました
投稿日:2024年11月20日
2024年11月18日(月)からの2泊3日の旅、天気にも恵まれ、名古屋本線の藤川~豊橋(営業キロ23.1㎞)に加え、笠松~鳴海(40km)を全駅舎立ち寄りにて踏破できる。これで、名古屋本線(名鉄岐阜~豊橋:99.8㎞)のうち、鳴海から藤川までの32.0㎞となった。次回名古屋鉄道の歩きで何とかこの未踏破区間を完成したいものだ。今回の歩きで通算営業キロは、1万6千122km(活動日数797日、日本の鉄道の58.2%、地球円周の40.2%)となった。
今回の旅の特筆事項は以下の通り。
①今回の旅で”全国鉄道つたい歩き/二万キロを目指して”を印字した襷をして臨み自分のモチベーション向上に努めた。
※豊川を背後にして
②2万キロ達成のためには、近畿日本鉄道(総営業キロ582.3㎞)と名古屋鉄道(総営業キロ445.4㎞)の踏破は不可欠であると痛感した。同時に日本の25本線(現在18本線踏破)のうち、久大本線や室蘭本線などの7路線の踏破も。
③今回の旅は2泊3日と短い旅であったが、何とかやりくり算段し、名古屋鉄道の旅ができて、天や神、そして家族に感謝また感謝。
④今回の名古屋鉄道の踏破を通じ、この鉄道の攻略方法が何とか勉強できたような気がする。
⑤先日の近鉄線のように、名鉄線の歩きを通じも、豊橋駅・一宮駅・名古屋駅・金山駅界隈でJR線が登場し懐かしくなった。
⑥これまでのウォーキングの中で、印象に残る三日間(天気良し、コースよし、ダイヤよし)であった。
⑦木曽川や豊川などの迂回には労力を要した。また、木曽川堤駅や新木曽川駅、橋を渡って直ぐある駅舎には驚いた。
※豊川、木曽川
※木曽川土手沿いにある”木曽川堤駅”
⑧今回随所で紅葉を満喫できた。特に最後のご褒美として、神宮東公園での紅葉は強く印象に残った。
※沿線上、神宮東公園での紅葉
⑨たら福や新幹線の中で祝杯をあげることができ最高の旅となった。旅はいいものですね。
※美味しい料理と酒でした!!マスター有難うございました
名古屋鉄道の旅!!約2ヵ月振り
投稿日:2024年11月18日
2024年11月18日(月)晴れ、約2ヵ月振りに、2泊3日で私鉄の中で3番目に鉄道路線キロを持つ名古屋鉄道(総営業キロ:445.4㎞)の踏破に挑戦。これまで2番目に長い東武鉄道(463.3㎞)は既に踏破済みである。また、1番目の近畿日本鉄道(582.3㎞)については4割位踏破している。
名鉄は本年2回目の挑戦。1回目は、竹鼻・羽島線(新羽島~名鉄岐阜:16.3㎞)については踏破済みである。また、2012年7月22日(土)開催の第47回わいわい会(高松一高同窓歩き会)で田県神社前から小牧までの3.5㎞は踏破済みである。それを受け今回、名古屋本線(豊橋~岐阜羽島:99.8㎞)に挑戦。果してどこまで詰められるか。詳細は11月20日(水)以降のプログで。
今回の旅は、これまで3点セットに加え、先日の11月16日(土)以来2度目のリニュ-アルした帽子と新たな襷を着用して臨みます。どこかで4点セットを見かけた時は”頑張れ”の激励を頂ければ幸いです。
リベンジ60回目!!南武線など整理(後編)
投稿日:2024年11月16日
<尻手~浜川崎~浅野>
※南武支線・鶴見線などの路線図
※尻手駅
この区間の駅舎立ち寄り時刻は次の通り。
尻手(11:20)~八丁畷(なわて、11:50)~川崎新町(12:32)~小田栄(12:47)~浜川崎(13:18)~武蔵白石(13:45)~大川(14:07)~武蔵白石(14:26)~安善(14:35)~浅野(14:46)~新芝浦(15:00)~浅野(15:11)
⑥尻手駅界隈で浜川崎方面の道筋を確認のため右往左往する。この駅から川崎方面と浜川崎方面に分岐するため、暫く歩いた先で、鉄道下を潜り、南武支線沿いを歩く。11時42分、京浜東北線の踏切を横切る。暫く歩くと、前方に高架した京急の線路を発見。その手前の道筋を左折し、JR線に近づく。1階は京急線、2階はJR線で交わっている八丁畷駅には11時50分到着。
※八丁畷駅への路
※八丁畷駅
⑦11時53分、京急踏切を横切る。11時54分、JR線下を潜り、鉄道の右側となる。丁度、お昼になったので喜久庵(蕎麦屋)に立ち寄り、20分位一息入れる。美味しいざるそばであった。12時25分、県立川崎高校前を通過。12時32分、川崎新町駅に到着する。この界隈の踏切で機関車のみが通過して行く。ここから紅葉が見頃な道筋を歩き、浜川崎駅を目指す。
※久し振りにランチタイムに巡り会える
※1両編成の機関車と出会う、川崎新町駅への路
※川崎新町駅(20年前には金網しか撮影できず)
⑧快適な歩道を淡々と歩いた先に、20年前になかった小田栄駅(12時47分)があった。
※小田栄駅への路
※小田栄駅(20年前にはなし)
⑨12時53分、東小田小学校前を通過。12時56分、東小田公園前を通過。企業の敷地で大回りを余儀なくされ、幹線道路を横切って暫く歩いた先に浜川崎駅(13時18分)があった。この駅は道路を挟んで、南武支線の浜川崎駅と鶴見線の浜川崎駅があった。これで南武支線のリベンジは終了となる。
※浜川崎壁への路
※鶴見線の浜川崎駅、南武支線の浜川崎駅
※南武支線の浜川崎駅
<鶴見線リベンジ>
⑩浜川崎から鶴見線に沿って歩く。武蔵白石駅には13時45分到着。その先の武蔵白石踏切を13時48分横切る。物流倉庫が一杯ある道筋を淡々と歩く。13時58分より、121歩ある白石運河(大川橋)を横切る。14時2分、日本ガラス踏切を横切り、鉄道の右側となる、大川駅には14時7分到着。駅前には三菱化工機の建物があった。再度同じ道を歩き、武蔵白石駅には14時26分到着。
※武蔵白石駅への路
※武蔵白石駅
※大川駅への路
※大川駅
※再度、武蔵白石駅への路
⑪14時28分、83歩ある白石橋を渡る。大川駅への線路がある安善駅には14時35分到着。14時42分、65歩ある末広橋(旭運河)を渡る。14時42分、末広第一踏切を横切った先に浅野駅(14時46分)があった。この駅から新芝浦駅と海芝浦駅に繋がる道筋を歩く。この幹線道路も物流倉庫の建物が並んでいた。14時48分、末広第二踏切を横切り、鉄道の右側となる。幹線道路を淡々歩いた先に新芝浦(15時)があった。この駅から東芝の敷地で、電車しか海芝浦駅には進むことができず。運よく、海芝浦行きの電車がやって来るが数秒の差で乗車できず。誠に残念な結果となった。従って、浅野駅からのリベンジは失敗となった。気を引き締めて浅野駅には15時11分到着。
※安善駅、東芝ソリューション前
※末広橋、浅野駅
※新芝浦駅への路
※新芝浦駅、海芝浦駅への電車来るが乗れず
※海芝浦駅は東芝の敷地を通過するため、立ち寄りできず
⑫鶴見駅への帰路、4番ホームのところ、誤って2番ホームで待機していたため、15時20分発の鶴見方面の電車に乗り遅れる。良く観察してみると、浅野駅のホームは1番ホームから4番ホームとなっており、1番ホームは浜川崎方面、2番ホームは鶴見方面、3番ホームは海芝浦方面、そして4番ホームは海芝浦からやって来る鶴見方面となっていた。15時40分の電車で鶴見到着後、京浜東北線と横浜線を経由し町田駅を目指す。
※浅野駅
⑬町田駅で用事を終了後、町田駅界隈の中華料理屋に立ち寄り祝杯をあげる。本日は忙しい一日であったが、予定通り、南武線と鶴見線の仕上げができ実りある一日となった。リベンジフォローの歩き旅も良いものですね。
※東神奈川駅、町田界隈の中華料理屋で祝杯