2020年5月の記事一覧

東海道本線の駅舎とは!!”日本縦断の旅”その32(稲枝~桂川)

投稿日:2020年05月19日

東海道本線の第7弾は、稲枝駅から桂川駅までの18駅舎。

この区間でも数々の思い出が浮かんで来る。その例示を3つ挙げるとすれば次の駅舎。

※稲枝駅、能登川駅、安土駅、近江八幡駅、篠原駅、野洲駅

①我が母校がある南草津駅だろうか。この駅舎の界隈にある立命館琵琶湖キャンパスを第2回数物同窓会(2009年6月20日(土))の開催機会を利用し、5名で訪問した。私はこの時2度目の訪問であったが、他のメンバーは初とのことで、広大な新しいキャンパスに感動また感動した様子が昨日のような思い出される。

※立命館琵琶湖キャンパス

②大津駅前ある山吹地蔵の心温まる句だろうか。著書創刊号から引用すると次の通り。

※守山駅、栗東駅、草津駅、南草津駅、瀬田駅、石山駅

駅前には木曽義仲を偲ぶ山吹地蔵(旧東浦)と次のような俳句があった。「木曽どのを したひ山吹 ちりにけぬ」。また、昨日宿泊したビジネスホテル湖月から少し行った先に浄土宗大施山西福寺(11時15分)があった。地蔵さんの隣の掲示板には、じんとなる心温まる句があった。「美しく老いる為に 身体をいたわり 言葉やさしく そして心はやわらかに」。

③大津駅から九条山など二山を越えやっと到達した京都駅だろうか。東海道五十三次の終点である京都は私の第2の故郷で、学生時代の懐かし思い出が、この地を訪問する都度思い出される。

※懐かしい京都の風情

※膳所駅、大津駅、山科駅、京都駅、西大路駅、桂川駅

東海道本線の駅舎とは!!”日本縦断の旅”その31(枇杷島~河瀬)

投稿日:2020年05月13日

東海道本線の第6弾は、枇杷島駅から河瀬駅までの18駅舎。

東海道本線と東海道五十三次とでは、次表の通り、営業キロの他、名古屋から草津までのコースが大幅に異なる。それ故、関西本線と草津線を鉄道つたい歩きすることにより、東海道五十三次の気分も味わった。なお、関西本線の名古屋~亀山は2013年3月、亀山~柘植は2020年1月、そして草津線の柘植~草津は2017年10月歩き終えた。

①この区間で今でも強く印象に残っているのは、”カッシーの20年間の歩み”でもご紹介した、2008年3月29日(土)に発生した垂井駅手前での財布・青春18きっぷロスト事件であろうか。この事件を思い出すと、コンビニ店名にある”不帰店”が登場して来る。その時の場面を著書創刊号から引用すると次の通り。

※枇杷島駅、清州駅、稲沢駅、尾張一宮駅、木曽川駅、岐阜駅

やまびこ路で12時35分昼食を摂る。マスターは友人の中田さんに似ていた。昼食を終えて精算のとき、「ローソン等のスーパーはありますか」と尋ねる。「この界隈には沢山あります」との回答を得られ安堵する。13時5分垂井町に入る。道路標識には大垣10km、岐阜27kmとあった。少し行った先にローソン垂井不帰店(岐阜県垂井町字不帰)があり、515円のAPSフィルムを購入する。しかし、ここから垂井駅間でポケット型ナップサックのチャックをしめ忘れたため、現金6万円余と青春18きっぷをロストすることになる。気がついたのは垂井駅(14時頃)であった。朝倉口の交差点で「垂井町は竹中半兵衛の里」を記念写真に収める。落としたのはこの交差点かも知れない。

※西岐阜駅、穂積駅、大垣駅、垂井駅、関ヶ原駅、柏原駅

②もうひとつは、2014年7月20日(土)、岐阜東横インを拠点とした第54回わいわい会(高松一高同窓の歩き会:27名参加)の長良川を渡る際の私の失敗談だうろか。宴会の席上で多田野会長が挨拶された、長良川うかい(迂回・鵜飼)の名スピーチは今でも強く印象に残っている。下記はわいわい道中記より引用したものである。

※近江長岡駅、醒ヶ井駅、米原駅、彦根駅、南彦根駅、河瀬駅

穂積駅には30分遅れの15時11分に到着する。我々9名を12人が待ってくれていた。多田野会長、門口さん、佐藤さん、田月さん・・・・・・。15時20分、結団式の後、穂積駅で21名の集合写真を撮影。穂積駅と西岐阜駅の間に長良川があるのを失念する。誤って、鉄道の線路を括ったのが大失敗。15分位のんびり歩いた後、前方を長良川が突如遮る。頭の中が真っ白になる結果を招く。橋が遠くに2つ見える。一つは、左手には1.5km先にある橋、二つ目は右手には1㎞先にある橋。迷った結果、右手に見える橋をわたることにする。結果的には正解であったが、歩道と車道とが分離していないため、20分位、長良川迂回に皆さんを大変危険な道中を味わってもらうこととなる。無事全員が通過できほっとするが、もしもの事態を想定すると反省・反省で満腹となる。

東海道本線の駅舎とは!!”日本縦断の旅”その30(幸田~名古屋)

投稿日:2020年05月09日

東海道本線の第5弾は、幸田駅から名古屋駅までに登場する18駅舎。

※幸田駅、岡崎駅、西岡崎駅、安城駅、三河安城駅、東刈谷駅

今回の駅舎シリーズで印象に残るのは、2013年7月20日(土)から一泊二日で開催した、名古屋東横インを拠点とした第50回わいわい会(高松一高同窓の歩き会)であろうか。このわいわい会が終わり次第、高松一高同窓のご協力を得て、”わいわい道中記50回記念号”(A5判372頁)を発行した。懐かしい思い出がこの道中記を読むと蘇る。記録を描くのは大変だが、その作業を続けることは、自分の励ましや第三者への発信などから大切であると痛感する今日この頃である。

※わいわい道中記(集合写真は第47回わいわい会開催の犬山城:2012年7月22日(日))

※野田新町駅、刈谷駅、逢妻駅、大府駅、共和駅、南大高駅

もう一つは、2007年3月4日(日)、名古屋駅から営業キロ2.4㎞先にある尾頭橋駅に向かう際、東海道本線の他、中央本線、関西本線、名鉄線などが合流していたこともあり、迷いに迷って2時間19分要し、やっ踏破した苦い体験どろうか。その場面を著書創刊号から引用すると次の通り。

※大高駅、笠寺駅、熱田駅、金山駅、尾頭橋駅、名古屋駅

(^^♪( ^ω^)・・・…♪・・・・・・

ホテルを出て名古屋駅には7時58分到着。駅前の髙島屋のデパートの建物は印象的であった。8時10分、日本生命笹島ビル前を通過。この近郊で進行を誤り桑名方面に向かうことなる。8時38分、中川区九重町を通過。行けども行けども名古屋から2.4km先の尾頭橋駅に到着できず。それで、道に迷ったのではないかと思い、恐る恐る尾頭橋駅の方向を聞く。9時8分、近鉄の烏森駅まで迷って来ていた。最初に尋ねた人はJR八田駅の道はわかるが、尾頭橋駅は見当がつかないとのことであった。

それで、複数の人に聞くがタイムリーな回答が得られず。最後に犬を散歩させている女性に聞いてやっと修正への方向がわかる。朝来た路を引き返す。9時50分、やっとリカバリーすべき原点に到達する。尾頭橋駅には10時17分到着しホッとした気分になる。2.4kmのウォーキングに約2時間要す。名古屋駅にはJR東海道線の他にJR中央本線、JR関西本線、近鉄名古屋線、名鉄常滑線、名鉄本線が複雑に通っており、名古屋に不慣れな私にとって、迷路の宝庫に思われた。すなわち、ウォーキングの醍醐味を味わうこととなり、これまでのウォーキングの中でリカバリーに最長の時間を要すこととなる。

東海道本線の駅舎とは!!”日本縦断の旅”その29(豊田町~三ヶ根)

投稿日:2020年05月07日

鉄道つたい歩きの20年の振り返りを終え、再び日本縦断の旅に戻ります。本日は、豊田町駅から三ヶ根駅までの18駅舎。

今回の駅舎で印象深く残っている駅舎は次の通り。下記のような平温無事な日々が懐かしい。我慢の月日が恰も3年位経過したような気がします。今はただ一つ!!平温無事な日が一日でも早く来ることを祈るのみです。

※豊田町駅、天竜川駅、浜松駅、高塚駅、舞坂駅、弁天島駅

①三ヶ根駅は、東京から米原までの歩きでゴールとなった駅である。

②弁天島駅は、よき時代の頃、N社の保養所をお借りして、アクチュアリー会夏季セミナーや商品専門委員会での懇親ゴルフの時に下車した駅舎で印象深い。また、弁天島界隈の橋はカッシー館のトップページあるほか、第35回わいわい会(2009年8月29日(土)~30日(日))でも通過したので。

※平成2〜3年頃、浜名湖CCにて

※新居町駅、鷲津駅、新所原駅、二川駅、豊橋駅、西小坂井駅

③高塚駅は、第35回わいわい会や第66回わいわい会(2017年7月22日(土)~23日(日))でも立ち寄った駅である。

④浜松駅は第66回わいわい会(33名の参加)で拠点となった駅。特に反省会でのウナギの老舗”藤田”は今でも参加メンバーから好評である。

⑤蒲郡駅は第70回わいわい会(2018年7月21日(土)~22日(日))で拠点となった駅。蒲郡温泉”ホテル竹島”での懇親会・反省会はよき時代の社内旅行を思い出させてくれた。

※愛知御津駅、三河大塚駅、三河三谷駅、蒲郡駅、三河塩津駅、三ヶ根駅

⑦2006年8月4日(金)、青春18きっぷを活用し、”ムーンライトながら”で豊橋まで移動。4時過ぎから営業キロ36.5㎞先にある浜松に向けて歩いた。私も若かった。その場面を著書創刊号から引用すると、次の通り。

’’’’(^^♪・・・・・♪・・・・

我慢できず、ナップサックを椅子にして通路に座り込む。そして、MDウォークマンで空白時間を埋める。眠ろうとしても、時々トイレに行く客で眠れず。殆ど徹夜麻雀した状態となる。1時4分の小田原止まりの電車が来るや否や4番ホームに「ながら」が入線して来る。人気の夜行電車だけあり、電車は殆ど満席の状態であった。私は8号車の真ん中辺りに乗り込む。通路で降りる乗客を待ったが、結局豊橋まで座れず。熱海まで立っていたが、とうとう途中静岡で10分程度、浜松で30分程度「ながら」は停車する。浜松での停車時間を利用して、ホームに出て一服する人もいた。エコノミークラス症候群を避けるため、私は立ち上がり手足等を動かし血液循環の活性化に努める。後発の「ながら」91号も到着し、10分程度同一ホームに並ぶ。肌色の91号は全席指定のためゆったりした感じの車両であった。

兎にも角にも4時22分、豊橋駅に辿りつくことができた。20分程度休み、「ながら」91号の発車で浜松方面の進路を確認する。辺りはまだまだ暗く、歩く方角が判断しにくいためである。4時40分頃から浜松に向けて歩き始める。駅前には公園のような広場があった。数人がベンチに腰掛けていた。何となく辺りは少し薄明るくなった感じであった。線路の右側を進む。4時55分、花田跨線橋を渡り鉄道の左側に出る。5時頃北東の空がほんのり明るくなり太陽が顔を出す。日の出の位置が自分の想定したのと逆の方向だったので、名古屋方面に進んでいるのではないかと何度も疑心暗鬼にかられた。それで早朝自転車に乗った年輩の方に豊橋方面の方位を確認する。間違っていないことを確認できた。

 

思い出に残る駅舎で!!20年間を振り返りました

投稿日:2020年05月05日

これまでの20年間の鉄道つたい歩きの中で、駅舎の正確な数は掌握していませんが、およそ3000駅舎は踏破したと思われます。このうち、苦渋の選択で、今強く印象に残っている駅舎のベスト12をあげるとすれば、次の通りでしょうか。

最初に近鉄線にある橿原神宮前駅を思い出しました。この駅は、私の苗字(樫原)と漢字は異なりますが、発音が”かしはら”と同じなので、親しみを感じ第1位としました。また、第2位の予讃線にある下灘駅は、駅舎から風光明媚な瀬戸内海から一望できた強い印象からこの順位にしました。以下略。

 

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