2025年9月の記事一覧
南海電車の旅!!その5(極楽橋~高野下)後編
投稿日:2025年09月15日
本日の各駅舎立ち寄り時刻は次の通り。
極楽橋(10:27)~紀伊神谷(11:03)~紀伊細川(11:57)~上古沢(13:20)~下古沢(14:00)~高野下(14:41)
①10時30分、赤い極楽橋を潜る。鈴を鳴らしながら笛を吹きながら上古沢駅まで進む。10時36分、鉄道を跨ぎ線路の右側となる。ここからは、鉄道は道路から30m位下にあった。10時44分、民家前を通過する。くねくねした路をナビで検索しながら進む。3から4箇所位分岐点があった。10時47分、車と対面し少し安堵する。急な坂道を下った先に紀伊神谷駅(11時3分)があった。
※極楽橋駅、熊出没の看板
※極楽橋駅前
※熊が出没しそうな道筋
※紀伊神谷駅
②11時6分、紀伊細川第1号踏切道を横切り、鉄道の左側となる。11時15分、民家がある。11時28分、上り下りの車と対面する。11時45分、民家が拡がる。11時45分、前方中腹に紀伊細川駅を見つける。道路から30m位の高台にあった。11時50分、八坂神社で本日の安全を祈願する。11時52分より、急な階段を上る。紀伊細川駅には11時57分に到着する。
※紀伊細川駅への路
※前方山の中腹に紀伊細川駅が見てくる(ナビの道筋が理解できる)
※紀伊細川駅
③12時5分より、下り坂の道筋を歩く。12時12分、27歩ある不動谷川を渡る。12時21分、八坂神社参道から国道370号線に合流する。ここで熊出現リスクから解放され心身共に安堵する。天や神のご加護を強く感じる。12時26分、向こうの山間から高野線の線路が見て来る。14時3分、九度山町標識前で国道を離れ右折する。13時7分より、51歩ある橋を渡る。急な坂を上った先に上古沢駅(13時20分)があった。ここで下車した方と対面する。「極楽橋から歩いて来ました」「大変だったでしょう。これからは楽です。気を付けて歩いてください」と激励を受ける。お礼を言って別れる。高台からは沢山の民家が拡がっていた。
※国道370号線に出るまでの路
※国道370号線を歩く
※上古沢駅への路
※上古沢駅
④くねくねした道筋を歩き、国道370号線を目指す。13時32分、33歩ある新宮前橋を渡る。この橋を渡り、13時36分、国道に合流する。13時42分、九度山町中古沢を通過。13時48分、やっと自動販売機に巡り合える。15時47分、37歩あるつら橋を渡る。その先で国道から右折し、くねくねした坂道を上る。下古沢駅には14時に到着する。安堵したこともあり、この駅舎で持参したお握りで遅いランチとする。ここでも住人の方と出会う。「極楽橋からやって来ました」とあいさつ代わりにしゃべらせていただくと、「驚いた様子で紀伊細川までの道のりは大変だったでしょう。頑張って下さい」と激励を受ける。カッシーチラシを手渡し、お礼を言ってこの場を去る。
※下古沢駅への路
※やっと自動販売機に巡り合える
※下古沢壁への路
※下古沢駅
⑤14時7分、先程上って来た急な坂道を下る。14碑9分、国道370号線に合流する。九度山町下古沢とあった。14時25分、和歌山48㎞、橋本10㎞、国道24号線8㎞と記した標識前を通過。14時37分、九度山町椎出(しいで)交差点前を通過。14時40分、南海本線下を潜り、鉄道の右側となる。橋を渡った先に高野下駅(14時41分)があった。万歩計は36,751歩とあった。高野下駅には私と同様、極楽橋駅から歩いて来た大阪在住の方2名と対面する。私と同様、駅員さんなどから「熊が出没するので、おすすめできないと言われました。これから九度山駅まで歩きます」。カッシーチラシを手渡し、お礼を言って、高野下駅14時58分発の橋本行きに乗車する。
※高野下駅への路
※高野下駅
⑥九度山駅で特急と離合するため、10分位の待ち合わせとなる。橋本15時36分の急行で新今宮駅に戻る。ホテルには16時45分到着する。汗を流した後、ホテル近くのラーメン店に入り、餃子とらーめんを頂きながら缶ビールで祝杯をあげる。14年越の課題がクリアできホッとする。命がけの一日であった。天や神に新しい命を貰ったような心境となった。
※橋本駅、新今宮駅
※餃子とラーメンで祝杯
(^^♪‥・・・・・・(^^♪・・・・・・
本日の行程に関し、アクチュアリーの友人今治久昇様とフコク生命時代の友人長尾昇蔵様から心温まるメッセージを頂きました。有難うございます。この場をお借りし熱く厚く御礼申し上げます。これからも安全第一で鋭意努力したいと考えています。
〇メインイベントの高野山奥之院参拝後の帰りは「クマ出没!」の看板があり、鉄道関係者や地元住民もお勧めできないルートで命がけでしたね。強運としか言いようがありません。難所区間として見送られた極道橋~高野下区間の無事踏破おめでとうございます!高野山は宿泊者の半数が外国人で欧米や豪州が多く、奥の院は先の戦争の慰霊碑もあるとのこと。14日の新聞で読みました。
〇熊出没の看板?全くの獣道ではないですか!本当に危ないよ~!北海道ではそろそろドングリが落ち始めました。ということは冬眠前の活動期に入ります。本州もうかうか出来ませんよ~!秘境駅っぽいのはやめてくださいよ~!11月に会える日をただ祈るだけ!
南海電車の旅!!その5(極楽橋~高野下)前編
投稿日:2025年09月15日
2025年9月10日(水)晴れ、南海電車の旅の5日目は、高野山奥之院参拝後、高野線の極楽駅から高野下駅までの営業キロ10.3kmに挑戦する。この区間は、2011年9月11日(日)、乗り鉄で通過したことがある。あれから何時の間にか14年の歳月が流れる。当時南海電鉄の職員さんから「この区間様々リスクがあるので歩くことは難しい」との提言を受け、14年間積み残し課題として存置してきた。しかし、次表の通り、最近難しい区間にも天や神のご加護を得てクリアしてきたので、楽観的に今回挑戦することにした。
※いざ出陣
※下古沢駅、上古沢駅
※紀伊細川駅、紀伊神谷駅
新今宮駅を6時2分と早朝のダイヤ出発のため、寝坊しないよう就寝する。しかし、枕を高くしては眠れず。3時半頃目が覚め、本日の支度をする。昨夜コンビニで買って来たお握りを朝食とする。新今宮からうとうとした状態で電車の中を過ごす。気がついたら、紀伊清水駅(新今宮から41.5㎞地点)であった。下古沢駅と紀伊細川駅で離合がある。7時35分のケーブルで高野山に向かう。高野山には7時48分に到着する。8時頃のバスで奥之院まで向かう。
※極楽橋駅
※ケーブルで高野山駅へ
※高野山駅
奥之院の玄関先には8時18頃到着。ここから奥之院まで歩くことにするが、誤って奥之院参道を全部歩き切る。8時45分、丹生院があった。また、8時47分、赤松院があった。弘法大師本体のお堂がないので右往左往する。丁度地元の方と対面し、「ここから10分位歩いた先に奥之院があります」と教えて頂く。運よく、奥之院に向かう地元の方にお会いし、奥之院までご案内頂く。この方に、「本日奥之院の参拝後、極楽橋から高野下まで歩く」旨をお話する。すると、「この区間熊が出現しています。お勧めできません」と提言を受ける。「これから弘法大師様にお願いするから大丈夫でしょう」と楽観的に応える。「とてもお勧めできません。気を付けて対処してください」と。奥之院への路はT路地を反対方向に進んでいた。案内板表示が分かりにくかったので、反対方向に進んでしまった。奥之院の玄関先で案内頂いた方にお礼を言って別れる。
※奥之院参道を歩く
※奥之院の弘法大師お堂を参拝
奥之院のお堂を参拝後、9時49分のバスに間に合うよう、奥之院玄関先に向かう。高野下駅発10時18分のケーブルで極楽橋駅に向かう。車窓から鹿2頭を見つける。極楽橋駅には10時27分に到着する。後編に続く!!
※奥之院バス停から高野山駅へ
※極楽寺駅へ
南海電車の旅!!その4(春木~難波)後編
投稿日:2025年09月15日
④JR東羽衣駅がある南海本線の右側を歩く。鉄道に沿って淡々と歩いた先に浜寺公園駅(12時33分)があった。この駅手前で大事なメモ帳のロストに気付く。一瞬頭の中が真っ白となる。これまでもこのようなケースは何度かあったが、全て事なきを得る。100m位引き返した先の道端で見つかり(12時31分)安堵する。この界隈は高架工事中であった。阪堺線が左手に登場する。12時46分、阪堺線踏切を横切ると、南海本線があり電車が通過して行く、12時50分、諏訪ノ森公園駅には13時に到着する。
※浜寺公園駅へ路(メモ帳ロストするが事なきを得る)
※浜寺公園駅
※諏訪ノ森駅への路
※諏訪ノ森駅
⑤13時10分、丸亀製麺の店(堺浜寺)があったので立ち寄り、讃岐うどんを頂く。店内には讃岐富士の写真があった。この店で10分位寛ぐ。13時22分より、133歩ある石津川橋(石津川)を渡る。石津川駅には13時37分に到着する。高架下を歩き、湊駅には14時1分に到着。そして、堺駅南歩道橋を渡った先に堺駅(14時30分)がった。政令都市だけに駅構内は色んな店があり賑やかであった。
※丸亀製麺
※石津川駅への路
※石津川駅
※湊駅への路
※湊駅
※堺駅への路
※堺駅
⑥14時48分、41歩あるさざなみ橋を渡る。少し歩いた先で鉄道下を潜り。南海本線の左側となる。14時50分、金象印が印象的な浅香工業(株)前を通過。七道駅には15時6分に到着。15時18分、高速道路下を潜る。15時21分より、阪和線や高野線などのつたい歩きで渡った大和川(大和橋)を通過する。この橋は万歩計で355歩だった。この川を渡ると堺市から大阪市となる。
※七道駅への路
※七道駅
⑦住ノ江駅には15時45分到着する。そして、高架下を淡々と歩いた先に住吉大社駅があった。遠くから住吉大社をお参りする。粉浜商店街を歩く。3分の1位がシャッターを閉めていた。人通りは疎らであった。16時17分、粉浜中公園前を通過。粉浜駅には16時21分に到着する。
※住ノ江駅への路
※住ノ江駅
※住吉大社駅への路
※住吉大社駅
※住吉大社
※粉浜商店街を経由して粉浜駅へ
※粉浜駅
⑧引き続き高架下を淡々と歩く。南海本線と高野線が合流する岸里玉出駅には16時37分に到着する。天下茶屋駅には16時57分に到着する。この駅構内も堺駅と同様賑やかだった。高架下の左側を淡々と歩く。新今宮駅には17時20分に到着する。
※岸里玉出駅
※天下茶屋駅への路
※天下茶屋駅
※新今宮駅への路
※新今宮駅
➈南海本線下を潜り、200m位歩く。幹線道路を左折し、JR線下を17時26分潜る。1㎞倉歩いた先で左手に南海線の線路が見えたので左折し、線路に沿った道筋に合流する、その道筋日本橋小中小学校と中学校があった。線路に沿った道筋は人通りが多かった。高島屋などがあるビルを経由し、南海なんば駅には18時5分に到着する。万歩計は56,426歩であった。駅前には広場があり沢山の椅子が疎らに100個位あった。どの椅子も埋まっていた。駅前で通行人の方に記念写真を撮って頂く。
※難波駅への路
※南海なんば駅
⑩当初はここからホテルまで歩く事を考えていたが、明日も歩きがあることを考慮し、電車で新今宮駅まで移動することする。新今宮駅で明日の高野線のダイヤを教えて頂く。一昨日新今宮駅発を教えて頂いた。早い順で5時9分、6時2分、6時31分、7時17分を。この中で6時2分に乗れば、極楽寺駅からケーブル―で高野山駅まで移動し、そこからバスで奥之院まで向かい、そこでお参りし、極楽橋駅には11時頃戻れるだろうと判断する。念のため、6時2分の電車の行き先をお伺いする。運よく、極楽橋駅が終点教えて頂く。
※新今宮駅、懐かしいUCCコーヒー
⑪ホテルには18時40分到着。汗を流した後、あべのルシアスにある天ぷら海鮮”米福”に立ち寄り、本日の疲れと明日の高野線仕上げに向かって英気を養う。充実した一日であった。
※米福で祝杯
南海電車の旅!!その4(春木~難波)前編
投稿日:2025年09月15日
2025年9月9日(火)晴れ、南海電車の旅の4日目は、春木駅から難波駅までの営業キロ23.7kmに挑戦する。本日は南海本線の仕上げ旅となると同時に今回の旅で最長区間となった。また、春木駅から難波駅まで間に18駅もあり、通り過ぎないよう細心の注意を要した。本日もホテルで朝食をとってから臨む。それにしても東京や大阪などの都心の鉄道網はダイヤの本数が多々あり助かる。一日数便の地方の鉄道網に比べ歩きやすい環境と改めて認識する。昨日と同様、堺駅までは各駅で堺駅から準急に乗り換え春木駅に向かうことにする。
※阪堺電車の車両に本日も対面、堺駅で乗り換え
※春木駅
本日の各駅舎立ち寄り時刻は次の通り。
春木(8:32)~忠岡(9:02)~泉大津(9:42)~松ノ浜(10:06)~北助松(10:27)~高石(10:52)~羽衣(11:43)~浜寺公園(12:33)~諏訪ノ森(13:00)~石津川(13:37)~湊(14:01)~堺(14:30)~七道(しちどう、15:06)~住ノ江(15:45)~住吉大社(16:02)~粉浜(こはま、16:21)~岸里玉出(16:37)~天下茶屋(16:57)~新今宮(17:20)~難波(18:05)
①踏切を横切り、鉄道の左側となる。本日は原則、左側をキープして歩く。8時41分、岸和田けいりん前を通過。忠岡駅には9時2分に到着。今歩いている道路は府道204号線(阪堺南線)とあった。9時16分、忠岡町消防本所前を通過。9時21分より、万歩計で198歩ある大津川橋(大津川)を渡る。橋を渡ると忠岡町から泉大津市となる。泉大津駅には9時42分に到着する。そして、淡々と歩いた先に松ノ浜駅(10時6分)があった。
※岸和田けいりん経由で忠岡駅へ
※忠岡駅
※泉大津駅への路
※泉大津駅
※松ノ浜駅
②10時12分、小学生作品の壁画がある前を通過。この界隈で高架は終わりとなる。10時16分、府道204号線に合流する。北助松駅には10時27分に到着する。10時32分、踏切を横切り、鉄道の右側となる。10時35分、道路下を潜る。10時43分、鉄道は高架となる。高石駅には10時52分に到着する。駅前にあるスーパーライフの店があり賑やかであった。9月28日、10月11日~12日日に開催される”だんじり祭り”の提灯が岸和田駅前をはじめとして沿道でいたるところで見かける。
※北助松駅への路
※北助松駅
※高石駅への路
※高石駅
③10時7分、高石小学校前を通過。11時21分、線路下を潜り、鉄道の右側となる。11時26分、35歩ある新羽衣橋(あしだ川)を渡る。おとぎ話に登場する羽衣が描かれた会館前を経由して羽衣駅には11時43分到着する。高架した鉄道の右側に出る。ここで怪奇現象に遭遇する。誤って高石方向に進むという現象である。ナビの動きが今でも解明できないでいる。2017年11月、天竜浜名湖鉄道の旅でも気賀駅から西気賀駅に向かう際、誤って気賀駅に戻るという怪奇現象を思い出し懐かしくなる。途中、通りがかりの人に聞いて、誤って高石駅方面に進んでいることが判明する。羽衣駅には12時18分到着。35分のロスタイムとなる。でも、このような誤って進むのも歩き鉄旅ならではの醍醐味である。羽衣伝説にあやかって楽しい時間を過ごさせて頂く。この駅に面して阪和線範疇の羽衣線(鳳~東羽衣:1.7㎞)があった。阪和線と南海本線の繋ぎの役目で地元の方にとっては重要な路線であると思われた。後編に続く!!
※羽衣会館への路
※羽衣伝説の絵画
※羽衣駅への路、羽衣駅。東羽衣駅(JR線)
南海電車の旅!!その3(尾崎~春木)後編
投稿日:2025年09月14日
⑥12時23分、高架路線から通常の路線となる。12時36分、優人会病院前を通過。その先に”しょうへい橋”があった。12時41分、42歩ある佐野川を渡る。井原里駅には12時46分に到着する。丁度、特急電車が通過してゆく。そして、鶴原駅には13時16分到着する。13時23分、田尻町から貝塚市となる。川を渡る。二色浜駅には13時39分に到着する。
※井原里駅への路
※井原里駅
※鶴原駅への路
※鶴原駅
※二色浜駅への路
※二色浜駅
⑦13時44分、大阪34㎞、岸和田4kmと記した標識前を通過。13時50分、喉がからからとなりやっと喫茶店に巡り合える。伊太利庵“匠珈琲王様ファイル”という粋なでアイスコーヒとケーキを頂く。この小休止は火照った身体を癒してくれた。生き返る。14時15分、62歩ある近木橋(近木川)を渡る。貝塚駅には14時40分に到着する。
※喫茶店までの路
※貝塚駅への路
※貝塚駅
⑧14時45分、感田神社・海幸戎神社前を通過。15時2分、56歩ある昭代橋(津田川)を渡る。蛸地蔵駅には15時22分到着する。そして、線路沿い沿って歩いた先に岸和田駅があった。いつの間にか線路は高架となっていた。
※蛸地蔵駅への路
※蛸地蔵駅
※岸和田駅への路
※岸和田駅
⑧15時52分、道路下を潜る。15時59分、踏切を横切り、鉄道の左側となる。和泉大宮駅には16時2分に到着する。16時14分、踏切を横切り、鉄道の右側となる。16時15分、春木新温泉があった。踏切を横切り、鉄道の左側となる。上りホームにある春木駅には16時26分に到着する。南海本線の大半の駅が線路を跨ぐ通路がなく、上り下りの改札口が独立していた。この駅をこのようなタイプの改札口であった。万歩計は46,384歩となっていた、10分位の待ち合わせで急行がやって来る。新今宮駅には16時51分に到着する。
※和泉大宮駅への路
※和泉大宮駅
※春木駅への路
※春木駅
➈ホテルには17時20分に到着。汗を流した後、あべのルシアスにある酒房”ワビスケ”で本日の疲れを癒す。本日も予定の行程がクリアでき充実した一日となった。
※南海本線新今宮駅、阪堺電車新今宮駅(南海電鉄系列)
※ワビスケで祝杯