2021年10月の記事一覧

お世話になりました!!アクチュアリー先輩松本様

投稿日:2021年10月06日

2021年10月6日(水)、アクチュアリー先輩でもあり元上司の松本光治氏のお通夜(公益社吉祥寺会館)に参列する。訃報の知らせを聞いたのが10月3日(日)夕方。早速、お通夜の日程を家電で確認し本日の運びとなった。コロナ禍の影響などで、本日元フコク生命からの参列者は私を含め3名であった。

松本さんとはよく遊びよく働いた。その懐かしい思い出が、遺影写真を見ながら湯水の如く登場する。正義感が人一倍強い松本さんとの関係で、商品開発時代苦しみ悩んだ時もあったが、本日展示されていた写真を見て、その思いは一気に払拭されたような気がする。入社当時、「アクチュアリー頑張れよ」と励ましを受けた。また、飲み会にも何度か連れて行って頂いた。さらに、小淵沢の別荘でもお世話になった。そして、サラリーマンとして大切なことを教えて頂いた。文書で大切なのは、ストリーや論理展開もあるが、それより大切なのは”タイトル”であると。この教えはスポーツ新聞記事を拝見し理解できる。今でもこの教えを念頭に置いて、歩く鉄道作家としてブログ執筆に励んでいる。

そのようなことを、お通夜の帰り道、かつての松本氏の部下であった辰己洋文氏と吉祥寺駅前の居酒屋”清龍”に立ち寄り、現役時代の松本さんの話題で花が咲く。辰己氏の話によると、松本さんからよく聞かされた。「樫さんを見習い勉強しろ!!寮に訪問したら、必ず学習が進んでいる」と。久し振りに首都圏での飲み会となった。恐らく松本さんも天国から喜んでくれたに違いない。あっという間に2時間位が過ぎ去る。

松本さんお世話になりました。これからは天国でゆっくりお休み下さい!!

宮古・釜石の旅!!その3(釜石大観音・鉄の歴史館観光)

投稿日:2021年10月06日

2021年9月30日(木)晴れ、今回の旅の最終日は、釜石大観音(像高48.5m)と鉄の歴史館(日本初の近代製鉄発祥の地)を観光、そして釜石線(銀河ドリームライン)を経由にして帰宅する。

本日の流れは次の通り。

①ホテルチェックアウト 8:00

※ホテルからの”かっし川”、ホテルチェックアウト(リュック預かってもらう)、釜石駅への路

②釜石バス停前到着 8:10

※釜石駅バスターミナル、東日本製鉄(鉄と魚とラクビーの街とPR)

➂釜石大観音参拝 8:40より

釜石大観音はコロナ禍の影響で胎内には入館できなかつたが、運よく観音像の近くまで足を運ぶことができる。この像は、釜石湾に向かって建立されていた。ガイドによると、釜石大観音は、1970年、さまざまな天災で亡くなられた方の鎮魂と現世に生きる人々の救済を願い、明峰山石應禅寺十七世雲汀晴朗大和尚により建立さてたとのこと。その関係で、この胎内は七福神で構成されていた。2階が弁天財、4階が恵比須、5階が大黒天、7階が福禄寿、9階が毘沙門天、10階が寿老人、そして11階が布袋とのこと。この像は、私が参拝した神仏の中で、数年前に訪れた、世界一の牛久大仏(全高120m)に次いで高かかった。温和な顔をした神秘的な観音像を参拝でき、感謝また感謝。

④鉄の歴史館観光 9:25より

※釜石大観音を後に、岩手県立釜石商工高校

※鉄の歴史館、屋上さい太郎からの釜石大観音(再掲)

※大島高任

鐡道の歴史館からの釜石大観音、SL機関車

釜石大観音を経由し、徒歩で10分位先の”鉄の歴史館”に向かう。途中、岩手県立釜石商工高校があった。ガイドによると、鉄の歴史館は次の通り。釜石市は、1857年12月1日に、盛岡藩士・大島高任が当地で算出する鉄鉱石から洋式高炉での製鉄を試み、日本で初めて鉄の連続生産に成功した「近代製鉄発祥の地」。大島高任の偉業と釜石の製造業に携わった先人たちの功績を後世にに伝え残すため、当館は1985年7月にオープンしたとのこと。鉄の製造過程のビデオは感動また感動。また、屋上から観る、釜石大観音の後ろ姿も印象深いものがあった。建物の玄関先には鉄に関係深いSL機関車も展示されていた。

鉄の歴史館スタンプ

⑤バスで釜石バス停前 11:00

釜石駅、駅前の大島高任の像

⑥シープラザ散策 11:05

釜石駅前の平和の鐘、シープラザ釜石(地元のお土産が一堂に)

⑦ホテルでリュックゲット 11:20

※かっし川!!を画像に

⑧シープラザで昼食 11:40

※安くて美味しい海鮮丼であった!!

⑨釜石線で帰宅の途 12:13

非電化の1両編成車両で、まもなく、収穫期を迎える黄金の田圃を見ながら新花巻駅まで向かう。往路の山田線に比べれば、歩きやすそうな鉄道沿線であった。途中、遠野駅前は賑やかな風景であった。

※釜石駅(非電化の1両車両)、洞泉駅

※黄金色の田圃を経由し、新花巻駅へ

今回の旅を通じ、三陸海岸の魅力を痛感する。将来機会があれば、美しい田園風景の釜石線(花巻〜釜石:営業キロ90.2km)と全長163㎞ある三陸鉄道(日本最長の第3セク鉄道:久慈〜盛)を是非踏破したいものだ。どこまでも続く鉄道よ。旅はいいものである。完

宮古・釜石の旅!!その2(三陸鉄道つたい歩き他)

投稿日:2021年10月04日

2021年9月30日(水)晴れ、当初は三陸鉄道の陸中山田駅から吉理吉理駅までの営業キロ13.2㎞を考えていたが、今回は観光が軸のため、急遽、陸中山田駅から岩手船越駅までの5.0㎞に短縮する。お蔭で、船越湾散策や鯨と海の科学館に立ち寄りことができる。

※宮古ホテル沢田

本日の主な流れは次のようになった。

陸中山田駅(10:36)~山田湾海岸線散策〜織笠駅(11:26)~道の駅”やまだ”でランチ(12:26)~岩手船越駅(13:16)~船越海岸鑑賞(13:39)~鯨と海の科学館(14:03)~岩手船越駅(15:01)~釜石駅(15:38)~ホテル(16:05)

※本日の歩き概略図

①ホテルでゆっくり朝食をとり、9時15分過ぎチェックアウト。ゆっくり、宮古市の街並みを散策しながら宮古駅に向かう。宮古駅前の鑑賞やお土産屋に立ち寄り、9時56分まで時間を潰す。

※宮古駅

※陸中山田駅

※陸中山田駅、織笠駅への路

艶やかな2両編成の車両(かいけつゾロリ冒険号)で営業キロが26.5㎞ある宮古駅から陸中山田駅を目指す。将来つたい歩きする際、豊間根駅から陸中山田駅は11.1㎞あり、しかも山間のため骨が折れそうであった。陸中山田駅に到着するや否や、山田町ふれあいセンターにある観光案内所に立ち寄り、吉理吉理駅までの概要と観光についてお伺いする。波板海岸付近に歩くのに危うい区間があるとの情報を聞いて急遽コースを短縮する。その分観光に軸をおく。10時49分、織笠駅に向けてスタートする。10時56分、15m位ある防潮堤を乗り越え、山田湾の海岸線に出る。15分位散策後、再度防潮堤を跨ぎ、通常のエリアに戻る。左手に防潮堤を見ながら歩く。岩手県北バス停細浦前を11時17分通過。少し道路から山間に行った先に織笠駅(11時26分)があった。

※防潮堤の先には風光明媚な海岸線、防潮堤への階段

※織笠駅

②11時35分、再度国道45号線に戻る。11時40分、防潮堤の壁に絵を描いている箇所を通過。11時44分、織笠大橋前に到達。11時47分、山田湾展望広場前に到達。ここで少し足を止め、風光明媚な海岸線を堪能する。浄土ヶ浜でも観た”三陸ジオパークにようこそ!”の看板を見つける。11時59分、織笠大橋を渡る。木陰のある坂道を上る。12時14分、北長林バス停前を通過。12時26分、道の駅やまだに立ち寄り昼食とする。この駅で40分位小休止。ここから少し先に岩手船越駅(13時16分)があった。丁度、釜石行きの列車がやって来る。この駅の備え付けのノートにメモとチラシを貼り付ける。この駅で次のダイヤ15時1分を確認し、鯨と海の科学館などの観光に向かう。

※織笠大橋、山田湾展望広場

※風光明媚な山田湾、道の駅”やまだ”

※仙台234㎞:大船渡65㎞:釜石23㎞(13時11分)、岩手船越駅

※岩手船越駅

※メモ帳に記載、岩手船越駅のダイヤ

➂駅から10分ある船越海岸まで歩く。景観を確認次第、鯨と海の科学館を目指す。途中、瓦礫はないものの、2011年3月11日の津波の傷跡が残っていた。一例として、山田町立船越小学校の看板が工事中の現場にあった。生々しい傷跡を辿りながら、14時3分、鯨と海の科学館を鑑賞する。ここで、東日本大震災のビデオを拝見する。その中でこの科学館についても津波被害に関するビデオ放映がある。しかし、運よく鯨の遺跡は津波の影響を受けなかったとのことであった。改めて東日本大震災の大きさに言葉はなかった。この科学館で30分位滞在。

※鯨と海の科学館、津波から免れた鯨骨格

※館内の映像、東日本大震災の放映

※田の浜踏切、岩手船越駅

④傷跡を確認しながら岩手船越駅に向かう。14時47分、田の浜踏切を横切り、鉄道の右側となる。その先に岩手船越駅がある。14時50分到着。15時1分の列車で釜石駅に向かう。この駅で上り下りの列車が離合する。釜石駅まで車窓を眺めながら進む。釜石駅には15時38分到着。駅前には東日本製鉄所があり、鉄と魚とラクビーの街と記した看板が建物に大きく表示されていた。駅前の観光案内所に立ち寄り、明日の釜石大観音や鉄の歴史館について情報をゲットする。ホテルへの途中、かっし川(甲子川)に出合いビックリ。これまでの出会いの中でも一番印象に残る出会いかも知れない。

※大槌駅、両石駅、釜石駅

※釜石駅

※かっし川

⑤ホテルで汗を流した後、ホテルで紹介して頂いた、炭火焼料理と地酒”ろばたや”で本日の疲れを癒す。充実した一日であった。

※ホテルマルエ、南部美人で祝杯!!

※ろばたや

宮古・釜石の旅!!その1(浄土ヶ浜観光)

投稿日:2021年10月03日

2021年9月28日(火)晴れ、本日は東京駅から盛岡駅まで新幹線で移動。そこから約2時間、非電化単線の山田線(営業キロ102.1㎞)で宮古駅まで移動。
※盛岡までの新幹線内で駅弁を頂く、山田線(盛岡駅)
※山田線は名前の通り、山ばかり!!
車窓から見る限り、上米内駅から区界駅までは何と営業キロ25.7㎞もあった。歩くのには大変そうであった。今まで出会った沿線の中で最も長い区間であった。レールウエイマップル(2010年1版1刷)によると、上米内駅から区界駅の間に、大志田駅と浅岸駅があった。これらの駅が廃駅となり、これまで見たこともない営業キロとなった。これまでの最長区間は、2015年6月26日(金)踏破した宗谷本線の佐久駅〜筬島(おさしま)駅間の18.0㎞であった。この距離を7.7㎞上回った。そんなことを考えているうちに、宮古駅到着(13時17分)。明日歩く、第三セクター鉄道である三陸鉄道リアス線(久地〜宮古〜釜石〜盛:営業キロ163.0㎞)が合流していた。
※陸中川井駅、茂市駅(かつて岩見線が合流)、千徳駅
※宮古駅、三陸鉄道車両

宮古駅(山田線)、路線バス

宮古駅の到着するや否や、駅前にあるバスで浄土ヶ浜まで移動する。13時40分から1時間半位、浄土ヶ浜フィールドガイドを見ながら、浄土ヶ浜を散策。その中で小船による”青の洞窟遊覧コース”は印象に残るものがあった。また、餌を求めて船に近づくカモメも印象的であった。

※浄土ヶ浜マップ

※青い洞窟

※船からの眺め、御台場展望台より、浄土ヶ浜ビジターセンター界隈

この浄土ヶ浜を15時15分頃後にする。ホテルをチエックイン後、宮古市内の観光も兼ね、夜の地酒・つまみ買い出しに魚菜市場に向かう。ホテルで食事後、地酒で本日の疲れを癒す。

※宮古ホテル沢田屋、魚菜市場

※ホテルでの夕食

”カッシー館”世界にも発信!!新記録樹立

投稿日:2021年10月02日

2021年10月2日(土)、ワードプレスで確認したところ、日本以外に7カ国からのカッシー館へのアクセスがあり、感動また感動。恐らく7カ国の海外アクセスは2012年7月のカッシー館開設以来新記録と思われる。

歩く鉄道作家や日本の鉄道の駅舎を国立国会図書館に納本した記事などが功を奏したと思われる。毎日、私の人生哲学のひとつにしている遊学働を通じて汗を流し続けている日々が報われたような気がする。感謝と感激で一杯となった。これからも歩く鉄道作家として、いいブログが執筆できるよう鋭意努力をしていきたい。

読者の皆様!!カッシー館へのご愛好ありがとうございます。この場をお借りし厚く熱く御礼申し上げます。これからも汗を流し頑張る所存です。引き続きカッシー館へのご愛好宜しくお願い申し上げます。

2021年10月2日(土)

カッシー館長 樫原 勉

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