リベンジ31回目!!相鉄いずみ野線(二俣川~湘南台)の整理

投稿日:2022年09月26日

2022年9月26日(月)晴れ、相模鉄道のいずみ野線(二俣川~湘南台:営業キロ11.3㎞)にリベンジずる。この路線は、2002年8月3日(土)に既に踏破済であるが、”日本横断歩き鉄の旅”PDF読本の執筆に当り、第30回目のリベンジと同様、不備があるため本日の再挑戦となった。

※相模鉄道路線図

今回の路線については、20年前の記憶が全く忘却していた。いずみ野線は、二俣川駅からいずみの中央駅までは、大半が地下路線。全く勉強をせずに臨んだので、歩きに大変苦労した。一方、いずみ中央から湘南台までは高架路線のため、歩きやすかった。しかし、第六感により間違いやすそうなところで、地元の人の応援を得たお蔭で、終始路に迷うことなく歩くことができた。

※二俣川駅

本日の駅舎立ち寄り時刻は次の通り。

二俣川(11:41)~南万騎が原(12:20)〜緑園都市(12:49)〜弥生台(13:33)〜いずみ野(14:01)〜いずみ中央(15:07)〜ゆめが丘(15:39)〜湘南台(16:30)

①二俣川駅で鶴ヶ峰方面に誤って進行しないよう用心して方向を見定める。今まで反対方向に進行するケースが多々あったからだ。代表的なのが鹿児島本線踏破当時の八代駅。この駅は何と2度も歩く目標の反対方向に進行する。南万騎が原駅への路は、前方を東海道新幹線に遮られ大回りの歩きとなる。12時10分、新幹線下を潜れ、やっとのことで南万騎が原駅に12時20分到着する。鉄道が地下のため、緑園都市駅への道筋も第六感と地元の人の多大なお世話になり、12時49分、緑が一杯の緑園都市駅に到着できる。

※南万騎が原駅への路

※前方いずみ野線、前方東海道新幹線

※新幹線下を潜り、南万騎が原駅へ

※南万騎が原駅、その近郊

※緑園都市駅への路、緑園都市駅

※緑園都市駅

②それにしても弥生台駅への道筋は遠かった。誤った方向に進行しないよう、また行き過ぎないよう、何人もの人に聞いてやっと弥生台駅に13時33分到着できる。駅前への道筋は賑やかであった。弥生台駅からいずみ野駅の道筋が、今回の歩きの中では、最も易しかった。途中、土豪の中にある鉄道を跨ぎ、鉄道の右側となる。ここから300m位先にあるいずみ野駅の駅舎があった。鉄道に沿って歩いた先にいずみ野駅(14時1分)があった。

※弥生台駅への路

※弥生台駅

※弥生台駅、いずみ野駅

※いずみ野駅

※いずみ野貯水池

➂14時10分、いずみ野遊水池を経由。その先に八幡山公園(14時12分)があった。鉄道は地下から高架路線となる。その先に34歩ある新宮西橋を渡る。丁度、湘南台に向かう車両をデジカメに収める。その先で幹線道路に合流する。ここで、直進すべきか左折すべきか迷う。ネットを検索するが、上手く作動せず右往左往する。第六感で左折する。途中通行人の方に、確認のため、「いずみ中央駅への道筋」をお伺いする。この路を直進した先にあるとのことであった。緑園都市駅への道筋に引き続き、大事な判断を要する分岐点であった。暫く歩くと左手に鉄道が見えてホットする。

※新宮西橋、たつみやで一息(イカ天コロッケそばと豪華!!)

途中、眠たくなる覚悟で、14時40分頃蕎麦屋”たつみや”に立ち寄り、遅いランチタイムとする。もうそろそろ、いずみ中央駅ではないかと思い、通行人の方にお伺いする。「100m位先の幹線道路を横切った先を左折した先にあります」と教えて頂く。地方の鉄道歩きと異なり、首都圏の歩きは有難い。沢山の人に出会う他、ダイヤも多いので。そんなことを考えているいるうちにいずみ中央駅(15時7分)到着。この駅も立派な駅前であった。

※たつみや、いずみ中央駅

※いずみ中央駅

④高架した鉄道下の暫く歩く。15時18分、高架した鉄道下を潜り、鉄道の左側となる。川沿いに沿って歩く。川には1羽の鴨がいた。ここでの地元の人のお世話になり、駅前が工事中のゆめが丘(15時39分)に到着する。駅前には広大な土地があり、工事中の箇所が多々あった。数年後には、この駅前は開けるであろうと察知。ここで下飯田駅が登場する。この駅がどの路線の駅か判明せず。しかし、少し歩いた先で、「十数年前に歩いた横浜地下鉄(ブルーライン)にある駅名ではないか」と思い出す。

※ゆめが丘駅への路

※ゆめが丘駅への路、ゆめが丘駅

※下飯田駅、湘南台駅への路

⑤高架した鉄道下を潜る。遠くに鉄道を見ながら、路地歩きとなる。坂道を下り、高架した鉄道下に出る。遠くに湘南台の町が見えてくる。鉄道は大きくカーブしていた。ここでも鉄道を潜るか否か右往左往する。運よく、ここでも地元の人に出会い、迷いから覚める。答えは鉄道を潜らず進む道筋であった。運よく、50m位行った先で、湘南台駅に向かう道筋がある。15時55分、カーブした高架した鉄道下を潜る。15時58分、56歩ある白鷺橋を渡る。その先から路地を適宜歩き、湘南台駅に向かう。小田急、相模鉄道、横浜地下鉄が合流する湘南台駅には16時30分到着。駅前で暫く休息後、16時56分の小田急線で自宅に向かう。

※近道を見つけ白鷺橋を渡る、幹線道路に出る

※湘南台幼稚園、湘南台駅への路

※湘南台駅

湘南台駅

本日もリベンジのため、勉強も全くせず、地図を持参せずに臨んだが、地元の人の多大なお世話により、路に迷うことなく踏破できた。この場をお借りして、厚く熱く御礼申し上げます。

※小田急で自宅へ

これで、相模鉄道を4回(含む路線拡張:西谷〜羽沢横浜国大の2.1㎞)に分けて、総営業キロ38㎞の相模鉄道リベンジが完了する。相模鉄道も他の鉄道会社と同様、色々顧客目線を重要視しながら経営戦力を展開していることを痛感した。本日で、通算営業キロは1万3千913㎞(活動日数681日、日本の鉄道の50.2%、地球円周の34.7%)となる。同時に節目の1万4千キロに87㎞と迫る。

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ご参考までに、2002年8月3日(土)の旅日記をご紹介します。

8月3日(土)朝急遽思いつき、二俣川=湘南台間のいずみ野線11.3Kmに挑戦する。バスでさがみ野駅経由で二俣川に10時35分頃到着する。久し振りのウォーキングで不安一杯だった。道に迷わないよう慎重に振舞った。第一の障害は東海道新幹線を越えるのに苦労した。今日は終始いずみ野線を離れないよう留意した。南万騎が原駅が地面より遥か下にあるのに驚いた。いずみ野線は地面を潜る箇所が随所にあり、根岸線と同様スリルで一杯だった。南万騎が原から緑園都市駅の方向を見定めるに苦労した。磁石と地図それから通行人に聞きながら歩いた。今日程磁石の効用を感じたことはない。もう少しで反対の方向に進むところだった。緑園都市駅は何とかクリアしたが、弥生台を見付けることができなった。第ニの障害は、新橋の交差点で誤って西が岡公園の方向に行こうとしていた。地図を見て方向が間違っているのに気がついた。第三の障害は松陽高校交差点である。通行人に聞き誤りを正す。この交差点の近郊の「高社楼」で野菜炒め定食を取る。野菜のみのあっさり味でとても美味しかった。

いずみ野駅の近郊は桜並木で歩きやすかった。それからいずみ中央駅からの1Km位続く遊歩道は最高であった。川のドテラで10分位小休止をとる。蝉の鳴き声があり夏本番を感じさせてくれた。川には鯉が涼しそうに泳いでいた。一方では、一羽の鴨がいて熱そうにしていた。好対照が印象的だった。この遊歩道を道なりに進んで湘南台に向う。残念ながら終着駅は湘南台駅ではなくお隣の長後駅となる。1.8Km程遠回りとなる。でも、久し振りに汗をかき充実した一日となった。自宅での万歩計は35,458歩だった。自宅には17時20分頃着く。

リベンジ30回目!!相鉄線(横浜~大和)の整理

投稿日:2022年09月22日

2022年9月22日(木)晴れ/一時小雨、相模鉄道の横浜駅駅から大和駅までの営業キロ17.4㎞にリベンジ。この区間は、2000年7月16日(日)に踏破済であるが、”日本横断歩き鉄の旅”PDF読本の第48編(相模鉄道・東葉高速鉄道・都電荒川線)の執筆に当り、駅舎画像や立ち寄り時刻などに不備があることが判明のため本日の再挑戦となった。一度挑戦したため、地図なし事前勉強なしで臨んだ。22年前に歩いて、鶴ヶ峰駅と瀬谷駅で手こずった記憶が脳裏の片隅に残っていた。残念ながら、本日も前回と同じパターンの繰り返しとなった。また、天王町駅から星川駅にかけて、レールが高架されていたので歩きやすかった。

横浜駅(2023年3月予定東急東横線・目黒線連結PR)

横浜駅、幸橋(さいわい川)

各駅舎の立ち寄り時刻は次の通り。

横浜(8:52)~平沼橋(9:22)〜西横浜(9:57)~天王町(10:13)〜星川(10:31)〜和田町(10:53)〜上星川(11:10)〜西谷(11:45)〜鶴ヶ峰(12:26)〜二俣川(13:32)~希望ヶ丘(14:12)〜三ツ境(14:40)〜瀬谷(15:35)〜大和(16:14)

①9時、幸橋(幸川)を渡り、幸川に沿って歩く。平沼橋駅前に到着するが、500m位ビル周辺を一周する。平沼橋駅は、一周したところから20m位急な階段を上った先にあった。9時22分、平沼橋駅にやっと到着する。陸橋を経由し、並走しているJR線・相鉄線の左側を歩く。9時25分、水天宮平沼神社で本日の安全を祈願する。この神社を見るや否や、30年前、注文住宅建築のため、家内と一緒に何度も足を運んだ横浜展示場の日々を思い出した。

※平沼橋駅への路、平沼橋駅

※平沼橋駅、水天宮平沼神社

②9時36分、国道16号線に合流する。相模原27㎞、鶴ヶ峰7㎞と記した道路標識があった。JR線と相鉄線を跨ぎ(9時41分)、鉄道の右側となる。この界隈からJR線と相鉄線が大きく分岐する。地元の人のお世話になり、くねくねとした道筋を経由し、9時57分、西横浜駅に到着する。この駅も急な陸橋階段を上った先にあった。

※西横浜駅への路

※西横浜駅

➂西横浜駅から少し歩いた先で袋小路となる。5分位引き返し、59歩ある水道橋を横切る。その先で西横浜駅入口の標識を見つける。路なりに歩いた先にラッキーにも天王町駅(10時13分)があった。高架した線路に沿って歩いた先に星川駅(10時31分)があった。東名高速道路下を潜った辺りから、高架した鉄道から道路に沿った鉄道となる。和田町駅には10時53分到着。11時7分、前方に満天の湯が見える。光栄橋を渡った先に上星川駅があった。

※水道橋、西横浜駅入口歩表示、天王町駅

※天王町駅、星川駅への路

※星川駅

※和田町碧への路、和田町駅

※和田町駅、上星川駅への路、満天の湯

※上星川駅

④11時16分、上星川1号踏切道を横切り、国道16号線に合流する。11時39分、相模原22㎞、鶴ヶ峰2㎞を記した道路標識前を通過。西谷駅には11時45分到着。西谷駅に到着するや否や2021年5月3日(月)、羽前横浜国大駅を経由して京急生麦駅まで歩いたのを思い出し懐かしくなる。西谷駅の頭上には東海道新幹線が横切っていた。11時55分、保土ヶ谷区から旭区となる。

※上星川1号踏切道、国道16号線に出る、西谷駅

※西谷駅

⑤幹線道路から下り、帷子川沿いに出る。その先で地元の人に、鶴ヶ峰駅への道筋をお伺いする。「川沿いを歩き、行き止まりのところで橋を渡って下さい。そして、路なりに歩いた先に鶴ヶ峰駅があります」と。12時18分、41歩ある水道橋を渡り、くねくねした道筋を歩いた先に鶴ヶ峰駅(12時26分)があった。駅前には商店街が広がっていた。駅前のラーメン屋でランチ休憩とする。美味しいタンタンメンを頂く。

※鶴ヶ峰駅への路

※鶴ヶ峰駅、元祖タンタンメン本店に立ち寄る

※卵入り坦々麺、二俣川駅へも路

⑥13時21分、保土ヶ谷バイバス下を潜る。県道40号線(厚木街道)を歩く。13時25分、厚木19㎞、瀬谷4㎞と記した道路標識前を通過。この辺りでポツリと水滴を感じる。ここから傘をさしたり、たたんだりしながら大和駅を目指す。二俣川駅には13時32分到着。駅ビルであるジョイナスに立ち寄り、小休止する。

※二俣川駅

⑦二俣川駅から三ツ境駅は鉄道と幹線道路が並走しており、希望ヶ丘駅(14時12分)、三ツ境駅(14時40分)と順調に踏破できる。途中日吉神社(13時54分)あった。しかし、三ツ境駅から瀬谷駅までは鉄道に沿った幹線道路がないため、予想通り悪戦苦闘を余儀なくされる。要所要所で地元の人にお伺いしながら、瀬谷駅にやっと15時35分到着できる。営業キロ1.9㎞に55分要したが、無事踏破できホットする。途中、相沢小学校(15時14分)、瀬谷小学校(15時28分)があった。1km位離れた先に2つの小学校があるのに驚いた。「流石、横浜市だなぁ」と自問自答する。

※希望ヶ丘駅

三ツ境駅

※相模鉄道路線図(三ツ境駅)

※瀬谷駅への路、相沢総学校

※瀬谷小学校、瀬谷駅

⑦15時41分、瀬谷1号踏切道を横切り、相鉄線の左側に沿って歩く。15時50分、町田界隈から流れている境川(鹿島橋)を横切る。この川を渡る際、カッシー館に登場する境川の画像を思い出し懐かしくなった。路なりに歩いた先に大和駅(16時14分)があった。16時20分の小田急線で自宅へ。本日も天と神のご加護に加え、地元の人のお世話を頂き、感謝・感激一杯の一日となった。

※瀬谷1号踏切道、境川(22年前はこの橋渡りに戸惑う)

※大和駅への路

※大和駅

※大和駅

本日の歩きで通算営業キロは1万3千901㎞(活動日数680日、日本の鉄道の50.2%、地球円周の34.7%)となった。

※16時20分の小田急線で自宅に向かう

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ご参考までに相模鉄道(横浜~大和)の2000年7月16日(日)に歩いた旅日記を添付します。

平成12年7月16日(日)、横浜から大和までの17.4Kmを歩いた。横浜駅を10時30分スタートを切った。平沼橋を通過した時は、この駅前に住宅の展示会場があったため、平成3年から4年にかけて住宅設計の関係で家内と何回も通ったので感慨無量であった。横浜から西横浜までの相模鉄道はJR線と平行して走っている。この駅を過ぎるとJRと大きく進路を変える。天王町、星川、和田町と沿線に沿ってスイスイと歩くことができた。西谷近郊になると谷がつくだけありアップダウンしたところが多かった。鶴ヶ峰の近郊で昼食をとる。昼食後道なりに歩いていたところとんでもない方向に進む。リカバリーのために何人もの住人に聞きやっとのことで二俣川駅への道に辿り着く。1時間位鶴ヶ峰近辺でさまよった。沢、川、谷、山、丘などに加え、峰がつく地名も地形が複雑であるのでウォーキングには要注意である。一旦迷うとリカバリーに骨が折れる。しかしながら、一方ではリカバリーショットは私のウォーキングの醍醐味でもあるが。二俣川は免許証更新で来たことがあるので懐かしく思えた。二俣川から大和までは鶴ヶ峰の経験を生かし地図と鉄道の動きを見て慎重に歩いた。瀬谷と大和の間に境川が流れておりこの川を越えるのも苦労した。大和駅には17時20分頃着く。自宅での歩数は44,011歩だった。

リベンジ29回目!!東武スカイツリーライン・伊勢崎線の整理

投稿日:2022年09月17日

2022年9月16日(金)晴れ、昨日の相鉄線に引き続き、東武鉄道のスカイツリーライン(浅草〜東武動物公園:営業キロ41.0㎞)・伊勢崎線(東武動物公園〜伊勢崎:73.5㎞)のリベンジを思いつく。この路線は2005年5回に分けて既に踏破済。しかし、第41編(東武鉄道)として公開を予定している、”日本横断歩き鉄の旅”PDF読本の編集に当り、立ち寄り駅舎写真がない駅などが判明。それ故、そのフォローのため本日の再挑戦となった。ただし、時間の関係から、東武動物公園~せんげん台(11.2㎞)、北千住~浅草(7.1㎞)は未着手となった。

自宅を5時半頃出て、新宿6時46分、赤羽7時10分、久喜7時53分と乗り継いで、東武伊勢崎駅には9時38分到着。本日の旅は、主として乗り鉄の旅。それ故、境町駅、足利駅、多々良駅、南羽生駅、大袋駅、新田駅(しんでん)、谷塚駅(やつか)、そして小菅駅(こすげ)で途中下車し駅舎を撮影した関係で運賃が相当嵩んだ。加えて、かなりの待ち時間が生じた。それ以外の駅は車窓から駅舎風景を撮影してフォロー。

伊勢崎〜太田までは、昼間1時間に1本しかダイヤがない。この区間が絡む駅に関しては、待ち時間を少しでも解消するため、乗り鉄・歩き鉄の併用で臨んだ。

①営業キロ1.2㎞:伊勢崎(9:46)〜新伊勢崎(10:11)

9時38分、伊勢崎駅に到着するや否や、伊勢崎駅を含め、周辺の凄まじい発展に驚いた、この駅はJR両毛線も合流している。共に高架した線路であった。線路下を歩き、新伊勢崎駅には10時11分到着。2分の待ち合わせで、次の下車駅の境町駅まで移動する。

※伊勢崎駅

※伊勢崎駅

※新伊勢崎駅への路

※新伊勢崎駅

②営業キロ2.2㎞:境町(10:25)〜世良田(11:14)

境町駅10時25分出発。駅前には”蚕のふるさと境町”標識があった。10時54分、万歩計61歩の川に遮られ1㎞位迂回を余儀なるされる。世良田駅には11時14分到着。この駅舎は、2005年1月22日(土)と撮影した写真(少し省力化)と大きく異なっており驚いた。ここで、49分の待ち時間となる。

※境町駅

※蚕のふるさと境町

※世良田駅への路

※世良田駅への路

※世良田駅

➂営業キロ1.7㎞:足利市(12:42)〜東武和泉(13:11)

足利市駅には12時25分到着。駅前の”おやまのきそば”でランチタイム(15分位)とする。12時42分より東武和泉駅を目指す。歩きかけて間もなくすると、17年前の懐かしい建物が前方に見えて来る。鉄道を左手に沿って歩いた先に東武和泉駅があった。13時28分の電車で多々良駅に向かう。

※足利市駅、おやまのきそば(駅前)

※東武和泉駅への路

※東武和泉駅

下記の6駅舎は途中下車し、駅前を撮影後、電車の戻る。

④多々良駅(乗り鉄)13:39

⑤南羽生駅(乗り鉄)14:35

⑥大袋駅(乗り鉄)16:05

⑦新田駅(乗り鉄)16:27

⑧谷塚駅(乗り鉄)16:43

⑨小菅駅(乗り鉄)17:05

本日の歩きを通じ、列車・電車の中でゆっくり時間を過ごせない、”乗り鉄マニア”の大変さがシミジミ骨身に感じた一日となった。また、東武鉄道の顧客目線の経営戦略と近代化への躍進などなど東武アーバンパークラインに引き続き強く感じる一日にもなった。自宅界隈の大阪王将でささやかながら祝杯をあげ、本日の疲れを癒す。これで通算営業キロは1万3千884㎞(活動日数679日、日本の鉄道の50.1%、地球円周の34.7%)となった。

リベンジ28回目!!足の回復度テスト

投稿日:2022年09月15日

2022年9月15日(木)曇り、相鉄線の大和駅から海老名駅までの営業キロ7.2㎞をリベンジする。本日の午後急遽思いつく。家の周りの散歩ではつまらないので、”歩く鉄”にこだわり、自宅からアクセスが比較的近い相鉄線を選定した。なお、相鉄線は、”日本横断歩き鉄旅”PDF読本の第48編公開を予定している。加えて、2022年8月29日(月)、奥羽本線の泉田駅で不注意により左足の筋を痛めたのが、回復しているかをテストもかねる。本日、小田急相模原駅から自宅までの徒歩を加算すると、10㎞を歩いたであろう。お蔭様で、全く痛みもなく10㎞を歩けたのでホットした。

※大和駅

地元のこともあり、地図なし事前勉強せずに臨んだが、道に迷うことなく、海老名駅に到着できた。各駅舎の到着時刻は次の通り。

大和(14:07)〜相模大塚(14:43)〜さがみ野(15:08)〜かしわ台(15:28)〜海老名(16:28)

①大和駅から相模大塚駅にかけて鉄道が地下になっており、また小田急線も交差しているので、最初の一歩に神経を費やした。14時46分、東名を横切る。地元の人のお世話になり、路に迷うことなく、相模大塚駅に到着できる。JRとの相互乗り入れにより、相模大塚駅ターミナルにはJR車両が停車していた。30年振り位の訪問となり、相模大塚駅界隈の様変わりには驚いた。

※相模大塚駅への路

※東名を横切る、相模大塚駅

※相模大塚駅

②さがみ野駅は利用駅でもあり、地元の感があった。さがみ野〜かしわ台〜海老名の区間は余り利用しないので、新鮮味があった。かしわ台駅から海老名駅にかけてアップダウンが多いのに驚いた。小田急線やJR相模線の踏破で海老名駅には最近2度立ち寄ったが、改めて相鉄線、小田急線、JR相模線が合流する海老名駅の素晴らしい近代的な駅舎構造に驚いた。

※さがみ野駅

※さがみ野駅

※かしわ台駅

これで通算営業キロは1万3千879㎞(活動日数678日、日本の鉄道の50.1%、地球円周の34.6%)となる。

※海老名駅への路

※海老名駅

※海老名駅

大坂の旅の二日目!!待望の比叡山観光叶う

投稿日:2022年09月12日

※比叡山ガイドマップ

2022年9月12日(日)、宿泊先の東横イン新大阪中央口本館から京都まで移動。京都駅のコインロッカーにに荷物を預けた後、C6のバス停から比叡山頂方面に向かう。運よく、一日数便の始発である8時30分の比叡山頂行きのバスに間に合う。9時36分、東塔(延暦寺)で下車。比叡山ガイドマップにとると、本日観光で立ち寄った東塔地域以外に、西塔地域、横川地域があるとのことであった。少なくともこれらの地域も回るためには、5〜6時間、山頂に滞在しないと回りきれないと痛感。

※東横イン、新大阪駅

※京都駅C6バス停(京都駅発、8:30、9:12、9:30、10:30、12:30、12:45)

本日は時間の関係で、東塔地域のうち、鐘楼・大講堂・根本中堂(総本堂)・国宝殿しか鑑賞できなかったが、待望の比叡山の一部を観光でき最高のひと時となった。加えて、バスダイヤの関係から数分しか山頂に滞在できなかったが、山頂まで足を延ばすこともできた。10時58分(東塔バス停の時刻)で京都駅に向かう。この移動によりバスの車窓から風光明媚な琵琶湖が一望できた。

※東塔バス停、登叡成仏

比叡山観光は、数日前に急遽思いついた。それ故、にわか勉強で比叡山へのアクセス方法を勉強。京都駅から叡電とバスの二つのコースがあったが、第六感でバスが効率的と判断。にわか勉強の割には、最も効率的な移動で山頂までアクセスすることができた。山頂の関係者によると、叡電活用は相当時間がかかるとのことであった。

※巡拝受付、境内マップ

※大講堂への路

※鐘楼

※大講堂、根本中堂

比叡山の旅は、バスの移動を含め約4時間しか取れなかったが、昨日の関西桜紫会総会に引き続き、楽しいひと時間を過ごせ、最高の大阪の旅となった。帰宅はいつもの通り、新幹線の中でささやかながら祝杯をあげる。今回の旅は”歩き鉄の旅”ではなかったが、”観光の旅”もいいですね。

※文殊楼、茶屋で一服、国宝殿

※比叡山国宝殿内の仏像

※比叡山頂

※車窓から琵琶湖の眺め

※京都駅

※新幹線で祝杯!!

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