九州編の駅舎とは!!”日本縦断の旅”その15(教育大前〜笹原)
投稿日:2018年07月21日
九州の第二弾は教育大前から笹原(ささばる)までの18駅舎です。この区間で印象に残る駅は、平成29年5月7日(日)16時40分達成した博多駅であろうか。平成12年5月から始めたウォーキングが、積もり積もって稚内から鹿児島まで続く日本列島縦断の旅を各駅舎立ち寄り鉄道つたい歩きによって達成した。この時の達成感は今でも私の脳裏に強く残っている。感動の余り達成の瞬間をSMSで友人に発信したところ、沢山の友人からタイムリーなメッセージを貰い大変感動した。同時に天や神、そして家族・職場・沿道でお世話になった方々などに感謝あるのみを強く感じた瞬間でもあった。
日本縦断の踏破への夢は、最初からあったのではなく、宿場の仲間などから感化されそれが大きなうねりになり、その結果達成したものである。まさか二足歩行の単純な積み上げで、老若男女問わず、”稚内から鹿児島ま歩いた”という分かりやすい言葉で、発信できるのが実に嬉しい。”今後の人生を歩む上で大きな自信に繋がるのでは”というような錯覚もした。
※教育大前駅、赤間駅、東郷駅
※東福間駅、福間駅、千鳥駅
※古賀駅、ししぶ駅、新宮中央駅
※福工大前駅、九産大前駅、香椎駅
※千早駅、箱崎駅、吉塚駅
※博多駅、竹下駅、笹原駅
暑中お見舞い申し上げます!!アクチュアリーのメンバーと
投稿日:2018年07月20日
平成30年7月19日(木)、保険計理人の実務基準部会で活発な議論後、勝どき界隈の居酒屋で懇親会がある。久し振りにアクチュアリー仲間と専門分野の話題で盛り上がる。昨日に続き涼しいひと時を送ることができ、感謝感激。
暑中お見舞い申し上げます!!かんだ会で対処
投稿日:2018年07月19日
平成30年7月18日(水)、有楽町界隈の居酒屋で”かんだ会”(立命館大学神奈川県校友会のメンバー中心)の会合がある。私はこの会合は2度目。12名の参加があった。猛暑が続く中、互いに近況報告をし合い、涼しいひと時を送ることができて感謝感激。
九州編の駅舎とは!!”日本縦断の旅”その14(下関~海老津)
投稿日:2018年07月18日
九州の第一弾は下関から海老津までの15駅舎です。本来ならば第3編の東北本線(仙台〜東京)の順番ですが、個人的な都合から第6編の鹿児島本線・肥薩おれんじ鉄道を先に取り上げご紹介させて頂きます。宜しくお願い致します。
なお、下関から鹿児島までは、平成25年(熊本~鹿児島)、平成28年(下関~博多)、平成29年(博多〜熊本)と3年に亘って踏破した記録です。
この区間で印象に残っているのは、門司から下関までの関門海峡トンネルであろうか。福岡県から山口県の境界線を越えた時は感無量の思いとなった。日本の当時の土木技術水準の高さに感服また感服。
※下関駅、門司駅、小倉駅
※西小倉駅、九州工大前駅、戸畑駅、技光駅、スペースワールド駅、八幡駅
※黒崎駅、陣原駅、折尾駅、水巻駅、遠賀川(おんががわ)駅、海老津駅
東北編の投稿!!3人の友人から心温まるエール
投稿日:2018年07月01日
東北編のカッシー館投稿に対し、次のような心温まるエールを頂戴しましたので、第2編の締としてご紹介しておきます。感謝感激で言葉なし。
♪・・・・♪・・・・・・・・♬・・・・・・
○その1(高野光生氏)
北海道編に続き、東北編のPDFをお送りいただきまして、ありがとうございました。沢山の写真の一つ一つには、歩き旅ならではの物語が一杯詰まっているのですね。資料をまとめることは大変でしょうけれど、これもまた、旅の楽しみではと思います。
小生も10年ほど前に、旧奥州街道を2回に分けて、栃木の白河から青森の三厩まで歩き、その先足を延ばし竜飛岬まで行きました。当時、東北地方の旅は初めてだったことから、陸奥(みちのく)に心を躍らせ、歩いたことを懐かしく思い出しました。
貴東北編の中に青い森鉄道とIGRいわて銀河鉄道がありますが、青い森鉄道は、当時は、まだJRのままだったように思います。もう一つのIGRいわて銀河鉄道は、名前の響きも良く今でもはっきりと思い出します。
※浅虫温泉
※金田一温泉駅
頂いた資料を楽しく拝見させていただいた後、自分の歩き旅のアルバムに駅舎の写真はどの程度あるのか調べてみました。貴東北編では84駅舎に対し小生の駅舎写真は少なく13駅舎でした。街道歩きが本分としても、通る道筋に駅があれば撮るはずなのにどうして少ないのか。そこで、青森から仙台までの鉄道路線と旧奥州街道の経路を地図で調べてみると、行き着く先は同じでも、ルートが大きく異なる所が何か所かあること、また、ほぼ同じルートの所でも双方がくっついたり離れたりで、並走している所はあまりありませんでした。例えば、大きく異なるルートでは、野辺地から三戸間は、鉄道が三沢・八戸経由に対し街道は十和田・五戸経由、有壁から仙台間は、鉄道が松島・塩釜経由に対し街道は栗原・大崎経由などとなっていました。
これらから、鉄道と街道は意外と一緒の所を通っていないことが分かり、小生の駅舎写真の少なさを納得したことでした。
貴資料のお陰で、上記なども含め久しぶりに、みちのく(陸奥)関連に触れられ楽しい時間を過ごすことができました。ありがとうございました。
ご参考用に当方の駅舎写真などを添付します。今後も、続編があるとのこと、楽しみにしています。
※金色堂(平泉)
○その2(今治久昇氏)
昨年と同じく交流戦前4連敗。首位西武に3連勝の好調日本ハム戦。打線の組み換えは必須。橙魂デー。期待しましょう。
第2編、ありがとうございます。「青い森鉄道」初耳です。駅舎を中心とした写真、本当に素晴らしいです。
○その3(長尾昇蔵氏)
PDFありがとうございます。
東北と言えば青森、青森と言えば我が故郷、浅虫温泉のひとつ青森寄りの小さな集落出身です。中学校は我が村にはありませんのでバスで浅虫駅へ、そこから徒歩20分の浅虫中学校(現在の浅虫水族館の場所が校舎で駐車場が校庭)に通学しました。ある年の冬には積雪によりバスが通れなくなり春までの約2ヵ月、1時間余かけて吹雪の中を徒歩通学したことも!
高校は我が村からバスでもうひとつ青森寄りの野内駅まで、そこから蒸気機関車で(今は無き)浦町駅、そこから夏は近くの姉宅まで徒歩10分、預けた自転車で20分、冬は吹雪の田んぼ道を徒歩50分、耳は凍傷寸前で土気色にして通学。なんと今は筒井駅がすぐそばに出来てます。
※野内駅(高野氏より)
青森支社に入社して15年間の長期勤務、転勤3回目は盛岡支社4年間、職定後の3年間は青森支社の市場担当で南部地方(東北本線沿いと下北半島)担当。
2県の駅の写真はその時の感動を新たにしました。
本当にありがとうございました。