飯田線の旅!!その1(辰野~伊那市)後編
投稿日:2024年05月19日
⑦13時50分、国道153号線に合流する。13時55分、飯田56㎞、伊那7㎞と記した道路標識前を通過。14時22分、幹線道路から外れ北殿駅に到着。
※北殿駅への路
※北殿駅
➇14時39分、再度国道153号線に合流して暫く歩く。もうそろそろ田畑駅があると思い、国道153号線を左折する。坂道を下る。14時51分、南殿第一踏切を横切り線路の左側となる。暫く歩き、田畑第三踏切を横切り鉄道の右側となる。くねくねした道筋を歩いた先に田畑駅(15時7分)があった。
※田畑駅への路
※田畑駅
➈急な坂道を上る。暫く歩いた先で再度袋小路に突入。数分のロスタイムが生じる。15時26分、国道153号線に戻る。15時31分、JR線を跨ぎ鉄道の左側となる。陸橋を降りた先で箕輪町から伊那市となる。この界隈の道路標識は駒ヶ根16㎞、飯田51㎞とあった。15時45分、JR線を跨ぎ鉄道の右側となる。15時47分、御薗交差点で左折し、鉄道に沿って歩く。伊那北駅には16時1分到着。
※伊那市、陸橋を渡る、御園交差点
※伊那北駅
⑩左手に下り列車が通過する鉄橋をデジカメに収める。伊那市の街並みを歩き、伊那市駅には16時15分到着。かつて駅名に〇〇市の表示されているのに関し違和感を感じたが、最近では”洒落たネーミングである”と自分自身感覚に変化が生じた。今〇〇市の駅名で思いつくのは、伊那市に加え野田市、松山市。
※伊那市駅への路
※伊那市駅
⑪当初の到着時刻より30分位タイムオーバーとなる。16時20分頃、エビスホテルに到着するが、玄関先が分からず右往左往する。ホテル看板の表示している解釈の誤りが原因。5分位ロスタイムが生じるが、無事16時35分頃チェックインできる。ホテルでシャワーを浴び、再度伊那市駅の改札口まで出向き、大学時代の友人岩切徹氏(熊本出身、2年前大阪にある会社を退職し、田切駅界隈に在住)と再会する。彼とは遠い昔同じ卒研メンバー。数年前、数物同期会で旧交を温めて以来の再会。魚民で数年間のつもり話に花が咲く。その中で飯田線の歩きについて語り合う。彼からの今回の歩き区間のコメントは次の通り。「天竜峡から田切辺りまでは上りで歩くのに負荷を要する。伊那大島辺りでアップが最適。伊那大島から七久保までは難関であるので。天竜峡から本長篠の区間は勉強してメールします」と。5月は田植で忙しい中、貴重な時間を割いてくれた友人に感謝また感謝。あっという間に3時間位の楽しい時間が過ぎ去る。再会を誓ってお開きとなる。
※エビスホテル
※魚民駅
これで大学時代の友人と再会するのは、三宮の高田君、名古屋の多田君、奈良の宮下君、久留米の緒方君(2度)、宮崎の山下君(2度)、会津若松の猪俣君に加え7人目となった。友はいいものであると改めて痛感。
飯田線の旅!!その1(辰野~伊那市)前編
投稿日:2024年05月19日
2024年5月15日(水)晴れ、飯田線の旅の初日は辰野駅から伊那市駅までの営業キロ17.7㎞に挑戦する。先日の5月2日(木)と全く同じ手段で辰野駅まで向かう。途中、残雪がある南アルプスの山々や諏訪湖など懐かしい風景を車窓から鑑賞しながらの歩き鉄旅となる。前回と異なり正常ダイヤで辰野駅には9時56分到着。辰野駅からは管轄がJR東日本からJR東海となる、
※車窓からの風景を堪能
※岡谷駅
※辰野駅
各駅舎立ち寄り時刻は次の通り。
辰野(10:00)~宮木(10:23)~伊那新町(10:52)~羽場(11:30)~沢(12:12)~伊那松島(13:01)~木ノ下(13:38)~北殿(きたどの、14:22)~田畑(15:07)~伊那北(16:01)~伊那市(16:15)
①辰野駅から200m位5月2日歩いた道筋を経由して宮木駅を目指す。本日は、地図よりも電柱や線路を”鉄道案内人”とする歩き方となる。10時12分、横川踏切を横切り鉄道の右側となる。その先に万歩計で133歩ある伊那富橋(蛍の図柄表示)を渡る。くねくねした路地を歩き、宮木駅には10時23分到着。
※横川踏切
※伊那富橋
※宮木駅
※宮木駅
②10時27分、辰野小学校前を通過。10時23分、宮木踏切を横切り鉄道の左側となる。田植え風景がある田んぼ路を歩く。前方には小高い丘があった。溜池があるような土手を左手にして、坂道を上り線路沿いに出る。この土手は溜池ではなく水田であった。暫く鉄道に沿った田んぼ路を歩くと、前方に伊那新町駅が見えてくる。細い小道を歩き、伊那新町駅には10時52分到着。
※辰野小学校
※田植えした水田
※伊那新町駅
③10時58分、新町南交差点で極道153号線に合流。11時6分、上り2両編成の列車と対面。鉄筋コンクリート造りの羽場駅には11時30分到着。
※羽場駅への路
※羽場駅
④麦畑や水田のある田んぼ路を歩く。11時39分、下り列車と対面する。11時45分、高速道路下を潜る。12時、一軒家踏切を横切る。この踏切で「踏切を趣味で撮影しているのですか」と私より10歳位の先輩(冒頭でご紹介した有賀国光さん)に声を掛けられる。「いや、全国鉄道つたい歩きの旅で、今回飯田線の辰野駅から天竜峡駅まで踏破に来ました」と応対しながら、歩き鉄のチラシを手渡す。「素晴らしいですね。私も10年位前までは足腰が丈夫でしたが、ここ最近は座骨神経系で長時間歩けません。家に帰ったらカッシー館拝見します。沢駅は鉄道沿い歩き、二つの踏切を渡った先にあります。頑張って下さい」と。お礼を言って、有賀さんと別れる。北屋敷踏切を横切り、鉄道の右側となる。二つ目の沢踏切を横切ると、沢駅(12時12分)があった。
※沢駅への道筋
※沢駅
➄沢郵便前を歩く。12時16分、大出踏切(おおいで)を横切り鉄道の右側となる。一時は幹線道に合流するが、地図を確認したところ、鉄道を横切り、大きく鉄道を乖離する道筋と判断し、再度原点に戻り、鉄道に沿った道筋を歩く。12時33分。先程登場した幹線道路下を潜る。左手に沢山の車が駐車している施設があった。道なりに歩いた先にに伊那松島駅(13時1分)があった。この駅舎には駅員が在籍し、賑や駅前であった。
※伊那松島駅への路
※伊那松島駅
⑥鉄道に沿って歩く。しかし、300m位歩いた先で袋小路(13時17分)となる。再度原点に戻る。4分位ロスタイムとなる。木ノ下駅には13時38分到着。後編に続く!!
※木ノ下駅への路
※木ノ下駅
高松一高関東桜紫会の代議員総会開催!!コロナ前の状態で
投稿日:2024年05月18日
2024年5月18日(土)晴れ、9時から約3時間にわたり、高田馬場駅界隈の会議室で、高松一高関東桜紫会の第28回代議員総会(関東桜紫会の最高審議機関)が約40名の参加の下、ほぼコロナ前の状況に戻り盛大に開催される。加えて昨年の案件事項が無事解消される。若手を軸とする組織態勢(新会長齋藤理氏)となり、今後の関東桜紫会の更なる発展を一会員として期待したい。
この総会の後、引き続き約30名の参加の下、高田馬場駅界隈のイタリアレストランで、約2時間半にわたり懇親会が開催される。非常に充実した一日であった。
飯田線の旅!!そのプランとは
投稿日:2024年05月18日
飯田線の旅(辰野~天竜峡:営業キロ64.4km)
〇2024年5月15日(水) 晴れ
あずさ1号 八王子7:30 → 岡谷9:20
岡谷9:45 → 辰野9:56
辰野~宮木~伊那新町~羽場~沢~伊那松島~木ノ下~北殿~田畑~伊那北~伊那市
(17.7km)
大学友人と懇親
エビスホテル泊(0265-72-3560)
〇5月16日(木)雨/晴れ
飯田5:13→ 天竜峡7:37
天竜峡~川路~時又~駄科(だしな)~毛賀~伊那八幡~下山村~鼎(かなえ)~切石~
飯田~桜町~伊那上郡~元善光寺~下市田~市田~下平~山吹~伊那大島(26.9㎞)
伊那大島18:12 → 伊那市19:16
〇5月17日(金)快晴
伊那市7:42 → 伊那大島9:08
伊那大島~上片桐~伊那田島~高遠原~七久保~伊那本郷~飯島
~田切~伊那福岡(19.8㎞)
伊那福岡17:18→ 岡谷18:31
あずさ54号 岡谷18:56 → 八王子20:42
飯田線の旅!!難しいコースでした
投稿日:2024年05月18日
2024年5月15日(水)からの2泊3日の飯田線の旅、当初は辰野駅から天竜峡駅までの79.5㎞を踏破の予定であった。しかし、この区間、大半の駅舎が幹線道路から大きく乖離しており、電柱や線路を”鉄道案内人”とする方法では歩けず。しかも、事前勉強した情報では大まか過ぎて対応しきれず。それ故、ナビを片手にすることを余儀なくされた。何と伊那市駅から伊那福岡までの15.1㎞が消化不良(この区間は易しそうであったが、過密旅プランよる時間切れ)となり、実質の歩きは64.4㎞となつた。加えて今回の区間、1㎞~2㎞までの区間が多く、通り過ぎはしないかと別の意味で神経を費やした。
一方、15.1㎞と消化不良となったが、全駅舎立ち寄りには成功。これで通算営業キロは、1万5千625㎞(活動日数770日、日本の鉄道の56.4%、地球円周の38.0%)となり、当面の目標の1万6千キロまで375kmとなった。
今回の旅の特筆事項は次の通り。
①二日目、伊那市駅から天竜峡駅への道筋、伊那市駅の転記(5時13分→7時37分)すべきところ、誤って飯田駅から天竜峡駅までの時刻を転記(6時19分→6時47分)していた。朝の再チェックが功を奏す。この転記ミスが今回の区間変更の一要因となる。
②二日目、伊奈八幡駅から下山村駅への道筋、歩く道筋を誤り、迷子となる。ナビと地元の人の応援で無事リカバリーできる。
③下山村駅から鼎(かなえ)の区間、簡単な道筋であったが、踏切での点検が甘く、往復30分位のロスタイムが生じる。
④三日目の歩きは天気にも恵まれ、中央アルプスや南アルプスを鑑賞しながらの歩きとなった。
※中央アルプス、南アルプス
⑤伊那田島駅、高遠原駅への道筋、地元の人の助言を得て、効率的な歩きができる。
⑥伊那大島駅から飯島駅への道筋、高低500m位を下り、2㎞位迂回を余儀なくされる。
⑦2日目は七久保駅ではなく、伊那大島駅でアップは最高の英断であった。伊那大島駅から高遠原駅までは難しい区間であったから。
➇大事なサングラスををロストする。恐らく、伊那福岡駅で上諏訪行きの電車を撮影の際と推察。
※このサングラスをロストする
➈麦畑や田植え前後の水田を見て、60数年前の幼少の頃を思い出した。
➉伊那市駅界隈で二日にわたり、大学時代の友人や紋次郎のマスターや女将さんと懇親を深めることができる。また、初日、沢駅の道筋、有賀さんという住人に声を掛けられる。
⑪2泊3日の歩きは営業キロを稼げない。初日と最終日は移動日となるため。