英断しました!!第78回わいわい会の中止(1年後リベンジ)

投稿日:2020年06月03日

下記のような”第78回わいわい会(高松一高同窓の歩き会)の中止”の連絡を2020年5月末にメールまたは郵便で参加予定者(33名)などに発信する。

※わいわい会開催時の馬印旗

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ご無沙汰しております。コロナとの戦いで窮屈な日々をお過ごしのことと推察します。

さて、3月初旬、第78回わいわい会のご案内(8月22日~23日:御前崎の旅)を差し上げましたが、下記のような事情を勘案し、わいわい会の幹事などにも相談の上、苦渋の判断から中止としました。そして、同時に第78回わいわい会は、1年間延期した、第82回わいわい会に委ねることとしました。

楽しみにされた方も多数居られると思いますが、何卒ご容赦ください。1年後に苦労談を語り合いましょう!!

<主な判断理由>

①緊急事態宣言が解除されたものの、他の都道府県への移動制限は解除されていない。

②わいわい会は3密(密集・密接・密閉)のリスクが高い。

 (クラスターのリスクが存在する。)

③真夏のウォーキングはマスク対応が厳しい。

④コロナ感染の不明ルートが50%位存在する。

⑤8月頃、第2波・第3波コロナ感染の到来の恐れがある。

<第82回わいわい会> 御前崎の旅

第78回わいわい会の平行移動(ホテル、観光、宴会・反省会)で対応したい。

日時 2021年8月21日(土)~22日(日)

※5月29日(金)、ホテル玄、荒磯、静鉄観光バスにはキャンセルをいれました。同時に、2021年8月リベンジしますと申し伝えました。

<追記>

第79回わいわい会は9月26日(土)でしたが、幹事会開催予定日と重なり、1週間日程を遅らせ10月3日(土)に変更させて頂きます。日程修正をお願いします。だだし、8月末のコロナ感染状況を勘案し、中止の可能性もありますのでお含みおき下さい。

2020年5月29日

わいわい会主幹事 樫原 勉

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各位から中止の連絡に対し、心温まるメッセージを頂戴しました。その一部をご紹介します。

○参加申し込みのメールを送った後で 5月29日付けのメールを拝見しました。わいわい会延期の旨承知致しました。

○本当にお疲れ様でした。今回の一年延期の判断は賢明ですし歓迎します。この企画は、とても楽しみなものでしたが、こんな状況の中では大変です。又、来年トライできることを期待したいと思います。有難うございました。

○こんばんは。標記のことで、御連絡いただきありがとうございます。まことに残念ですが、未知なるウイルスのため、先々不透明のことを考えますと、今回の中止はやむを得ないと存じます。それにしても、樫原様の企画、立案、予約手配等の御努力を、一瞬にして無に帰すコロナは、参加希望者の一人としても恨みたくなります。私も、3月上旬の蔵王温泉スキーから帰阪してからは、巣籠生活が続いております。録画した映画等を編集してDVDに焼いたり、ネットを覗いたりしてストレスを解消しております。早く、皆様方とわいわいと歩き、宴会をしておしゃべりにも参加できる日を、心待ちにしております。

○第78回わいわい会(夏の大会)延期の旨、承りました。現下の状況を勘案し葛藤のなか、心ならずも苦渋の決断での延期は真っ当な判断とご察しいたします。その分、来年度の夏の大会が盛大に開催出来ますことを祈るのみです。

○連絡ありがとうございました ️忍耐強く暮らしています。浜松は解除されましたけど恐々の気分です ️ーー 再会楽しみにしています。お元気でお過ごしくださいね!

○ご無沙汰致しています。コロナウイルスがこんなに大変だと思いません(  -_・)?でしたね。楽しみにしていましたが ️残念ですが来年に会えますことを楽しみにしています。私も会社は在宅勤務をしていましたが、1日から徐々に会社が開きます。10月は歩こう会参加予定です。木下さんは伝えてくださいましたか?お互いにコロナに気をつけましょう。ありがとうございました。

○ご連絡ありがとうござい本当に苦渋の決断ですね。皆さまにお会いできないのはとても残念です。お疲れ様です。また、ご一緒出来る時を時を楽しみにしています。お身体を大切になさってくださいね。

○お知らせ頂きました。今年は残念でしたね。又の機会楽しみにしてます。色々お世話になりありがとうございます。

○メール拝見しました  残念ですが仕方ないですね   鶴巻さんにファクス送信しました  皆様とお会いする日を楽しみにしております。

○お世話になります。お電話、メールご連絡ありがとうございます。延期、承知いたしました。来年には皆さんが安心して御前崎へ足を運んでいただけるようになっていることを心から祈っております。これから暑くなりますのでコロナだけでなく熱中症にも気をつけてどうかお元気でお過ごしください。静鉄ジョイステップバス(株) 鈴木

山陽本線の駅舎とは!!”日本縦断の旅”その36(高島~松永)

投稿日:2020年06月01日

山陽本線の第3弾は、高島駅から松永駅までの18駅舎。この区間で印象に残るのは、2011年2月20日(日)、新倉敷駅界隈の場面。山本様宅でご馳走になる。その心温まる思い出を著書続編号から抜粋すると次の通り。旅は実にいいものですね。

※高島駅、西川原駅、岡山駅、東長瀬駅、庭瀬駅、中庄駅

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新倉敷には8時30分到着。肌寒いためか、左膝が少し痛む。痛みを堪えながら暫く歩く。ウォーキングを始めた当初の山手線一周の時を思い出す。JR線に沿った適切な道路がないため、新幹線を目印に適当に歩く。そのため、少し遠回りすることを余儀なくされる。この近郊は水田地帯が広がる。薪をしているメンバー前を通る。脛の痛みは少し治まったが、心境的にはここで10分程度火にあたりたい思いであった。

※倉敷駅、西阿知駅、新倉敷駅、金光駅、鴨方駅、里庄駅

9時11分、玉島活版所、倉敷レーザー、浮田工業前を通過。9時27分、JR線下潜る。鳥向(倉敷市船穂町)という表示があった。庭先で私と同じ年恰好の掃除をしている人(山本氏)に、「この高架の線路は山陽本線ですか」とお尋ねする。「そうですよ」と回答を得る。そして、「どちらに向われるのですか」と尋ねられる。「昨日から福山起点に本日岡山を目指して歩いています。これまで、仙台=岡山間を踏破しました」と応える。「ポンカンでも食べながら頑張って下さい。上がっていってゆっくりして」という心温まる言葉を聞きながら、コーヒーをご馳走になる。そして、20分程度、色々世間話を語り合う。

※山本さん!!お世話になりました

山本氏宅前で記念写真を撮り、お礼を云って立ち去る。後日お礼状と記念写真を送付するが。2年前の東北本線踏破の際に、桃をもらった懐かしい思い出が蘇る場面となる。「旅は道ずれ世は情け」であろうか。山本氏宅を少し行った先で高梁川の土手にぶつかる。9時51分、JR線下(高梁川橋りょう)を潜り、再度戻る。土手に沿って300m位歩く。10時1分、万歩計で889歩ある高梁川を渡る。

※笠岡駅、大門駅、東福山駅、福山駅、備後赤坂駅、松永駅

山陽本線の駅舎とは!!”日本縦断の旅”その35(御着~東岡山)

投稿日:2020年05月27日

山陽本線の第2弾は、御着駅から東岡山駅までの18駅舎。これらの駅舎にも印象に残る駅舎がある。

※御着駅、東姫路駅、姫路駅、英賀保駅、はりま勝原駅、網干駅

①御着という地名は、2014年放映の大河ドラマ”軍師官兵衛”で登場して来たので懐かしい限り。

②また、英賀保(あがほ)、網干(あぼし)、有年(うね)と言う駅舎名は洒落た駅名で強く印象に残る。このような洒落た駅舎名と好対照に、武蔵野線の駅舎名は新や東西南北がつく機械的な駅舎が多い。(西船橋、東松戸、新松戸、南浦和など)

③そして、2010年4月9日(金)三ツ石駅での満開の桜は最高であった。

※竜野駅、相生駅、有年駅、上郡駅、三石駅、吉永駅

④山陽本線と山陽新幹線は、概ね相生駅から瀬戸駅にかけ大きく乖離している。それ故、岡山から新大阪まで新幹線が開通していない学生時代(1972年頃)は、京都までの移動は山陽本線を経由していた。その懐かしい思い出が、和気駅を踏破した際蘇る。その場面を著書続編号から引用すると次の通り。

※和気駅、熊山駅、万富駅、瀬戸駅、上道駅、東岡山駅

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13時、安養寺側道橋(83歩)を渡る。96号線に別れを告げる。鉄道に沿って歩くことにする。13時14分、和気閑谷高校看板前を通過。13時21分、鯉のぼりを飾った栄町商店街を通り抜ける。シャッターの閉まった店が目立った。13時23分、和気(わけ)駅に到着。この駅は、大学時代、宇野線の急行電車の停車駅であったので印象強かった。確か、岡山からは最初の停車駅であったような気がする。その次が相生であっただろう。駅前の大衆食堂で遅い昼食(13時25分~40分)を摂る。この食堂でちらし寿司を注文する。岡山名物の祭寿司が出てくる。500円と安価(パック詰め)であった。この食堂は喫茶店も経営していた。壁には電車の写真が飾られていた。和気駅前には藤原タクシーや閉鎖したと思われるパチンコ屋、旅籠等もあった。かつては賑やかであったのであろう。非常に寂しい思いがし、心が痛んだ。是非、永田町の先生方に頑張って頂き、昔のような活気ある町並みにして頂きたいものである。

元気を貰いました!!街道歩きの達人から便り

投稿日:2020年05月27日

私の”鉄道つたい歩き“とはアングルは異なりますが、”街道歩き“を通じて、私と同時期に”日本縦断の旅“を達成した高野光生氏(香川県在住)から下記のような心温まるメッセージを頂戴しました。同時に静岡県の由比駅界隈の薩埵峠(さったとおげ)から観た素晴らしい8枚の写真を恵送頂きました。感動しましたのでその一部をご紹介させて頂きます。旅はいいものですね!!

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日本縦断の旅のブログ、楽しく拝見させていただいています。

ウォーキング歴20年とのこと、年数に歩いた距離も凄いですが、内容の濃さ行動力に感心しました。この自粛の状況が収まり、安心して旅が出来るようになったら1万5000キロ達成に向け頑張ってください。

昨日、首都圏と北海道の緊急事態解除宣言は出ましたが、しばらくは様子を見ないと、安心出来る状況ではないと思われますね。特に遠方への旅行はまだまだ先でしょうね。

東海道本線の旅、懐かしく拝見させていただきました。当方は旧東海道の歩き旅でしたが、街道歩き旅の一番最初でしたので、今でも、その時のことが深く印象に残っています。

その中でも、由比宿・興津宿間にある薩埵峠からの富士山が忘れられません。歌川(かつては安藤)広重の東海道五十三次の内「由比」に描かれた、東海道一と言われる絶景をこの目で見て感激しことでした。当時(2001年11月)の写真と家内と再び訪れた時(2018年3月)の写真を添付します。

次回からのブログは、山陽本線とのこと。街道では山陽道(西国街道)ですが、20年ほど前に歩き、大いに楽しみ、道なき道が意外と多く、苦労した記憶もあります。楽しみにお待ちしています。

時節柄、ご自愛ください。                          高野

山陽本線の駅舎とは!!”日本縦断の旅”その34(神戸〜ひめじ別所)

投稿日:2020年05月25日

本日から”日本縦断の旅”の最終の編である山陽本線(神戸〜下関)を数回に分けて投稿します。その第1弾は、神戸駅からひめじ別所駅までに登場する15駅舎。

※神戸駅、兵庫駅、須磨駅

今回の登場する駅舎で印象に残るのは、2009年3月19日(木)、西明石駅駅スタートで早朝から歩いた場面だろうか。そして、宝殿駅から曽根駅への途中、商品開発時代共に苦労した仲間から花見の会の連絡があったことだろうか。その場面を著書続編号から抜粋すると次の通り。

※垂水駅、舞子駅、明石駅、西明石駅、大久保駅、魚住駅

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夜明け前の西明石駅をカメラに収め、大久保駅を目指す。暫く市街地を歩いた後、5時50分国道2号線に出る。少し辺りは薄明るくなる。5時58分、明石市藤江という地名の辺りで夜が明ける。6時5分、数匹の子猫が小さな用水路でじゃれ合っていた。6時10分、大久保橋辺りで早朝のジョギングをしている少女と出会う。その上を早朝から鳶が飛んでいた。6時21分、明治天皇大久保御小休所建物前を通過。本日最初の大久保駅には6時26分到着する。

(途中略)

※土山駅、東加古川駅、加古川駅、宝殿駅、曽根駅、ひめじ別所駅

12時42分、前方に山が見える。友人の山本さんから恒例の靖国神社花見会への招集の電話あり。「新規パソコンを購入したため、アドレスが分からないので教えて下さい」の旨の電話だった。「今姫路近郊でウォーキングをしていて、今週の日曜まで自宅には戻らない」と応対し了解を得る。

※ランチ休憩と桜の会受信場所

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