長崎・佐賀の旅!!その10(まとめ)

投稿日:2021年03月10日

2021年2月28日(日)晴れ、9泊10日の長崎・佐賀の旅は、最終日と同時に神奈川への帰宅日となった。6時半、ホテルのレストランパリで朝食を済ませ、7時過ぎ~9時までの約2時間、佐賀駅南口から佐賀県庁までの約1.5㎞を、鍋島直正や大隈重信など幕末・明治で活躍した賢人像を鑑賞しながら佐賀市内をのんびり観光する。

※レストランパリ、朝食券、夕食をとった”わん”と”とも蔵”

※鍋島直正(中央)

※大隈重信(左)

※お堀、佐賀市立図書館、佐賀県庁

※フコク生命佐賀支社

朝の散歩で、2月25日(木)伊賀屋駅から佐賀駅までの路筋の失敗をリベンジできホットする。久保田駅と鍋島駅の間にあったバルーン駅(臨時)の存在がバルーン通りを観て理解できた。同時に長年お世話になったフコク生命佐賀支社にも立ち寄ることができラッキーであった。

※白山名店街、バルーン通り

※アパホテルチェックアウト

※佐賀駅、佐賀市役所

本日の佐賀発のかもめ16号は11時36分発なので、それまで最後の琵琶湖マラソンの観戦などでゆったりした時間を過ごす。佐賀駅から博多までの所要時間37分間はうとうとして過ごす。博多発のぞみ30号は12時39分発であったので、待ち時間26分を活用し、祝杯をあげるため駅弁とビール・日本酒を買って乗車。

※今回の帰り乗車券、佐賀駅(かもめ16号)

※佐賀駅、博多駅

※のぞみ30号(博多駅)

※新幹線内で祝杯!!、富士駅界隈の富士山

新幹線に乗車するや否や、友人にSMSやSNSで、”全国鉄道つたい歩きが無事結実した旨”のメッセージを発信する。沢山の方からお祝いのメッセージをもらい感無量となる。

2月19日(金)から始まった9泊10日の旅は、天や神のご加護に加え、地元の人の多大なご支援のお蔭で、金字塔の一つとしていた”全国鉄道つたい歩き達成”が有言実行でき、今後の人生を歩む上で大きな自信になった。2年前に頂いた国金義典先生(高松一高の恩師)の作品(この道)を思い出した。この含蓄ある詩が少しではあるが、理解できたような錯覚もした至福のひと時であった。

これからも健康に留意し、私の人生哲学のひとつとしている”遊学働”を一日で長く展開し、次の金字塔(1万5千キロなど)を目指し頑張りたいものだ。(完)

長崎・佐賀の旅!!その9(岩屋〜久保田)後編

投稿日:2021年03月09日

⑤14時21分、別府東踏切を横切って鉄道の左側となる。坂道を上る。創価学会会館から少し行った先で下り坂(14時52分)となる。14時56分、一本松という交差点で国道203号線に合流。その先で鉄道を跨ぎ、右側となる。14時58分、多久市から小城市となる。15時2分、佐賀16㎞、小城3㎞と記した道路標識前を通過。その先で、鉄路を跨がり、JR線の左側となる。15時19分、晴気川を渡る。15時30分、小城体育センターのいう案内板あり。そこから少しい先の交差点を右折する。何人かの地元の人に聞きながら進む。15時51分、小城公園前を通過。その公園から暫く歩いた先に小城駅(15時57分)があった。駅前には明治を代表する書家の中林梧竹(ごちく)の像があった。

※小城駅への路

※小城駅

※中林梧竹の像(小城駅前)

⑥小城駅からは先程来た道筋を引き返さないで、如何に効率よく国道203号に戻るかに神経を費やす。その結果、16時5分甘切県道踏切を横切り、牛津方面の道筋に暫く歩き、早い段階で脇道に入り、鉄道を横切る方針で臨む。2分位歩いた先で、運よく久米踏切(16時14分)を見つけ鉄道の左側となる。そして、待望の国道203号線に合流する。16時20分、山本より31㎞地点を通過。16時45分、小城市役所前を通過。17時、三日月町五条交差点(佐賀駅への路)を通過。17時21分、徳万踏切を横切を渡るや、唐津線の列車が到着し、まもなく佐賀駅に向けて動き出そうとする場面であった。200m位戻った先に久保田駅(17時23分)があった。久保田駅7時39分発の鳥栖行で佐賀駅へ。

※甘切県道踏切、久米踏切

※久米踏切を横切った先の鉄道、山本より31㎞地点、久保田駅への路

※遠くに三日月町五条交差点、徳万踏切

※久保田駅

※久保田駅での車両(長崎行き、唐津行き、鳥栖行き)

⑦ホテルの戻り、”とも蔵”で長崎本線と唐津線の踏破の祝杯をあげる。記念に店長の小野さんと一緒に記念写真を撮らせて頂く。

※とも蔵の店長と記念写真!!(長崎本線と唐津線の踏破)

長崎・佐賀の旅!!その9(岩屋〜久保田)前編

投稿日:2021年03月09日

2021年2月27日(土)晴れ、唐津線の仕上げは、岩屋から久保田までの営業キロ23.3㎞に挑戦する。本日は今回の旅で最も印象に残る日となった。それは、大事なメモ帳(唐津編)ロスト事件に遭遇したからだ。改めてプロ野球の如く、”仕上げが如何に難しいか”学習させてもらった。ホテルで朝食をとり、佐賀駅構内の恵比須さんに本日の安全を祈願し、佐賀7時51分発の列車(唐津行き)で臨む。

※佐賀駅構内にある恵比須さん、唐津線の車両は寄せ集め❓(佐賀駅)

※岩屋駅、厳木駅への路

今回の旅で、長崎本線(喜々津〜市布〜浦上)に次いで、”鉄道ったい歩き”をするには難しいコースであった。各駅舎立ち寄り時刻は次の通り。

岩屋(8:37)〜厳木(きゅうらぎ、9:31)~多久(11:21)〜中多久(12:26)〜東多久(14:15)〜小城(おぎ、15:57)〜久保田(17:23)

①県道350号の幹線道路を歩く。9時1分、万歩計で111歩ある厳木川を渡る。9時16分、佐賀29㎞、多久8㎞と記した道路標識界隈で唐津焼の店(王天家窯)と対面する。9時24分、県立厳木高校前を通過、厳木駅には9時31分到着。

※厳木駅

②9時42分、室国神社に本日の安全を祈願する。10時15分、道の駅厳木にある、たぐいまれな美人”佐用姫(さよひめ)像”(537年頃の出来事)と対面する。5分位滞在し、この像を鑑賞する。10時27分、佐賀26㎞、佐賀5㎞と記した道路標識前を通過。10時40分、笹原峠辺りで、唐津市から多久市となる。11時11分、JR線を潜りJR線の左側となる。道路が急に広がり、街並みらしくなる。11時21分、多久駅に到着。駅に面した多久市交流施設内を暫く散策する。健康に関するセミナーが開催されていた。

※佐用姫像

※佐用姫像の解説、道の駅厳木

※多久駅

※多久駅に面した交流館

➂11時45分、中山跨線橋を渡りJR線の右側となる。誤って進行中の中学校前で12時の時報を聞き、陸橋を横切る中学生の姿を目にする。12時3分、メモ帳をロストした池岸が見える道路を経て、12時9分、高速道路下(長崎道)を通過。線路と幹線道路が大きく離れるのは可笑しいと思い、ネットで辺りを検索。すると予想通り、700~800m位、中多久駅を未踏破のまま進行していた。ネットを見ながら、引き返す。12時26分、やっと中多久駅に到着する。30分位ロスタイムが生じる。沢山の下校中の高校生と対面する。丁度佐賀行きの列車がやって来る時間帯であった。

※誤った路筋

中多久駅

④12時40分、自転車に乗った人(西村さん、私より2学年先輩)と対面したので、東多久駅への道筋をお伺いする。当初は先程誤った路筋を経由し、東多久駅の踏破を予定していた。この路筋をお話ししたところ、「相当遠回りですよ。今見える鉄道沿いの道筋を淡々と歩けば、行けますよ。」と助言を頂く。西村さんにお礼を言って別れる。暫く歩いていると、再度対面する。私の帽子を見て、「どういうところを歩いているのですか」の質問がある。事前に用意したチラシを手渡し、「今回は9泊10日の日程で、長崎本線と唐津線の踏破に来ました。昨年は47日間旅しました・・・」などなど5分位懇談する。人との出会いは旅の楽しみの一つ。至福のひと時であった。

※2回通過した地点(池岸、田圃道、今出川橋)

12時48分、道路から観た池岸前に到達。この界隈は田圃道が続いていた。遠く幹線道路があった。池の土手を経由して、田圃道を抜け出す方法があるか否かで、右往左往する。運よく、池の土手を歩き、田圃道を歩こうとしている年配の女性を見かける。それで、この人の後を歩き、幹線道路に向かう。13時6分、幹線道路に入り、今出川橋(今出川)のところでメモをしょとしたところ、大事な大事なメモ帳がないのにビックリする。頭の中が一瞬真っ白となる。中多久駅から今出川橋の区間でメモ帳を落としたと判断。

早速、これまで来た経路をジョギングしながら引き返す。13時23分、池岸でメモ帳があり安堵する。これまでメモ帳を落とす場面は、これまでの574回のウォーキングで3度目となった。今回も含め、全てリカバリーができホットする。天や神のご加護を強く感じた。今回のロスト事件は、2008年3月の東海道本線の関ヶ原界隈の財布ロスト事件に匹敵する位私にとっては深刻な出来事であった。

※大工田踏切、東多久駅

リカバリーを終え、再度万歩計で113歩ある今出川橋には13時39分到着する。ロスタイムは33分であった。13時43分高速道路下を潜る。13時50分、大工田踏切を横切り、鉄道の右側となる。14時1分、別府バス停(昭和バス)前を通過。14時15分、駅前のベンチにあたかも人が座っているような、東多久駅には14時15分到着。この人の像は、志田林三郎(日本初の工学博士:1855〜1892)とあった。後編に続く!!

※志田林三郎の像

長崎・佐賀の旅!!その8(西唐津〜岩屋)

投稿日:2021年03月07日

※アパホテルからの佐賀駅南口、アパホテルロビーのひな人形、全国鉄道つたい歩きを記した記念団扇

ホテルでの朝食、佐賀駅

※佐賀駅(唐津線車両)、西唐津駅

※唐津市マップ

2021年2月26日(金)雨模様、唐津線の初日は、西唐津から岩屋までの営業キロ19.2㎞に挑戦する。これまで7日間は好天にも恵まれ歩きやすい環境であったが、今日は生憎雨模様で肌寒く傘が終日放せない一日となった。朝ホテル近くのコンビニで70㎝のビニール傘を購入して臨む。佐賀駅が8時36分発で、今回の旅の中で最も遅いスタートとなる。それ故、ゆっくりホテルで朝食をとることができる。雨の中、沿線を見ながら西唐津までの旅となる。鬼塚から唐津そして西唐津までは幹線道路が車窓から見えず、相当やっかいなコースに見えた。また、事前に用意した地図を誤って持参しなかったため、暗中模索での歩きが予想された。それ故、事前に学習したインプットでの歩き展開となる。

※西唐津駅

本日の各駅舎立ち寄り時刻は次の通り。

西唐津(9:59)~唐津(10:44)〜鬼塚(12:20)〜山本(13:21)〜本牟田部(14:11)〜相知(15:20)〜岩屋(16:03)

①西唐津駅に到着するや否や、肌寒いので事前に用意したジャケットを着て臨む。また、本日は雨のため、メモは余り取れず。10時18分、高架した唐津線が左手にあった。10時25分、末慮館前バス停前を通過。ここで第六感が働き左折し桜並木を歩く。運よくその先に唐津駅(10時44分)があった。駅前の近代図書館が強く印象に残った。構内に入って15分位滞在し色々散策した後、観光案内所で唐津市の地図をもらう。これで地図の件はクリアすることができホットする。唐津駅には博多方面に続く筑肥線(電化)と伊万里方面に続く筑肥線(非電化)があった。特に鬼塚方面に向かう際、博多方面に行かないよう注意が必要であった。

※西唐津駅、唐津駅への路

※未慮館前、近大図書館、唐津駅南口

※唐津駅構内、唐津駅北口

②11時8分、町田川を渡る。11時12分、町田橋を渡る。その先で運よく高架した鉄道下の道筋が筑肥線の和多田駅までの1.7㎞を過ぎても暫く続いていた。和多田駅界隈で博多方面の筑肥線との並走は終わりとなる。ここから相知駅界隈まで以前伊万里方面の筑肥線と並走になる。それ故、恰も複線のような錯覚もした。12時3分、伊万里25㎞、佐賀45㎞と記した道路標識(国道202号)前を通過。12時7分、高架した鉄道から通常の鉄道網となる。松浦川沿いに鬼塚駅(12時20分)があった。

※町田橋、髙架下を歩く、和多田駅

※鬼塚駅

➂12時57分、松浦川を渡る手前で国道203号線の起点に到達。12時59分、橋を渡ると、鉄道は唐津線と筑肥線との並走は続くが、道路は佐賀方面と伊万里方面の分岐点に到達。小雨模様の中、佐賀方面に向かう。13時21分、鬼塚駅同様、筑肥線の停車駅でもある山本駅に到着する。

※春日神社、国道203号線起点

※山本駅

④13時35分、恰も複線のような鉄路(奥が筑肥線、手前が唐津線)を左にして歩く。13時43分、右手には松浦川から分岐した川が流れていた。14時9分、佐賀37㎞、多久16㎞地点を通過。14時11分。本牟田部駅に到着。

※本牟田部駅

⑤14時20分、雨は上がる。14時27分、山本から5㎞地点に到達。14時33分、前筑肥線が唐津線を跨つて山間方面に向かう。右手には唐津線1本の線路となる。14時50分、万歩計で288歩あるくぼ橋(松浦川)を渡る。民家がある道筋を歩く。相知(おうち)駅には15時20分到着。曇り空から薄曇りとなる。

※松浦川。相知駅

⑥15時28分、JR線を跨ぎ鉄道の右側となる。下り2両編成がやってくる。岩屋駅には16時3分到着。運よく当初予定していた16時12分の列車に間に合う。参考までに次のダイヤは16時50分であった。ホテルに戻り、ホテル推奨の”との蔵”で本日の疲れを癒し閉幕となる。

※岩屋駅、佐賀駅

※鍋島で乾杯!!(とも蔵)

長崎・佐賀の旅!!その7(鳥栖~佐賀)後編

投稿日:2021年03月06日

⑤13時40分、62歩ある田手橋を渡る。13時44分、長崎121㎞、佐賀11㎞と記した道路標識前を通過。神崎駅には14時7分到着。この駅で肌寒くなり、シャツを1枚着る。

※神崎駅

⑥神崎駅から伊賀屋駅の行程は、鉄道と幹線道路が平行しておらず、悪戦苦闘しながら歩く。14時35分、長崎119㎞、大村82㎞、佐賀9㎞と記した地点で神崎橋(城原川:165歩)で鉄道と幹線道路が大きく乖離する。それ故、幹線道路を通らず、如何に鉄道沿いを歩くのがポイントになる。橋を渡るや否や鉄道に近づく歩きに徹する。14時48分、幹線道路に合流。途中不安な箇所が生じるが、地元の方のアドバイスを得て、鉄道に沿った路筋を教えて頂く。15時14分、特急電車と対面。悪戦苦闘して15時50分、伊賀屋駅に到着できる。丁度上り・下り電車がやって来る。

※伊賀屋駅への路

※伊賀屋駅

⑦市道若宮伊賀屋線を歩く。佐賀駅が近しだが辺りは田園地帯が広がっていた。16時27分、国道34号線に合流する。16時35分、兵庫高架橋を渡りJR線を跨ぐ。そして、下渕踏切を横切って鉄道の左側となる。本来ならば、花道で佐賀駅に到着できるはずが、誤って道筋を間違ったため、佐賀駅が一向に見えて来ない。何人もの人に聞いてやっと佐賀駅南口に17時30分到着できる。記念に事前に用意した団扇とともに、長崎本線踏破と全国鉄道つい歩き結実の写真を駅前で通りかかつた若者に撮って頂く。

※佐賀駅への路、兵庫高架橋、下渕踏切

※佐賀駅への路

※佐賀駅

⑧佐賀駅北口にサンシティに預けた荷物を受け取り、南口にあるアパホテルまで移動し、チェックインする。階数を誤ってホテルで教えてもらった以外の店(わん)入り、祝杯をあげ、本日の自分を褒めてあげる。

※個室居酒屋”わん”で祝杯!!

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