2023年8月の記事一覧

磐越西線仕上げ旅!!その4(徳沢~津川)

投稿日:2023年08月09日

2023年8月3日(木)晴れ、磐越西線仕上げ旅の4日目は、重いリュックを背負い、筑沢駅から津川駅までの営業キロ19.0㎞に挑戦する。本日は、今回の旅で最も難関区間(日出谷~鹿瀬)があることや温泉付きホテルに少しでも早く到着したいことを鑑み、会津若松駅の発車時刻を6時46分から始発の5時28分発に変更する。お陰様でこの変更が功を奏する。

※3日間お世話になった東横イン、会津若松駅を後にする

※8月1日と同時刻に徳沢駅から高反交差点へ

各駅舎の到着時刻は次の通り。

徳沢(6:36)~豊実(7:43)~日出谷(9:54)~鹿瀬(かのせ、13:08)~津川(1405)

①先日の8月1日(火)と同じ路を国道49号線に繋がる幹線道路と鹿瀬に繋がる国道459号の分岐点(6時47分)まで歩く。この界隈の地名は西会津町高反(たかそり)とあった。阿賀野川に沿って淡々と歩く。途中JR線下を6時43分潜る。6時52分、万歩計で100歩ある高反橋を渡る。6時58分、福島県西会津町から新潟県阿賀町となる。洞門である徳根スノージェットがある。7時8分、右手にJR線を確認する。7時11分、91歩ある小手口橋を渡る。7時26分、291歩ある徳石大橋を渡る。豊実駅には7時43分到着。

※徳石大橋への路

※徳島大橋にて

※豊実駅への路

※豊実駅

②7時52分、98歩ある大沢畑橋を渡る。7時58分、船渡大橋を渡る。そして、8時27分、415歩ある菱潟大橋を渡る。8時52分、右手に線路が見え安堵する。9時3分、実川島踏切を横切り鉄道の右側となる。9時9分現在の温度は31℃とあった。9時11分、121歩ある実川島橋(実川)を渡る。9時17分から9時36分まで、全長1,330mある当麻(たいま)トンネルを通過する。麦藁屋根にトタンを覆った民家が広がる。実家を思い出す。9時46分、当麻踏切を横切り、鉄道の左側となる。日出谷駅には9時54分到着。

※菱潟大橋

※実川島橋、当麻トンネル

※日出谷駅

※日出谷駅、鹿瀬駅への路

③10時4分、JR線を潜り鉄道の右側となる。10時13分、93歩ある大谷橋を渡る。10時46分、98歩ある水沢橋を渡る。10時31分現在の温度が31℃と電子版が表示。10時53分、湧き水に対面し火照った体を冷やしてくれる。同時にペットボトルを生ぬるい水から冷たい水に切り替える。10時59分、荒戸橋を渡る。11時18分、師走トンネルを皮切りに古来の1月から12月までの月がトンネルまたは橋のヘッドに登場する。これらの区間は2㎞位あったと思われる。

※師走から神無月登場

※やっとトンネルエリアから解放

※工事中のため測定に配慮する。

これらのトンネルを出ても、歩いても歩いても鹿瀬駅には到着せせず。13時5分、電工踏切を横切る。そして、やっと13時8分、鹿瀬駅に到着する。阿賀野川沿いの歩きにより、営業キロ5.2㎞に3時間14分要する。

※電工踏切への路

※鹿瀬駅

④鹿瀬駅からは阿賀野川に沿った県道174号線(角島鹿瀬線)を淡々と歩く。鹿瀬駅への道筋と対照的に津川駅への道筋は花道であった。津川駅には14時5分到着。この駅には「狐の嫁入り行列」の画像が一面にあった。

※津川駅への路

※津川駅

➄14時58分の列車で咲花駅まで移動し、咲花温泉(看板では10ホテル)の一角である”ホテル丸松”でお世話になる。ホテルには15時40分到着。20畳余の贅沢な部屋の広さにビックリ。温泉で汗を流した後、18時半より食事(個室で)を頂く。贅沢な気分となる。温泉はいいものですね。

※咲花駅

※ホテル丸松で英気を養う

磐越西線仕上げ旅!!その3(山都~会津若松)

投稿日:2023年08月08日

2023年8月2日(水)晴れ/一時雨、磐越西線仕上げ旅の三日目は、山都駅から会津若松駅までの26.5㎞に挑戦する。本日は会津若松から発車時刻が8時14分であったので、ホテルで朝食をとり臨むことができる。本日の難所は山都駅から喜多方駅までの山間の9.9㎞の区間。しかし、歩く道筋は車窓から見るほどは山間ではなく水田もあった。

※会津若松駅

※山都駅

各駅舎の到着時刻は次の通り。

山都(8:45)~喜多方(11:58)~会津豊川(13:02)~姥堂(13:36)~塩川(14:22)~笈川(おいかわ、15:10)~堂島(15:59)~会津若松(17:47)

①8時53分、第2新津街道踏切を横切りJR線の左側となる。9時4分より太田橋を渡る。県道16号線を歩く。9時11分、JR線下を潜り、鉄道の右側となる。9時27分、小布施原という地名前を通過。9時33分より万歩計で123歩ある小川原橋を渡る。下手な俳句を考えながら淡々と歩く。「会津路を/便り花火で/歩みきる」10時12分、喜多方8㎞と記した道路標識前を通過。森林を下り、喜多方まで6㎞地点に6時30分到達。いつの間にか山間から平地となる。11時23分より300歩ある濁川橋を渡る。11時48分、左手に線路が見えて来る。11時50分、太郎丸踏切を横切り、鉄道の左側となる。喜多方駅には11時58分。駅前の店で豆大福を頂き小休止。

※喜多方駅への路

※喜多方駅への路

※喜多方駅近し

※喜多方駅

②喜多方からは電柱があったが非電化車両で対応していた。鉄道に沿って歩く。しかし、川にぶつかり直進できず。加えて線路を跨ぐ踏切がなく、大幅な引き返しを余儀なくされる。12時41分、やっと第4喜多方街道踏切を横切ることができる。30分位ロスタイムが生じる。12時51分より待望の橋(92歩)を渡ることができる。13時2分、会津豊川駅に到着。13時4分豊川小学校前を経由し、姥堂駅には13時36分到着。

※誤った道筋からリカバリー

※会津豊川駅

※姥堂駅への路

※姥堂駅

③13時53分、高速道路下を潜る。14時17分、第3喜多方街道踏切を横切りJR線の左側となる。塩川駅には14時22分到着。丁度下り列車がやって来る。

※塩川駅への路

※塩川駅

④14時39分、万歩計で337歩ある日橋川を渡る。14時58分より笈川跨線橋を渡る。途中、JR線があり鉄道の右側となる。この道路は国道121号線とあった。15時5分、旧住居表示の湯川村松川前を通過。松川バス停付近の踏切に面して笈川駅(15時10分)があった。15時29分、心地よい風を感じる。辺りは少し暗くなる。幹線道路から200m位左折した先に堂島駅(15時59分)があった。

※笈川駅への路

※笈川駅

※堂島駅への路

※堂島駅

⑤16時6分、赤い鳥居の稲荷神社に遅まきながら安全祈願する。16時11分、上り列車がやって来る。16時19分、国道121号線に戻る。16時22分、磐越道会津若松2㎞とある道路標識前を通過。16時33分、ポツリの水滴を感じるや否や夕立となる。ある会社の軒先を借りて16時43分から16時52分まで雨宿りをさせて頂く。17時8分、磐越道を潜った先で12階建ての東横インが見えて来る。17時13分、夕立がなかった道路を歩く。17時44分、町北踏切を横切る。会津若松駅には17時47分到着。ホテル到着は17時53分、万歩計は59,175歩とあった。

※会津若松駅への路(途中夕立で雨宿り)

※会津若松駅

⑥ホテルで汗を流した後、二日間お邪魔した寿し万に立ち寄りたかったが、生憎本日は定休日のことで、駅前の創業明治のマルモ食堂で英気を養う。

※おでんで一杯

磐越西線仕上げ旅!!その2(徳沢~山都)後編

投稿日:2023年08月08日

③尾登駅への道筋、途中鉄道下の道筋があったが何となく直進の道筋が正しいと思い進行する。しかし、7から8分位歩き変だと察知。運よくタクシーが停車したので運転手にお伺いする。「この道筋でも行けますが遠回りです。引き返し、鉄道下を潜って下さい」と教えて頂く。15分ロスタイムが生じる。鉄道の左側の田んぼに面した道筋を淡々と歩く。12時2分、東北電力山郷発電所があった。その先に幹線道路に面した尾登駅(12時13分)があった。辺りに殆ど民家はなく、もう少しで通り過ごしそうになった。2016年6月歩いた函館本線森駅界隈の石谷駅(現在廃駅)を思い出す。

※尾登駅駅への路、山都発電所を背景に

※尾登駅

④12時29分、西会津町から喜多方市となる。その先に洞門がある。12時33分、洞門内でJR線を跨ぎ鉄道の右側となる。荻野駅には13時3分到着。

※荻野駅への路

※荻野駅

⑤13時38分、山都6㎞、喜多方市21㎞と記した道路標識前を通過。県道16号線(喜多方西会津線)を歩く。13時40分、国体踏切を横切り鉄道の左側となる。14時13分、坂道を下る。15時1分、第四新津街道踏切を横切り鉄道の左側となるが、NGのため引き返す。鉄道下を歩いた先に山都駅(15時12分)があった。

※山都駅への路

※山都駅

⑥15時37分の列車で会津若松駅に向かう。ホテルには16時25分到着。汗を流した後、昨日友人にご馳走になった寿し万に向かい本日の疲れを癒す。

※15時37分の列車でホテルへ

※寿し万で会津地酒、うなぎなどで英気を養う

磐越西線仕上げ旅!!その2(徳沢~山都)前編

投稿日:2023年08月08日

2023年8月1日(火)晴れ、磐越西線仕上げ旅の2日目は、徳沢駅から山都駅までの営業キロ26.9㎞に挑戦する。5時過ぎホテルを出ようする頃大雨に遭遇する。10分位ホテルで雨が弱まるのを待つが小雨にならず。やむも得ず、ホテルで傘を借りて会津若松駅まで向かう。駅まで数分であったが、靴をはじめ衣服はびしょびしょう。しかし、駅について数分すると雨は止む。大雨の影響により、踏切点検のため7~8分、会津若松駅発車時刻が遅れる。

※会津若松駅

徳沢駅への車中

本日は会津若松発射時刻が5時28分と早朝のため寝過ごさないよう用心して就寝する。そのため、熟睡できず多少寝不足ままで臨む。各駅の立ち寄り時刻は次の通り。

徳沢(6:47)~上野尻(9:00)~野沢(10:45)~尾登(おのぼり、12:13)~萩野(13:03)~山都(15:12)

①大雨のため10分位遅延の影響により、徳沢駅を6時47分より上野尻駅を目指す。地図を再度確認し、反対方向に進み国道49号線を目指す。6時53分、JR線下を潜り、鉄道の右側となる。7時28分、鹿瀬方面(国道459号)と国道49号線に向かう方面の交差点宝坂に到着。間もなく歩くと洞門がある。そして、民家がある道筋に方向転換し国道49号線に合流する。8時1分。白川橋をわたる。8時7分から8時21分にかけて全長932mある車トンネルを通過する。このトンネルを出た先で進路変更して坂を下り鉄道に近づく。下野尻の地名となる。民家がある道筋を歩き、上野尻駅にはやっと9時到着。6.4㎞の営業キロに2時間13分要す。

※徳沢駅

※上野尻駅への路

※上野尻駅近し

※上野尻駅

②9時18分、国道49号線に合流。9時41分、いわきまで166㎞と記した地点に到達。9時46分、いつの間にかJR線が右手にあった。9時55分安座川橋を渡る。暫く歩いた先で交差点があり国道49号線を歩くか喜多方・山都方面と記した道筋に左折するか右往左往する。国道49号を歩き鉄道を跨ぐので不安となり、引き返し先程の交差点を左折する。暫く歩いた先でナビを確認。大回りの道筋を選択したと後悔する。確認のため、停車しているドライバーの方にお伺いする。「この道筋からも行けます。途中で右折してください」と教えて頂き安堵する。西会津町の施設がある道筋を歩く。再度確認のため、車から降りた方にお伺いする。「今車が右折した先を歩いて下さい。間もなく歩くと橋があります。その先のJR線下を潜り、左折した先に野沢駅があります」と丁寧に教えて頂く。教えて頂いた道筋に西林大橋があった。そして、10時38分JR線を潜り、線路沿いを歩いた先に野沢駅(10時55分)があった。それにして上野尻駅への道筋に続き難しい道筋であった。後編に続く!!

※野沢駅への路、鉄道を横切るの見て方向転換

方向転換し野沢駅へ

※野沢駅

磐越西線仕上げ旅!!その1(鶴ヶ城観光&友人との再会)

投稿日:2023年08月07日

2023年7月31日(月)晴れ、大宮から新幹線で郡山、そして郡山から快速に乗り継いで会津若松まで営業キロ64.6㎞を移動。この区間は5年前の9月踏破したので、懐かしい思い出に浸りながら会津若松に向かう。しかし、大半はうとうとする。途中磐梯山が見えて来るところで目が覚める。そして、踏破に苦労した東長原駅、広田駅が見えてくる。まもなく懐かしい会津若松駅が見えて来る。反対側のホームには非電化の野沢行の車両が停車していた。磐越西線は郡山から会津若松までは電化区間、会津若松から新津までは非電化区間であった。ただし、会津若松から喜多方までは電柱があるが、電車は走行できないとのことであった。

※大宮駅、郡山駅

※目が覚めると車窓から磐梯山が

※非電化の野沢行の車両、5年振りに会津若松駅に下車

駅前の風景を見て懐かしくなる。東横インが見えて来る。ホテルに荷物を預かってもらい、本日の日程がスタートする。

※あいづっこ宣言が強く印象に残る、遠くに東横イン

①タクシーで鶴ヶ城まで移動する。

②鶴ヶ城を散策後、茶室麒麟に立ち寄る。(13時50分~15時)

この城を見ると、1987年に放映された大河ドラマ”独眼竜政宗”を思い出した。秀吉の命で僅か1年で伊達政宗から蒲生氏郷に明け渡したことを。

※城内、天守閣からの眺め

※鶴ヶ城の変遷系図:芦名家(1384~1589)→伊達家(1589~1590)→蒲生家(1590~1598)→上杉家(1589~1601)→蒲生家(1601~1627)→加藤家(1627~1634)→保科・松平家(1634~1868)

※鶴ヶ城を種々のアングルから

※茶屋で一服

③徒歩で1時間位かけて会津若松駅に向かう。途中、醸造元”宮泉”に立ち寄り、友人に先日ご本をもらったお礼をする。

※鶴ヶ城界隈、遠くに鶴ヶ城が

※醸造元”宮泉”

※会津若松駅への路

④16時頃ホテルチェックイン。

➄17時より大学時代の友人と15年振りに再会し旧交を温める。

本日は長年の希望であった鶴ヶ城散策そして会津若松出身の友人との再会が実現でき最高の一日となった。友人にご馳走になる。旅はいいものですね。

 

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