心温まるメールを頂きました!!街道歩き達人より

投稿日:2020年07月18日

数年前函館界隈で知り合った”街道歩きの達人”高野光生氏(香川県在住)から、下記のような心温まるメールを恵送頂きましたのでご紹介します。高野氏も私の”歩き鉄”のアングルとは異なりますが、私と同時期(2017年)に日本縦断の旅を”街道歩き”にて達成しています。人生とは不思議なもので、昨日誤操作で消去・再投稿した”その3(八郎潟〜秋田)界隈”の街道歩き作品などを送信頂きました。また、奇しくも今回のブログ投稿数が通算で800回目(カッシー館開設以来8年間)に到達しました。一日でも早いコロナ収束を望むのみです。

<北緯40℃の標識>

高野氏の”街道歩き作品”中、私も鯉川駅に向かう途中、”北緯40℃標識”を通過しました。感動また感動しました。

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樫原様

秋田・山形・群馬の長旅、大満足で完歩のご様子、おめでとうございます。今回も地元の人々との出会いや素晴らしい景色、それにおいしい郷土料理・お酒など体感されたことと思います。日本海側の東北も本当にいいですね。(今年一度も歩き旅に出てない我が身としては、うらやましい限りです)

今回歩かれましたルートでは、小生、2014年5月、羽州街道(福島県桑折—青森県油川)の街道歩き旅で行きましたが、ほほ同じルートの部分は、奥羽本線沿いの秋田—森岳間のようです。その他は桑折から山越えで上山、上山からは山形新幹線・奥羽本線沿いを北上し大曲、大曲から秋田新幹線沿いで秋田まで、森岳からは山越えで鶴形、鶴形から奥羽本線沿いに大舘、弘前、終点は津軽線の油川でした。

その秋田では二つの出会いが今でも強く印象に残っています。一つは、羽州街道に詳しい地元の方との出会いです。この方とは、秋田の夜、お酒を酌み交わし、初対面でありながら、街道話に、大いに花を咲かせ、あくる日には街道の道案内までしていただきました。その記憶が今でも強く残っています。ただ、お世話になった数年後に病気で他界されたとのことです。残念でなりません。

もう一つは、八郎潟の三倉鼻公園近くの(鯉川駅手前)、織田信勝居館跡がなかなか見つからず偶然にも会った方が、そこのご主人だったこと、尚且つ、織田信長の子孫と言われる方だったことです。偶然の出会いから貴重な体験をしました。これが歩き旅の醍醐味だと強く感じた出来事でした。

上記二つの出会いを含め、秋田の手前から森岳までの旅の記録と写真を添付します。なお、p−26の中ほどの文中、天童藩は信勝の五男とありますが四男とのことです。(織田宗家は天童藩で明治維新まで続いたという)また、p-29文中&写真の森丘は森岳の間違いです。この先秋田から羽越本線を鶴岡までの工程のようですが、このルートは車での旅しかしていません。この時は、天候が悪く是非見たかった鳥海山は雲の中でした。このルートは羽州浜街道と言われ、いつに日か歩いてみたい街道です。

この先アップされるブログを楽しみにしています。コロナもまたまた、雲行きが分からなくなってきました。十分お体にお気を付けください。

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