2022年5月の記事一覧

鉄道つたい歩き!!先日の若者と語り合う

投稿日:2022年05月24日

2022年5月23日(月)、町田駅界隈の居酒屋で、5月5日(木)渋沢駅への道筋で出会った桃原さんとの親睦会が実現する。このような機会を得たのは、函館界隈で知り合った街道歩きの達人高野さん(私と同時期に日本縦断達成)以来2度目である。共に鉄道つたい歩きの道筋で知り合った仲間。

街道歩きにせよ、鉄道つたい歩きにせよ、歩きの話題を軸に、酒を酌み交わしながら語り合える親睦会は実に楽しい。コロナ前の良き時代を思い出した。先日共に歩いた小田急線が話題となる。これまで踏破した路線は、山手線、小田急線(新宿〜小田原)、東海道本線(東京〜掛川)とのことであった。他に幹線道路も歩いているとのことであった。人生・歩きの先輩として、記録の大切さを助言させて頂く。

改めて私のような鉄道つたい歩きを趣味とする若者が登場して感動また感動。あっという間に3時間位が過ぎ去る。桃原さんお忙しい中、有難うございました。この場をお借りし、厚く熱く御礼申し上げます。また、情報交換しましょう!!

リベンジ21回目(後編)!!小田急多摩線(唐木田〜新百合丘)

投稿日:2022年05月19日

①唐木田駅で暫く立ち止り、駅舎の周辺の写真を撮影してから、小田急多摩センター駅を目指す。10時59分、秋葉神社で本日の安全を祈願する。11時7分、小田急線下を潜る。暫く行った先で京王線下を潜り、両線を右手にして歩く。ここから、永山駅まで小田急線と京王線が並走する。11時23分、京王線の多摩センター駅経由して歩いた先に小田急多摩センター駅があった。近くには沢山のマンションがあった。

※唐木田駅

※小田急多摩センター駅への路、秋葉神社

※小田急多摩センター駅

※小田急多摩センター駅、小田急永山駅への路

②11時28分、縄文の村展示ホールがあり、10分位立ち止って館内に展示された作品を鑑賞する。縄文時代から江戸時代にかけて、土器などの作品が年代別に整理されていた。11時45分、小田急線・京王線下を潜り、鉄道の左側を歩く。暫く行った先で再度両線を潜り、急な階段を上り、幹線道路に出ようとする。しかし、工事現場の方にお伺いする機会があり、「この路を真っ直ぐ進んでも永山駅に行けますが、遠回りですよ。引き返し、鉄道下を潜り、道なりに歩くのが近道ですよ」と教えて頂く。この方のご提示頂いた道筋で、途中まで引き返し永山駅に向かう。道なりに歩いた先に小田急永山駅(12時20分)があった。この駅も京王線永山駅経由してあった。運よくランチ時に駅構内に”箱根そば”を見かけたので、ランチタイムとする。最近では、飲食店でのランチは久し振りである。眠くなる恐れと夕方の飲み会がまずくなるので最近では敬遠していた。

※縄文の村・展示ホール

※小田急永山駅への路

※小田急永山駅

※はるひ野駅への路

➂永山駅からはるひ野駅の行程は、山と住宅が前方を立ち塞がり、紆余曲折を余儀なくされる。ウォーキングを終えて自宅で本日の歩き行程を地図で確認したところ、何人も方のお世話頂いたお蔭で、最短コースではるひ野駅を踏破できたと思われる。最短コースとは、永山駅(12:20)〜諏訪南公園~多摩東公園(13:34)~ガソリンスタンド〜多摩市から稲城市となる(13:42)〜京王車両基地〜京王線若葉台駅(14:06)〜マクドナルド〜はるひ野駅(14:26)。迷い路の中で、諏訪小学校や都営諏訪団地が登場する。多摩東公園界隈で地下に潜った小田急線や京王線を跨ぐ。

※はるひ野駅への路、多摩東公園、ガソリンスタンド界隈

※多摩市から稲城市へ、若葉台駅

今振り返つてみると、少なくとも地図を持参していれば、迷うことなく歩けただろう。また、道筋でお世話になった方の案内ルートは理解できただろう。しかし、地図が頭に入っていなかっため、折角教えて頂いた道筋が理路整然として入らずチンプンカンプン。それ故、同じような道筋を何人もの人に聞く事態となる。地図が頭に入っていないと、折角親切に教えて頂いた道筋も水泡に期すおそれがあると痛感する。函館本線の姫川駅を思い出した。しかし、兎にも角にも、はるひ野駅に無事到着できホットする。坂を上り、京王線を500m位戻り、左折した先に駅舎はあった。まだまだ歴史が浅いので、駅前はひっそりしていた。駅近くには小田急線のトンネルがあった。

※はるひ野駅への路

※はるひ野駅

④黒川駅の道筋は、京王線の若葉台駅まで戻り、鶴川街道の道筋を歩く。暫く歩くと小田急線の高架した鉄道が見える。その下を潜り、200m位歩いた先に黒川駅(14時54分)があった。この駅は迷うことなく踏破できる。柿生に向かう道路を淡々と歩く。暫く歩いた先で坂道があり、この坂道を上り、鉄道に沿って歩いた先に栗平駅(15時20分)があった。この駅は、柿生に向かう幹線道路とかなりの高低差があった。

※黒川駅への路、黒川駅

※黒川駅、栗平駅

※栗平駅、五月台駅への路

⑤栗平駅から暫く、鉄道に沿って歩く。15時33分、白鳥神社があった。15時43分、高架した小田急線下を潜り、鉄道の左側を歩く。急な坂道を上った先に五月台駅(15時50分)があった。15時58分、小田急線を跨ぐたかおね橋に到達。この跨線橋を渡ろうとするが、線路の方向線を鑑み渡らず、20m位引き返す。そして、小田急線に沿った住宅街の路地を歩く。遠く下には新百合丘の街並みが続いていた。坂を下り、鉄道に近づいた先に本日の終着駅の新百合丘駅(16時25分)あった。22年前と比べ、新百合丘駅前の目覚ましい発展には驚いた。

※五月台駅への路、五月台駅

※五月台駅、遠くに新百合丘駅

※新百合丘駅への路

※新百合丘駅

それにしても、小田急多摩線はアップダウンの激しい路線であった。フラットな江ノ島線と比べ好対照であった。小田急多摩線の踏破が終え、小田急電鉄への踏破は、東海大学前駅から相模大野駅までの営業キロ24.7㎞となる。

リベンジ21回目(前編)!!小田急多摩線(唐木田〜新百合丘)

投稿日:2022年05月18日

2022年5月18日(水)快晴、小田急多摩線の唐木田駅から新百合丘駅までの営業キロ10.6㎞をリベンジする。この区間は、2000年7月23日(日)、長男の20歳の誕生祝記念に歩いたが、駅舎到着時刻や駅舎写真がないため再挑戦となった。22年前の記憶は全く忘却していた。唯一記憶が残っていたのは若葉台という地名だろうか。

※唐木田駅

22年前には”はるひ野駅”はなかったような気がする。それ故、小田急永山駅からはるひ野駅への踏破は、22年前に比べてより難しかったような気がする。2016年6月に踏破した函館本線の姫川駅(現在廃駅)や東山駅(現在廃駅)を思い出した。今回は新設で廃駅とは異なるが。鉄道つたい歩きは、得てして、利用度の少ない秘境駅への踏破に苦労が多いような気がする。

※新百合丘駅

最近のウォーキングの中では難しく感じた区間であった。営業キロ1.9㎞に2時間6分要する。大きな要因は、首都圏のエリアだと思い”永山”を山扱いにせずに丘扱い位の感じで臨んだからだ。そのため、鉄道はトンネルだが、幹線道路は山の裾を迂回することを余儀なくされた。加えて、22年前踏破したため、事前勉強や地図を持参せずに臨んだため、住宅街を1周する場面や22年前と同じ過ちを繰り返した。10人位の人のお世話になりやっと到着できる。でも面白い区間であった。

※地図で確認した結果、はるひ野駅への道筋は、若葉台駅(京王線)経由しかないと判明。そう言う意味では、何回も右往左往したが、今回も正しい行程であった。

これで通算営業キロは1万3千250㎞(歩き日数648日、日本の鉄道の47.8%)となる。同時に地球円周の3分の1到達まで84㎞に迫る。

本日の各駅舎立ち寄り時刻は、次の通り。

唐木田(10:48)~小田急多摩センター(11:23)~小田急永山(12:20)~はるひ野(14:26)~黒川(14:54)~栗平(15:50)~五月台(15:50)~新百合丘(16:25)

後編に続く!!

(^^♪・・・・・(^^♪・・・・・

ご参考までに22年前の記録(写真割愛)をご紹介すると次の通りです。

第6回目は、昨日の続きとなり多少疲れていたが、長男洋平の20歳の誕生日を祝うため小田急線を走破したかった。そのため、唐木田から新百合ヶ丘までの多摩線に挑戦した。距離は、10.6Kmとショートコースであったが、鶴川と若葉台(京王線)への道はわかったが黒川への道が分からず、永山で何回もループする。多摩線が地下に潜っている認識がないためこのような結果を招いた。後で地図をよく見ると地下に潜るマークがあった。これ以来虫メガネを持参することとした。永山までは、整備された道路や広大な人工公園を歩き、目の保養をすることができた。また、初めて、小田急多摩センター駅近郊のサンリオピューロランドを見た。この遊園地は、平成2年頃フコク生命の新商品ピュアと同時期に産声をあげたので関心があった。写真にも撮影した。残念ながらそごう百貨店の閉鎖の光景も見た。昼食は永山駅のコンビニで弁当を買い、駅前の公園で食べた。黒川から新百合ヶ丘までは特に道に迷うことなく歩くことができた。新百合ヶ丘駅の近郊にも遊歩道があるのを見つけた。今日は、永山で道に迷ったため、万歩計で4万1891歩を示した。

 

リベンジ20回目!!東急世田谷線を歩く

投稿日:2022年05月13日

2022年5月13日(金)小雨、東急世田谷線(下高井戸〜三軒茶屋:営業キロ5.0㎞)に高松一高同窓のメンバー(私を含め総勢5名)と一緒にリベンジする。今回の歩きは、わいわい会(高松一高同窓の歩き会)とは異なり、黄色い旗なしで臨む。この区間は、わいわい会発足の2000年11月3日(金)に踏破した。しかし、当時の記録には駅舎の到着時刻や駅舎写真がないため、再挑戦することにした。なお、東急電鉄は、”日本横断歩き鉄の旅”PDFシリーズの第45編として予定している。

本日の歩きは、初参加のかつて地元に在住していた熊野さんの誘導の下、路地から路地、そして線路を左右に往来しながら、鉄道つたい歩きする。熊野さんのお話しによると、「家政婦は見た」などテレビ番組に良く登場する場面がこの沿線には多いとのことであった。22年前歩いた光景は、私の記憶から全く消滅していた。しかし、松陰神社やキャロットタワーは微かに記憶の片隅にあった。

※①橙色車両

※下高井戸駅

各駅舎到着時刻は次の通り。

下高井戸(10:11)~松原(10:29)~山下(10:49)~宮の坂(11:16)~上町(11:31)~世田谷(11:40)~松陰神社前(11:52)~若林(12:37)~西太子堂(12:54)~三軒茶屋(13:03)

※「家政婦は見た」(市原悦子)の住まい、松原駅への路、松原一号踏切

※松原駅

※山下駅への路、沖縄でよく見かける”シーサー”

※山下駅(②緑色車両)

※宮の坂駅への路、世田谷八幡宮、厳島神社

宮の坂駅

東急世田谷線は、営業キロ5.0㎞の中、10駅登場するので、未踏破にならないよう細心の注意を払い歩くことを余儀なくされた。道中、カラフルな2両編成の車両(6種類確認)と対面し、長閑な雰囲気と平和の有難さ・尊さも痛感した。また、世田谷八幡宮(11時8分)、厳島神社(11時13分)を参拝することができた。

※上町駅への路

※上町駅、世田谷駅

加えて、松下村塾や松陰神社(12時)の観光もできた。そして、三軒茶屋駅まで踏破の後、高層ビルのキャロットタワー(26階)から本日踏破した東急世田谷線などを一望できた。その後、5人一堂に会して、キャロットタワーなどで約2時間にわたりランチ会(含む2次会のお茶のみ会)が開催でき、本日参加頂いた各位に感謝のエールを送りたい。

※松陰神社前駅への路

※松陰神社前駅(➂青色車両)

※松陰神社と松下村塾

※若林駅(④赤色車両)

※西太子堂駅への路、西太子堂駅

小雨模様の中であったが、世田谷の街並みを、メンバー5名でわいわいと語りながら、無事全員で踏破でき、また反省会もできた。ウイズコロナの下、用心に用心して、”山本さんの意見を反映した歩き企画”を実現してよかったと思う一日であった。同時に東急世田谷線のリベンジもできて。

※キャロットタワー、三軒茶屋駅への路、三軒茶屋駅

※三軒茶屋駅、キャロットタワーから見た東急世田谷線

※ランチ会

※⑤黄色車両(下高井戸駅)、⑥桃色車両(宮の坂駅への路)

これで通算営業キロは1万3千239㎞(歩き日数647日、日本の鉄道の47.8%)となる。同時に地球円周の3分の1まで95㎞に迫る。

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ご参考までに、第1回わいわい会の記録(除く写真)をご紹介します。

平成12年11月3日(金)文化の日、乾さんの送別会を兼ねて、試験的にウォーキング会を行なった。13時半、東急下高井戸駅改札口前に集まることにする。乾さんの他、岡崎、福家、鶴巻、藤岡、宇賀神さんと私の7名であった。この会合が、50回記念につながる第1回目の「わいわい会」となった。乾さんが、本日の歩きへの気配りから世田谷線の詳細な地図を用意してくれていた。

この日は、平成13年1月よりフコク生命事務センターが千歳船橋から千葉ニュータウンに移転のため、中央林間駅から表参道経由で日本橋に出、それから都営浅草線に乗り換えるコースを想定し、下見に出かける日ともなった。その帰り、馬喰横山から新宿経由で下高井戸駅まで来たわけで、時間を有効利用させて頂いた。時間調整もうまく行き、下高井戸駅には若干早く着いた。30分位余裕があったので、下高井戸駅前を散策する。私が入社した昭和48年、高校時代の友人がこの近郊の独身寮にかつて住んでいたので、一度遊びに来たことがある。それ以来の下高井戸駅下車となった。

13時半過ぎに、ウォーキングを開始。山下駅近郊の豪徳寺、松蔭神社、文化祭の国士舘大学と散策し、三軒茶屋駅には16時頃着く。待ち時間を利用して、キャロットタワーを散策する。17時頃、福田さんと木内さんが“反省会のみ”の参加のため、三軒茶屋駅前の「つな八」に合流される。2次会は新宿の狸、3次会はカラオケで、帰宅は深夜2時頃だった。本日の営業キロは5km、歩数は16,612歩だった。乾さんの送別会も兼ね、華やかな第1回目のウォーキングとなった。

リベンジ19回目(後編)!!小田急線(小田原〜東海大学前)

投稿日:2022年05月06日

⑦新松田駅から東海大学駅までは、山や川が前方に立ち塞がり、歩くのに相当神経を費やす。小田急線・JR線下を潜り鉄道の左側となる。鉄道に沿って歩き、幹線道路に合流する。14時33分、誤って川首川(篭場橋)を横切り、二宮方面に進もうとする。しかし、誤りに気付き橋の途中で引き返す。14時38分、新篭場交差点で国道246号に合流する。東京73㎞、厚木25㎞、秦野9㎞と記した道路標識があり。ここから川音川に沿って淡々と歩く。14時52分、上茶屋交差点を通過。15時15分、東京71㎞、厚木23㎞、伊勢原16㎞と記した道路標識前を通過。

※鉄道に沿って歩く、誤って篭場橋を渡ろうとする

※国道246号線を歩く、秦野まで9㎞

15時29分、右往左往して、国道246号を離れて、小田線に近い幹線道路を歩く。その先で桃原さんと言う若者と出会う。”渋沢駅への道筋を誤って発信した恐れもある”ということで、すれ違って5分位経由した後、ジョギングによりわざわざ引き返し参上頂く。非常に驚いたと同時に感謝また感謝の瞬間であった。このような感動場面はこれまで何回か体験したことがある。直近では羽越本線の村上駅界隈で。

※小田急線が右側に、国道246号線から離れる

「この路を真っ直ぐ歩いても行けません。途中で、橋を渡る必要があります」と。折角の機会、数分立ち止って、名前や携帯番号など情報交換させて頂く。私の帽子が印象に残ったらしい。”最近小田急線を歩いている”とのことであった。カッシー館をPRさせて頂き、お礼を言って別れる。

鉄道に沿って淡々と歩く。15時47分、68歩ある田頭橋(四十八瀬川)を渡る。右手には小田急線の鉄橋があった。この橋を渡ってから、住宅地に突入。16時5分、溝に小田急線をやっと見つける。ここからも渋沢駅への路は遠し。何人もの人にお世話になり、やっと16時16分、渋沢駅に到達する。渋沢駅の凄まじい発展には驚いた。

※四十八瀬川(田頭橋)

※住宅街を彷徨う

※渋沢駅

⑧16時23分、国道246号に合流する。16時32分、三宅坂まで67㎞地点に到達。国道246号を離れ、秦野市立南中学校前には16時57分到着。線路に沿って川が流れる、秦野駅には17時19分到着。この駅も22年前とは比較できない程、立派な駅前となっていた。川がワンポイントとなっていた。

※渋沢駅、三宅坂まで67㎞、秦野駅への路

※秦野駅

⑨秦野駅から東海大学前駅は、22年前のイメージから大きく様変わりをしていた。国道246号に沿ってあると思ったが、NGであった。62号線(平塚方面)を歩く。17時45分、室川界隈で右往左往する。地元の人にも確認し、鶴巻温泉と書かれた方向に進行する。右手遠くにに小田急線があり、少し安堵する。17時57分、橋を渡る。18時3分、東海大学前7号踏切を横切り、鉄道の右側となる。暫く行った先で、左折が上り坂の鶴巻方面、直進が下り坂の平塚方面となっていた。左折する。暫く歩くと東名高速道路がある。遠くに、住宅街が広がっていた。ここで、前進すべきか、東名高速道路に沿って歩き高台を下るべきか迷う。道筋を聞こうとするが、住人の姿見えず。これまでの第六感を生かし、東名高速道路に沿って歩き、途中から高台を下ることにする。後で地図を確認したところ大正解であった。先日の日豊本線の苅田駅界隈を思い出した。迷った時は、”鉄道に近づく”ことを

※鶴巻温泉駅への路、東海大学前7号踏切(左手にはトンネル)

高台を下った先に、18時23分、東海大学前6号踏切がある。この踏切を横切り、鉄道の左側となる。運よく、通行人の方に出会い、東海大学前駅への道筋を聞く機会を得る。「真っ直ぐ鉄道に沿って歩いた先に東海大学前駅はある」とのことであった。途中、井戸窪というバス停があった。18時42分、はだのモーピロ踏切を横切った先に、本日の終着駅東海大学前駅(18時44分)があった。無事予定通り踏破でき達成感で一杯となる。18時49分発の相模大野行きで自宅を目指す。

※鶴巻温泉方面と平塚方面の分岐点、東名高速道路、東海大学前6号踏切

※東海大学前駅への路

※はだのモーピク踏切、東海大学前駅

本日の歩きを終え、電車の中で、桃原さんにお礼のメールする。そして暫くした後で、桃原さんから返信がある。本日は「秦野駅から新松田駅までの歩いた」とのこと。私が”小田原から東海大学前まで歩いた情報”を発信したところ驚いていた。旅はいいものですね。意外なところから仲間もできる・・・。これで、リベンジによる小田急線踏破まで、小田原線(東海大学前駅〜相模大野駅:24.7㎞、そして多摩線(新百合丘駅〜唐木田:10.6㎞)となった。これが終わると”日本横断歩きの旅”PDFの第44編(小田急電鉄)が歩く鉄道作家として執筆できる。一日でも早く達成したいものだ。

※東海大学前駅

(^^♪・・・・・・(^^♪・・・・・・

早速、桃原さんより、次のような心温まるメッセージを恵送頂く。私と同じような趣味をもつ若者が登場し嬉しい限りです。ご紹介します。

先日、新松田〜渋沢間でお話しさせていただいた桃原です。ホームページ拝見しました。自分のことも書いて頂きありがとうございます。先日は、道の伝え方が雑だったことに後で気づいたのと、帽子に書かれた1万2000キロという文字が一瞬見えて目に焼き付き、もしかしたら自分と同じ歩くことが好きな人かもしれない。歩きの大先輩と話がしてみたい。と思い、確かめるべく戻りましたが、そうして正解でした。自分が歩くことに目覚めたのは、山手線に乗っている時に、路線図を眺めていて直感的に、歩いて一周してみたい、と思ったのがきっかけです。結果的にそれが自分にとって、一度に歩いた最長記録になりましたが(30キロくらいでしょうか?)、最後は100メートル毎に休むほど足が痛くなりましたが、達成感ひとしおでした。その後は、明治通り(古川橋〜新木場)を二日に分けて制覇。東海道を、一度に10〜15キロくらいのスローペースですが、日本橋から大阪方面へ(現在、掛川まで)。それから、羽田空港からなるべく海岸沿いに千葉方面へ(現在、幕張まで)。小田急線を、新宿から現在新松田。という状況です。
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