西南四国の旅!!その5(窪川~土佐佐賀)後編

投稿日:2023年03月01日

②帰り路は王道な道筋を歩き、八坂神社先の道筋まで出る。13時10分、国道56号線に合流する。13時12分、宇和島122㎞、四万十市33㎞地点を通過。13時25分、黒潮町小黒川を通過。その先で松山214㎞、四万十市32㎞とある標識前を通過。この界隈から下り坂となる。13時31分、文殊堂前を通過。ここで数分立ち止まり、文殊の知恵もある掲示板を一読する。13時53分、不破原の地名を通過。14時18分、道路標識では四万十市29㎞とあった。14時29分、伊与喜駅に到着する。丁度窪川方面の列車がやってくる。

※土佐佐賀駅への路、文殊堂

※文殊堂の解説

※伊与喜駅

③14時40分、JR線を跨ぎ、鉄道の右側となる。14時44分、万歩計で206歩あるかいどう橋(伊予木川)を渡る。ここからは右手に伊与木川、左手にはJR線に注視しながら歩く。14時50分、藤縄という地名を通過。15時3分、白石バス停(四万十交通)前を通過。15時20分、道の駅”ならぶ土佐佐賀”に立ち寄り、ソフトクリームを購入。坂道を上った際の信号を左折する。JR線を跨ぎ左側となり、暫く歩いた先に土佐佐賀駅(15時40分)があった。

※土佐佐賀駅へに路

※土佐佐賀への路、土佐佐賀駅

※土佐佐賀駅、列車内で

④16時3分発の列車で中村駅に向かう。中村駅には16時37分到着。駅から5分位歩いた先にホテルクラウンヒルズ中村(ホテルサンルート中村から名称変更)があった。うっかりして名称変更を失念していたため、この駅界隈で右往左往するが、地元の人のお陰で無事チェックインすることができる。ホテルで汗を流したあと、ホテルからの紹介された”いちもん家”にお邪魔し本日の疲れを癒す。

※中村駅

※ホテルクラウンヒルズ中村、いちもん家

※藤娘で祝杯!!

西南四国の旅!!その5(窪川~土佐佐賀)前編

投稿日:2023年03月01日

2023年2月20日(月)晴れ、西南四国の旅の5日目は、土佐くろしお鉄道の窪川駅から土佐佐賀駅までの営業キロ20.8㎞に挑戦する。当初は窪川~荷稲(かいな)までを、窪川~若井~家地川~荷稲よるつたい歩きで対応すくことを想定していたが、昨日、家地川~若井~窪川を歩いた関係で、途中若井駅を立ち寄らないで、国道56号線をひたすら歩き窪川駅から荷稲駅まで(13.8㎞)を直接歩くことにした。なお、山々の関係で、窪川~若井~荷稲のコースは不可能。土佐くろしお鉄道(四万十くろしおライン)の開業歴史は次の通り。本日から3日間で次表の路線を歩くことにする。

朝食を済ませ、7時40分、37番札所”岩本寺”を参拝し本日の安全を祈願する。美馬旅館を8時18分チェックアウトし、窪川駅に8時28分立ち寄り、駅舎にある陸橋を経由し、鉄道の左側を走る国道56号線に出ることとする。各駅舎立ち寄り時刻は次の通り。

※美馬旅館

※37番札所”岩本寺”

※美馬旅館チェックアウト

※窪川駅への路、窪川駅

※窪川駅

窪川(8:28)〜荷稲(12:58)~伊予喜(14:29)〜土佐佐賀(15:40)

①8時35分、四万十町役場前を通過。8時42分、国道56号線に合流する。8時46分、暑くなりセーターを脱ぐ。この際、傘を忘れ、5分位引き返す場面となる。9時23分、四万十町金上野前を通過。10時6分、宇和島130㎞、四万十市(旧中村市)41㎞と記した道路標識前を通過。アップダウンの坂道から平坦となる。10時15分、峰ノ上バス停前(四万十交通)を通過する。只今現在の温度は9℃であった。この辺りから下り坂となる。10時23分、松山222㎞、四万十市40㎞地点を通過。

※四万十町役場、荷稲駅への路

10時26分、四万十町から黒潮町となる。10時36分、黒潮町市野瀬を通過。10時37分より片坂第一トンネル(80m)、10時39分より片坂第ニトンネル(130m)、10時51分より片坂第三トンネル(62m)を順次通過する。10時39分より、大きく回る市野瀬橋を通過する。この辺りで窪川~荷稲の中間点にやっと到達し安堵する。11時1分、松山220㎞、四万十市38㎞地点に到達。11時26分、橘川という標識前を通過。11時30分、地元の方に荷稲駅まで4㎞~4.5㎞とお伺いする。しかし、ここから荷稲駅までの道のりは遠し。11時36分、宇和島125㎞、四万十市36㎞と記した道路標識前を通過。この辺りで上り坂となる。11時51分、松山217㎞、四万十市35㎞地点に到達。

※荷稲駅への路、四万十町から黒潮町へ

※片坂第一トンネル

※大きく回り込む道路(市野瀬)

12時、拳ノ川とある地名標識前を通過。12時10分、休業中の佐賀温泉前を通過。この界隈で高速道路に入る道路が交差しており、誤った方向に進行しないよう注意して歩く。12時28分、松山215㎞、四万十市33㎞と記した標識前を通過。この界隈で荷稲駅への道路標識があり。国道56号線を右折し脇道に入る。暫く歩くと八坂神社があった。本来であれば、この界隈を左折し道なりにくねくねと歩いた先に荷稲駅があったが、まさか山の裾野に駅舎があると思わず直進する。暫く歩いた先で左手200m位先に駅舎らしきが見える。暫くすると窪川方面に向かう列車がやってくる。しかし、2度農道を直進するが、いずれも田んぼや川で前方を遮られ、荷稲駅には行けず。やっと地元の人に聞いて、「荷稲駅への道筋」を教えて頂く。「50m位歩い先に荷稲駅に行ける道筋があります」と教えて頂く。道幅1m~2m位の田んぼ路をくねくね歩いた先に荷稲駅(12時58分)があった。近くには工事現場があった。この駅で宿毛方面の特急が通過して行く。13.8㎞の道筋を4時間半要して歩く。この駅には工事現場の方が数人おられた。本日の最大の難所をクリアできホットする。後編に続く!!

※佐賀温泉界隈、荷稲駅案内版

荷稲駅の看板を見逃す!!

※遠くに荷稲駅、荷稲駅への路、荷稲駅

※荷稲駅、特急”あしずり”が通過して行く

※荷稲駅

 

 

西南四国の旅!!その4(土佐昭和~窪川)後編

投稿日:2023年02月28日

③13時26分現在、温度は12℃であった。13時46分、四万十町北川を通過。13時53分、141歩ある北川橋(相去川)を渡る。13時53分より、全長137mある広瀬トンネルを通過する。14時26分、288歩ある野地橋を渡る。ここから四万十川に沿ったくねくねした道筋を歩き、やっと家地川駅(15時7分)に到着する。駅舎はトンネルを出た先にあった。この駅舎への立ち寄りは、今回の旅の中では最も難しい環境にあった。

※家地川駅への路

※家地川駅

④若井駅への道筋は地図の解釈を誤り、土佐くろしお鉄道の荷稲(かいな)駅方面に進んでいた。15時50分、若井トンネル辺りまで進行するが、この道筋を幾ら進行しても若井駅には到達できないと判断し、勇気をもって引き返す。再度、家地川駅経由で国道381号線の合流地点(16時48分)まで引き返す。1時間位ロスタイムが生じる。

※誤った路を進む、国道381号線に合流

※井細川、若井駅

途中、年配の女性に対面し、お伺いしたことが功を奏す。それは、「二つ目の橋を渡った先に若井駅があります」との回答であった。しかし、歩いても歩いても一つ目の橋は登場しない。そのうちに辺りは暗闇となる。やっと1つ目の橋を見つけす。ここで渡るか否か右往左往するが、教えて頂いた通り直進する。もし、渡っていれば、途中で山が前方に塞がり行き止まりとなる可能性が多々あった。ここから20分位歩いた先で民家が多くなる。うす暗い先に橋がうっすら見えて来る。丁度橋を渡ろうとした瞬間、ラッキーにも橋の向こうに列車の明かりが見えて来る。若井駅近しと確信する。

橋を渡り、100m位戻った線路下を潜って歩いた先に若井駅〈18時32分)があった。残念ながら暗闇のため、若井駅標識は確保できなかった。しかし、難関な若井駅を踏破でき達成感に浸る。この駅で5分位滞在しておれば、宿毛方面(18時38分)の列車到着の明かりでカメラに収納できたかも。でも、そのような余裕は全くなかった。

※若井駅

⑤橋を渡り、国道381号線をに合流する。辺りは暗闇で街頭はなし。車の明かりと白い車線を頼りに暗中模索で用心に用心して必死に歩く。このような体験は、2012年6月16日(土)、青い森鉄道の北高岩駅〈20時15分)から八戸駅(21時35分)に向かう際にも。懐かしい記憶が蘇る。19時20分、窪川橋を渡る。暗闇のため、窪川駅や美馬旅館わからず。19時9分、美馬旅館から確認の電話ある。「窪川駅に向かっています。19時半頃到着見込みです」と回答。何人もの地元のお世話になり、19時40分やっと美馬旅館に到着。この旅館で最寄地図をもらい、窪川駅には19時50分到着する。本日の歩きにより、予讃線(高松~宇和島)と土讃線(窪川~多度津)を結ぶ”予土線宇和島~北宇和島~若井~窪川”が繋がる。

※窪川駅

⑥美馬旅館の紹介で20時10分、居酒屋”いろり”に駆け込むことができる。ここで21時少し前まで英気を養う時間を頂く。本日は、悪天候の中、重いリュックを背負い、12時間も歩き続けた70歳を過ぎた自分を褒めてあげたい。有言実行の重みをひしひしと感じる一日となった。

※美馬旅館、居酒屋”いろり”

西南四国の旅!!その4(土佐昭和~窪川)前編

投稿日:2023年02月28日

2023年2月19日(日)雨/曇り、西南四国の旅の4日目は、予土線(土佐昭和~若井:営業キロ26.5km)と土佐くろしお鉄道(若井~窪川:4.4㎞)に挑戦する。今回の旅で30㎞超えと最も長い旅となった。しかもリュックを背負い雨模様で最悪のコンディション。かつ、歩く道筋には四万十川や山々が立ち塞がり、難関なコースであったが、これまで培ってきた体験の活用と必殺仕置人の心境で臨むこととする。当初の歩きでは、土佐昭和~家地川までの20.7kmであったが、ダイヤの関係から急遽、家地川~窪川までの10.2㎞を加えて臨むことにした。先憂後楽の考え方から結果大正解であった。

※ホテルチェックアウト

宇和島を6時4分始発で土佐昭和を目指す。今日は日曜日のこともあり、乗り鉄ファンや撮り鉄ファンなど7名の乗客の姿があった。各駅到着時刻は次の通り。

土佐昭和(7:37)〜土佐大正(10:40)〜打井川(うつい、13:05)~家地川(15:07)~若井(18:32)~窪川(19:50)

※宇和島駅

※土佐昭和駅

①小雨の中、7時37分、今回の旅で最も長い区間(8.9㎞)である土佐大正駅を目指す。これまで22年余の歩きで最も長いのは、宗谷本線の、天塩川沿いにある佐久~筬島(おさしま)までの18.0㎞である。それに比べレば半分の距離なので平常心で臨むことができる。7時40分、国道381号線にある昭和小学校体育館を通過。7時52分より、最初のトンネルである三島トンネル(万歩計で452歩)を通り抜ける。7時59分、第4四万十川橋梁を渡り鉄道の左側となる。8時1分、四万十町三島を通過。8時24分、暑くなりジャケットを脱ぐ。8時51分、瞬間的に雨上がる。8時55分より70mの津賀トンネルを通過する。9時2分、76歩ある音無瀬橋(津賀の川)を渡る。9時17分、四万十町茅吹手を通過。9時39分、右手200m位先の列車と対面する。9時46分より全長565mある浦越トンネルを通過する。10時、十和村から大正町となる。今は合併し共に四万十町。10時12分より、全長178mある田野トンネルを通過する。10時12分、212歩ある大正橋を渡る。10時23分、JR線下を潜る。10時27分、石鎚神社前で本日の安全を祈願する。大正の街並みを歩き、歴史を感じる土佐大正駅には10時40分到着する。特に国鉄の看板や土佐大正駅のレトロな看板が強く印象に残った。駅舎の中にはひな人形が飾られていた。この駅で数分滞在する。

※土佐大正駅への路、田野々トンネル、大正橋

※土佐大正駅への路、国鉄土佐大正駅の看板

※土佐大正駅、懐かしいフコク生命たばこ看板(50年前を思い出す)

②11時、熊野神社前から少し行った先で国道381号線に合流する。11時16分、道の駅住次郎前を通過。11時23分、打井川7㎞、四万十町役場22㎞、須崎50㎞と記した道路標識前を通過。11時29分、JR線下を潜り、鉄道の左側となる。11時36分、四万十町瀬里を通過。11時56分、完全に雨上がる。12時12分、四万十町下岡を通過。12時55分、肌寒くなったのでジャケット着る。13時、159歩ある打井川橋(四万十川)を渡る。100m位戻った先に打井川駅(13時5分)があった。道路から急な階段を10m上がったところにあった。足腰の弱い方はとても上れないような環境であった。幼少の頃上った火のみ矢倉を思い出した。再度、打井川橋を渡り国道381号線に合流する。後編に続く!!

※打井川駅への路

※渡川、打井川駅

※打井川駅

すうぶつメールマガジン2月号登場!!宗谷本線の旅

投稿日:2023年02月28日

先月に引き続き、宗谷本線の旅(2015年6月20日(土)~6月28日(日))の2月号をご紹介します。なお、本原稿は”小さな挑戦”(全国鉄道つたい歩記巡り)第15巻から抜粋し編集したものです。関係各位に感謝の気持ちで一杯です。
<目次>
すうぶつ メールマガジン 117号2月号  2023.2.25
ーーーー 目次 ーーーーーーー
1. 「生まれてこられたお礼に・・・」土田 琴世 (2013年卒 物理科学科)
2. 「駅舎立ち寄り日本鉄道つたい歩き旅」  樫原 勉(1973年卒 数学専攻)
宗谷本線(稚内=和寒:223.1km)8泊9日の旅Ⅱ
3. 「数学・物理まなびはじめ」
第41話  愛媛大学 藤田 博司 先生
第42話  立命館大学 田中 博 先生
4. メルマガに原稿の投稿を募集
5. 交流掲示板(原稿でなくても良い)
6. 編集後記
7. 事務局からのお願い
<記事>

「駅舎立ち寄り日本鉄道つたい歩き旅」  樫原 勉(1973年卒 数学専攻)
宗谷本線(稚内=和寒:223.1km)8泊9日の旅Ⅱ
<3日目> 2015年6月22日(月)雨
夏至の日、6 時前に起床。ホテルロビーで朝食。7 時 25 分頃、ホテルチェックアウト。切符は7時35分頃から発売。運賃は南稚内まで3,670円であった。名寄発7時50分の電車で南稚内駅を目指す。本日、7時49分発の快速で旭川に向かうという年配の女性と名寄駅舎内で世間話をする。「神奈川から土曜日やって来て、昨日は和寒から名寄まで歩いた。そして、これから稚内から名寄まで歩く」旨を話すと驚いていた。「頑張って下さい」と激励を受ける。
名寄駅で沢山の高校生が下車。名寄駅を過ぎると、山間が続く。特急停車駅でもある美深駅でかなりの乗客数が下りる。音威子府(おといねっぷ)駅で数人の乗客が下り、乗車は私だけとなる。この駅(到着は8時52分)で28分の待ち時間がある。この時間を利用し、駅舎の周りの風景を写真に収める。先日のタクシー運転手のお話等によると、この辺りから風景が変わるとのことであった。
音威子府駅を過ぎると、天塩川に沿って暫く鉄道が続く。天塩川に沿って山々が続く。しかし、木々にそれ程急激な変化は感じられなかった。停車しない駅があった。糠南(ぬかなん)駅、安牛駅、南幌延駅、そして上幌延駅。幌延駅には 10 時、、、、、

詳しくは下記をご覧ください
↓ ↓ ↓ ↓
https://www.subutsu.com/wp-content/uploads/editor/File/2023/kashihara03.pdf

<編集後記>

樫原さん 宗谷本線をつたい歩きする旅Ⅱを読ませてもらいました。この旅は、駅舎立ち寄りと日本鉄道の魅力を存分に堪能するために計画されたもので8泊9日の長い日程でしたね。この旅で、多くの美しい景色と魅力的な駅舎を見た描写がありました。特に、稚内から和寒までの223.1kmに渡る宗谷本線は、海岸線を走るため、海の眺めが素晴らしかったこと。また、各駅舎には、地元の文化や歴史を伝える展示物や、鉄道ファンにはたまらない模型などが展示されていたことでしょう。日本鉄道は単なる交通手段ではなく、多くの人々にとって大切な文化的遺産であるということですね。寄稿をありがとうございました。

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