リベンジ25回目(総括)!!東急東横線(渋谷〜横浜)踏破

投稿日:2022年07月06日

2022年7月5日(火)晴れ/雨、東急東横線の渋谷駅から横浜駅までの営業キロ24.2㎞のリベンジを急遽思いつく。天気も午後から雨または曇りマークで歩きやいと判断したからである。この区間は2002年3月2日(土)歩いた。しかし、駅舎立ち寄りの到着時間や駅舎の写真が不十分のため本日の挑戦となった。なお、東急電鉄は、PDFによる”日本横断歩き鉄の旅”シリーズの第45編としてカッシー館の公開を予定している。

東急東横線は、概ね高架した鉄道と幹線道路が並走して歩きやすかった。一方、武蔵小杉駅や菊名駅などでJR線と交差していたり、自由ケ丘駅や多摩川駅で他の東急線が合流していたため、用心して歩くことを余儀なくされた。また、東横線は副都心を経由して相互乗り入れしていたため、東武や西武などの車両も目にするすることができる。

※渋谷駅、横浜駅

一方、本日も面白いメイクドラマに遭遇する。それは、東白楽駅から反町駅に向かう際、鉄道の方向性を誤ったことから、一周してまた東白楽駅に戻るというパターン。これで通算3度の体験となる。なかなかできない事例である。一つ目は2013年4月30日(火)の肥薩おれんじ鉄道の日本一長い駅舎名である”たのうら御立岬公園駅”から上田浦駅を目指す際、山を一周してたのうら御立岬公園駅の戻って来た。もう一つは、2017年11月3日(金)、天浜線の気賀駅から西気賀駅の際、夕方で鉄道と道路の方向性を誤って気賀駅に戻った。これがあるからウォーキングは楽しい。

※田園調布駅

各駅舎立ち寄り時刻は次の通り。

渋谷(9:13)〜代官山(9:43)〜中目黒(9:58)〜祐天寺(10:16)〜学芸大学(10:38)〜都立大学(11:10)〜自由が丘(11:31)〜田園都市(12:01)〜多摩川(12:21)〜新丸子(12:53)〜武蔵小杉(13:15)〜元住吉(13:38)〜日吉(14:03)〜綱島(14:53)〜大倉山(15:28)〜菊名(15:58)〜妙蓮寺(16:34)〜白楽(16:51)〜東白楽(17:08)〜反町(17:50)〜横浜(18:16)

これで通算営業キロは1万3千531㎞(活動日数661日、日本の鉄道の48.8%、地球円周の33.8%)となる。

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ご参考までに、2002年3月2日(土)の記録簿は次の通り。

本日3月2日(土)も人間ドックフォローのために8時半頃東海大学で前回の結果を聞く用事があったため、渋谷のスタートは9時半となった。東横線をチェックし20分位は順調で進んでいたと思うが、東横線が進路変更しているのに気づかずに直進してしまった。JR山手線の電車が200m位先に見え変だと思った。この時地図を見てチェックすべきであったが、つい怠け心が出てそのままにしてしまったのが敗因となった。想定もしない地名に出くわした。恵比寿、広尾更には白金台である。この辺りの地名は山手線を走破した時に通ったのでおぼろげに記憶が残っていた。前回迷った高速道路も出てきた。ただし、山手線走破の時と反対の進路であったが。東京大学医科研究所の前を通った。極めつけは南北線の走破のとき通った白金台や御所に出くわした。この地点から目黒駅への道は記憶が鮮明に残っていた。目黒通りに出て方向性を全く見失ったので、現在位置と東横線へのコース修正を早めるため、通行人に聞くことにした。「目黒通りを直進すると山手線通りに出くわすので、その道を右折してしばらく行くと中目黒駅に出ます。でも、随分距離がありますよ。」500m位行き目黒駅近郊はややこしいので、念のために交通整理をしている人に聞いてみた。「東横線から随分乖離している。中目黒に行くのが分かり易い。」とアドバイスをもらった。目黒駅を10分位歩くと目黒川に出くわす。また暫く行くと目黒通りと山手通りの交差点で大鳥神社を見つける。この時の時刻は10時50分であった。渋谷より6,000歩弱(自宅より8691歩)歩いていた。ここで初めて地図で現在位置を確認することが出来た。選択肢として、右折して中目黒に行くか、このまま目黒通りを直進して都立大学前に行くかが考えられた。思案した結果、リカバリーとして横浜までの道のりを勘案して直進することとした。それで、代官山、中目黒、祐天寺、学芸大学の各駅は残念ながらカットを余儀なくされた。

目黒通りを直進して行くと多摩大学目黒中学校・高校の看板が目に入った。11時45分都立大学前に着くことができた。この時の万歩計は13,677歩をマークしていた。20分位歩いて大井町線走破のとき通った自由が丘駅に着く。懐かしく思えた。12時30分頃高級住宅街で有名な田園調布三丁目を通る。残念ながら田園調布駅は確認できなかった。今から考えるとモダンな黄土色の建物が駅だったかも知れない。この近郊は目蒲線も合流しておりややこしい。「どりこの坂」を通り東横線を進行方法に向って右から左に進路を変更する。「どりこの坂」は昭和63年3月「池山の坂」から名称変更をしたと標識に記載されていた。「どりこの」は清涼飲料水のゆかりの名称とのこと。暫く行くと多摩川走破の時通った多摩川駅を通過する。丸子橋を渡り多摩川を越える。この橋の左側には東海道新幹線が、右側には東横線が走っている。丸子橋を越えると上子橋があった。この橋を渡ると綱島街道に出くわす。新丸子駅の近郊の「きりん」というラーメン屋でとんこつラーメンを食べる。13時10分頃であった。昼食後暫く行くと13時55分綱島街道沿いに川崎市中原平和公園に出くわす。元住吉、慶応大のある日吉を通り大倉山へ。15時20分頃大倉山駅近郊で元M信託の自転車に乗った関さんに遭遇する。「私は土曜日を中心にウォーキングを趣味として楽しんでいます。今日は渋谷=横浜を歩いています。」関さんより「凄いね」の激励と賞賛の言葉を頂き別れた。世間は狭いものである。30秒位歩くと港北区大豆戸(まめど)の交差点となる。坂を越えて暫く行くと15時40分菊名駅に着く。この近郊も横浜線を走破した時に通った場所で懐かしく思えた。菊名の近郊の錦が丘で満開の梅を記念写真に収める。この近郊で線路に沿って歩こうとしたところ行き止まりとなる。それで踏切を渡り妙蓮寺駅に向おうとするが、錦が丘と富士塚が阻害して大変な思いをした。

妙蓮寺駅には16時15分頃到着する。この駅前に山光長寺があった。この駅以降は順調に神奈川大学のある白楽、東白楽、反町を通り横浜駅に17時40分着く。万歩計は45,388歩だった。自宅には46,245歩、18時45分だった。本日の営業距離は24.2Kmである。このコースで印象に残った点は、久しぶりのミステリーを楽しんだこと東横線は坂が多いことである。

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