リベンジ18回目(中編)!!小田急線(新宿〜読売ランド前)

投稿日:2022年05月02日

中編である世田谷代田駅から登戸駅までの区間は、小田急線の高架下の右側を主として歩く。それ故、前編のようなリスクは少なかった。

⑦世田谷代田駅をもう少しで、見過ごすところであったが、地元の人の助けを得てリカバリーできる。環状7号線を跨ぐ代田富現橋を1往復半する。すなわち、11時23分と11時31分。橋を渡ると東京農業大学産物の野菜や果物などを扱うオープンガレッジがあった。この施設も2度通過する。この施設近郊は高台になっており、複々線となった小田急線の線路が見えて来る。淡々と歩いた先に梅ヶ丘駅(11時44分)があった。そして、その先に豪徳寺駅(11時54分)があった。駅前には招き猫があった。目と鼻の先には東急世田谷線の山下駅があった。11時56分、世田谷線を跨ぐ。運よく、下高井戸駅方面の電車がやって来て、2両編成の車両を撮影する機会を得る。

※代田富現橋、東京農大オープンガレッジ

※梅ヶ丘駅への路

※梅ヶ丘駅、豪徳寺駅

※豪徳寺駅、山下駅、経堂駅への路

⑧小田急線の高架下を淡々と歩いた先に経堂駅(12時12分)があった。高架下は、店舗や駐車場など多目的に活用されていた。道路も高架下に沿って繋がっていた。鯉のぼりを飾った駅前ビルに入り、小休止。ビルを出た先に経堂小倉庵があったので、”MORE THAN TAIYAKI”を1匹購入し、昼食とする。あつあつの鯛焼きは最高に美味しかった。

※経堂駅

※経堂駅(鯉のぼりあり)、経堂小倉庵

12時26分、噴水がある石仏公園前を通過。本日は少し暑かったので、この噴水が多少なりとも涼しさを感じさせてくれた。千歳船橋駅には12時38分到着。この駅は、フコク生命の事務センター、研修センター、独身寮があった関係で、利用させてもらった駅なので、沢山の懐かしい思い出が湯水の如く登場して来た。10分位立ち止って、商店街を散策する。数十年前の商店街は様相していたが、何度かお邪魔した”とんかつ浜”が唯一現存し、懐かしくなった。もし、鯛焼きを食べていなかったら、昔の思い出に浸るため立ち寄っていただろう。

※駅前の丸亀製麺、千歳船橋駅

※千歳船橋駅前、とんかつ”浜”

※千歳船橋駅

⑨環状8号線の砧二丁目までは小田急線の左側を歩く。砧の地名を聞いて、入社当時の上司を思い出し懐かしくなる。再度鉄道の右側となり、高架下を淡々と歩いた先に祖師谷大蔵駅(13時17分)があった。駅前にはウルトラマンの像があった。13時17分、成城橋に到達。この辺りから、鉄道は高架から再度地下となる。13時23分、成城学園前駅に到着。10分位、駅前ビルを散策する。成城学園前駅は、線路跡を有効に活用し、小田急バスのターミナル駅となっていた。

※祖師谷大蔵駅

※成城橋、成城学園前駅

※成城学園前駅

⑩13時48分、急な坂を下る。小田急線は地上に出る。13時50分、小田急線下を潜り鉄道の左側となる。13時53分、万歩計で239歩ある野川を渡る。この辺りには小田急の車両基地があった。13時57分、小田急線下を潜り、鉄道の右側となる。喜多見駅には14時1分。高架下には王将があった。そして、1100m歩いた先に狛江駅があった。この駅前には、ある政党の演説する車があった。それから道なりを歩いた先に和泉多摩川駅(14時30分)があった。この駅の直ぐ先には多摩川があった。

※喜多見駅への路

※喜多見駅

※狛江駅

※和泉多摩川駅

⑪多摩川を渡るため、世田谷線(国道3号線)に合流する。633歩ある多摩水道橋(たま川)を渡る。この川を見ると約22年前の、私のウォーキングのスタートとなった2000年5月3日(水)の”登戸(小田急線)から聖蹟桜ヶ丘(京王線)までの多摩川土手・河原歩き”を思い出した。

多摩川の広場では、サッカーなどを楽しむ小学生の姿があった。14時42分、橋の中央辺りで東京都から神奈川県となる。世田谷線から道路下に繋がる路はなく、500m位迂回を余儀なくされる。この辺りに若い頃住んでいたので懐かしくなった。途中、南武線を横切る。迂回となった道筋を戻り、南武線が合流する登戸駅には15時7分到着。この駅は、昨年9月から10月にかけて武蔵野線をリベンジする際、利用させてもらった駅なので、その残像が今でも強く残っていた。

※多摩川を渡る、東京都と神奈川県の都県境

※多摩川の河原でサッカー、南武線、登戸駅への路

※登戸駅

後編に続く!!

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